固執している。
あのとき、あの日、あの言動に。
あのときああ言っただろ、と。
あの日、おまえはああしただろと。
そんなくだらないことに固執している。それは、紛れもない執着心。愛ではない。もっと汚い。
「嫌いだって、言ってただろ」
過去にとらわれていつまでも離れられないのは、心のどこかで俺は幸せになっちゃいけないとバカみたいに思っているから。
唇を噛むのに、組み敷いた男はいつものように飄々とした表情で、ただそれを見ているだけだった。
存在そのものが超然してると思う。
表情も、言動も、容姿も、態度も、なにもかも。
だから食い違うのかはわからないけれど。
そこまで考えて、ああ、俺だって十分すぎるくらい超然してんじゃねえかと思って、顔をしかめた。
「ねえ、」
言葉にするな。
あのときからずっと、互いに嫌いなんだと過信していたんだ。きっと楽しくなるよ、そう笑った手前の顔さえも気に食わないまま、俺は生きてきた。
殺したいくらい大嫌い。そんな過去に執着している。
そんな、過去のこいつにとらわれている。
「シズちゃん、俺のこと嫌い?」
「当たり前だろ」
「俺は、好きになっちゃったんだけどな」
「うるせえよ」
俺は手前が嫌いだ。
この先も好きになることはないだろう。それなのに、今こうしてことを起こそうとしている。
大嫌いな人間を抱こうとしている。
何してんだよ、と俺は俺に罵声を浴びせるのに、それをやめることもなく、なんだかんだで唇を重ねた。
もう、引き返せない。
誰かがそう嘲笑った気がして、息をついた。
そんなこと知ってる。ずっと前からわかってた。
それでも、執着した過去の中で愛してしまった人間を抱きたいという欲望は止まらない。
「ん、ふぅ」
「……………」
愛した。
臨也を愛した。
俺を嫌った臨也を、
俺を殺したいくらい憎んでいた臨也を、
ああ、なのに、臨也は俺を好きになった。臨也はもはや、過去の臨也じゃない。それなのに、臨也だ。俺が好きになった紛れもない臨也。だけど、こいつはもう俺のことを嫌っていない。
それは臨也じゃない。
わかってる。
過去も未来も関係なくて、今ここにいるのが臨也だってことくらい。それでも、納得できない。俺が愛したのは俺のことを嫌悪していた臨也だ。
「シズちゃんは、わかりやすいね」
気に入らない。昔から。
今だって、唇を離した瞬間ににやにや口を開いたこいつに少し苛立つ。
大っ嫌いだ、こんな奴
臨也の顔をした、なにか別のものだ。俺を愛してる臨也なんて、臨也じゃない。
「難しいこと考えてるでしょ」
「ちげえよ」
「それも答えのない愚問」
「黙れ」
「もう少し優しく話してくれない?怖いよ」
「そんなこと、欠片も思ってねえくせに」
「うん」
笑った顔はうざいくらいに綺麗で、あの日の臨也の憎たらしい顔と同じで、悔やんでも悔やみきれないくらいもどかしくて。こいつは、臨也なんだ。どうしても、臨也なんだ。笑った顔も、想像していた嬌声も、俺を呼ぶ声も、体も何もかも全部
こいつは臨也に間違いない。
ただ一つ違うのは、こいつが俺を好きなこと。それだけで、俺はこいつを愛せなくなった。変だと思う。何もかも昔の臨也だけど、俺は俺のことが大嫌いで、今みたいに笑う臨也が好きになったのだけど、
執着している。
大嫌いといわれたあの日々に。あの頃のほうが、愛されている気がしたんだ。あの頃のほうが、偽りの愛で満たされているような気がしていたんだ。そっちのほうがよかった。愛されて、愛してしまったら終わりが生まれる。はなからお互いが嫌いであれば、それには終わりはない。だから、愛されたくなかった。なのに、臨也は俺を好きだと言った。俺は好きだったと思った。互いが好きになってはいけない。臨也が俺を愛したなら、俺は、臨也を嫌ってやる。捻くれている?なんとでもいえばいいさ。ただ俺は、本当に俺が嫌いだった臨也が好きだったんだ。
好き、だったんだ
「あ、んん」
「きつ、力抜けバカ」
「ん、ぬい、てる、よ」
何をしているんだろう。
愛していない男を、俺は何故抱くのだろう。意味がわからない。こんな奴、嫌いなんだ。嫌いで、嫌いで、大嫌いで、うざったくて、見るのも嫌で、――――ああ、なのに
「……ふ、」
「ん、あッ、し、シズ、ちゃん?」
なんだってこんな気持ちになんだよ。
滲んだ視界の向こうで目を見開いた臨也の顔が俺が腰を揺らした衝撃に歪んだ気がした。ぼたぼたと、涙が散って、臨也の顔に落ちて冷たいよと驚いたままどうでもいいことをぼやいていた。
ああ、そうだ。好きだ。こいつが好きで仕方ない。それならばハッピーエンドでいいはずなのに、怯えている俺はそれから逃げようとしている。進みゆく時に逆らうように過去にしがみついて、見えないふりをしている。
愚かだ。でも、どうにもなんねえんだよ。
突き上げる度に視界からぼろぼろと水滴が落ちた。滲む視界の真ん中を陣取っている臨也は、顔を歪めながらもにっと笑った。確かに笑って、俺の涙を拭った。
「んん、も、う」
「んッ」
一番深く突いた。どくんと体が脈打って、臨也も果ててぐったりとしている。俺は、子どもみたいにしゃくりあげて、馬鹿みたいに嗚咽をあげて、そんな俺を臨也は笑った。好きだと笑った。その言葉が死にたくなるくらい胸をしめるのに、笑って言いやがる。臨也はわかってるだろう。だから好きだなんていうのだろう。
「………意外と執着するんだね、君って」
「……………」
「ねえ、シズちゃん」
「……………」
「好きになってよ、もう一度さ。できるでしょ?っていうか、認めちゃいなよ。俺のこと本当に嫌い?」
ああ、うぜえ。
わかってるくせに。
知ってるくせに。
お前はそうして俺の首を絞める。わかってるのに、わかっていないような顔をして。ずるい奴。卑怯だ、臨也は。だから嫌いだ。だから嫌いだった。
「………大ッ嫌いだ」
呟いた最後の抵抗は、臨也の唇に塞がれた。ああもう終わりだ。結局、認めるしかない。
こいつが好きで仕方ない。
あの頃も、
そして今も
俺はお前に執着している。
――――――――
報われてるはずなのに報われないシズちゃん。