「つがる」
「おれたち、にんげんじゃないから、"あい"ってなにかわからないけど」
「でも、つがる」
「つがるがすきっていってくれると、おれうれしい」
「つがる」
「おれ、つがるがすきだよ」
「つがるが、すき」
優しい声だと思った。
身体中にキスを落としながら聞いたそれは、変な比喩だけど真珠が転がり落ちるみたいな、本当に優しい音だった。それを聞きながら、なぜだか涙がとまらなくて、俺もだよ、俺もなんだよと応えるようにキスをした。この時がいつまでも続けと願った。でもそんなのあり得ない。知ってる。でも、願った。細く白い傷だらけの体を抱き締めて、好きだと泣いて、泣いて、それで
腕の中で寝息をたてるサイケと一緒に眠った。温かかった。機械なのにと思って、機械である俺たちが機械であることを忘れるなんて変だと思う。だけど俺たちは機械だ。どこまでいっても、どれだけ時が過ぎようと、それは変わらない。人間が死ぬまで、人間でしかいられないように、不変。
変わらない。
変われない。
変われたらと思うのは、あのたった一人の人間に愛されたいからだろうか。あのたった一人の人間に、暴力を奮われたくないからだろうか。いや、違う気がする。この目の前の小さな体を本当に愛したいから。そして愛されたいから。俺の世界には、3人しかいない。俺とサイケとマスター。それだけだから、だからこそ、愛されたい。愛したい。たとえ、それが永遠に叶わなくても、
「………サイケ」
「……………、んー…」
「あ、悪い。寝てたか」
「まだ、ちょっとおきてる」
「ちょっとか」
「ちょっと。……なあに?」
「………逃げないか?」
「え?」
「マスターが出かけてる間に、逃げないか?逃げて逃げて、二人で暮らすんだ」
「つがる、でもおれたちはそとのことはなんにもわからないよ?」
「どうにかなるだろ」
「それに」
「?」
「おれ、マスターをひとりにしたくない」
「………こんなことされたのにか?」
「……つがる、マスターね、いつもおれをなぐるとき、いたそうなかおするの。いたくていたくてなきそうな。マスターは、おれよりずっといたいの。だからおれをなぐるのに、おれをなぐっても、もっといたくなるみたいなの。だからいつもあやまるんだ。いたいのやっつけてあげられなくてごめんなさいって」
「………お前は」
「ん?」
「それでも、お前だって痛いだろ」
「………だいじょぶだよ。おれにはつがるがいる。つがるがいたいのやっつけてくれる」
へらりと笑った顔に、それ以上何も言えなかった。ああ、なんだ。逃げたかったのは俺のほうだったんだ。ここから逃げたって、どうなるわけでもないのを知りながら、俺はこいつの優しい心を無視して逃げようとした。何をしてるんだ。もう、絶対、こいつを傷付けない。絶対、こいつから逃げない。マスターからも、逃げない。逃げてたまるか。こいつが戦うなら、俺だってそうしよう。
抱き締める力を強めた。苦しいようと小さなうめき声がして、守ってみせると心に誓った。
小さな体を震わせて涙をこらえてきたこいつを
絶対、
絶対に、
*
朝は、変わらずやってくる。俺はその朝だって、ふと目を覚まして
眠気のせいでぼんやりと霞む意識が一瞬で覚醒した。
サイケが、いない。
隣で眠っていたはずのサイケが
どこにも
焦って飛び起きた。何か嫌な予感がした。生ぬるい汗が背中を伝って、息ができなくなる。サイケ、サイケ、どこだ。部屋の扉を開けて、リビングに向かって、固まった。
「――――――ッ!」
「か、……は…」
首を、しめていた。
サイケの上に馬乗りになったマスターが、全力でサイケの細い首を、
止めなきゃ、怖い怖い、止めなければ怖い、怖い昨日決めたじゃないか怖い守って怖い怖い守ってみせると怖い決めた、決めたんだ怖いだってこいつが、好きだから怖いなんだまた逃げるのか怖いと言って逃げるのか怖いそんなのただの怖、――ああ、怖いけど
怖くたって―――――俺はサイケを守らなきゃいけないんだ
俺が守らなきゃならないんだ!!
「や、」
「…………は、」
「やめろぉぉおおお!!!」
駆け出して、驚いて手を緩めたマスターを思い切り突き飛ばした。倒れたサイケを抱き上げて、肩を揺らせば、は、と浅い息をしてでも目は開かなくて
ぐらりと起き上がったマスターに、ぎゅうと抱き締める力を強くして
ああ、殴るなら俺を殴ればいい
俺だってサイケと同じだ、同じなんだ
「サイケを、―――サイケを、殺さないで」
「………、」
「サイケが、好きなんです、サイケが大切なんです。お願いします、サイケを殺すなら俺を殺してください」
涙が落ちた。嗚咽のせいで声が震えてうまく話せない。サイケ、サイケ。俺はサイケが大好きなんだ。だから頼むから、サイケを殺さないで。サイケを俺から奪わないで。殴ればいい。殴ったっていいから、
「…………なあんだ」
「………、マス、ター?」
「結局、あんたも一緒か」
「………………?」
「同じ顔のくせに…………ふ、ぅ、わあぁぁあああ!!」
マスターは、子供みたいにわんわんと泣きはじめて、よくわからずにいる俺を余所に、ずっと泣いて、泣いて、へたりこんだまま、泣き続けて、その声に、サイケの意識が戻った。つがる、と擦れた小さな声にほっとして、マスターに目を向けた。どうして泣いているんだろう。どうしてそんなに悲しそうに泣くんだろう。俺が突き飛ばしたから?痛かったの?でもいつだってあなたはサイケをもっと強く殴っていたじゃないか。マスター、よくわからない。考えていると、サイケがすっと手を伸ばした。マスターの胸元に、とんと指をあてて、顔をしかめて泣き叫んだ。
「いたいのとんでけ!!マスターのこといじめるなあ!!どっかいけ!いたいのなんて、どっかいっちゃえ!!」
「サイケ………」
「…………、…」
こいつはいつだってそうだ。自分のことなど何も考えてない。いつもその思いは他の人にばかり向いていて、その他の痛みに、驚くほど敏感で。優しい、じゃ形容できないくらい、こいつは温かい。
「…………痛いの、」
「いたいの、とんでいけ」
「「痛いのいたいの飛んでいけ」」
サイケの手に、自分の手も重ねて、マスターの胸に指をあてた。祈るように、憎しみではなくて、他の何か、サイケの心のような感情で、この痛みの塊のような人が満たされればいいのにと、何度も、共に唱えた。気休めの呪文を唱えた。でもそれは、ちっとも気休めではなくて、優しい、響きだったんだ。
泣きやんだマスターは、今まで見たことないくらいぽかんとした表情を浮かべて、それで、またぽろぽろと泣きはじめた。でも、俺にはわかった。その涙は、さっきみたいな痛くて苦しい涙じゃない。もっと優しくて温かい涙だ。
馬鹿みたい、とマスターは呟いて、サイケの頬に触れた。
「………ごめんね」
「ごめんね、"サイケ"」
マスターは、愛されたかったんだ。人を愛して、でもそれは返ってこない愛で。それでもかまわないと思っていたのに、やっぱり、愛されたくて、マスターは苦しんでいた。そうしていたら、ある日俺たちを引き取ることになった。自分と、自分の大嫌いな男がモデルになったアンドロイド。そんなに、考えずに快諾したらしい。ただで使える自分の手足が増えることを、少し楽しみにしていたくらい。
だけど、いざ目の前にしたら、許せなくなった。自分は誰にも愛されないのに、目の前の自分と同じ顔のロボットは愛されようと無邪気な笑顔を向けてきた。それがどうしようもなく腹が立った。まるで愛されない自分自身が媚を売っているようで、許せなかった。そうして、殴った。でも、何も変わらない。むしろ、俺がそんなサイケを愛してしまったから、マスターはまた許せなくて殴っていた。
「殴るたびにさあ、みしみしいうんだ、心ってやつが」
「……………」
「お前らにもあるだろ?自分と同じ顔の奴が、人間でもないのに、他の奴に愛されるのがムカついたんだよ。その程度っていったら、その程度の理由さ。俺は、きっと、愛されたかったんだ」
「マスター」
「…………?」
「……おれ、ロボットだし、"あい"ってよくわかんないけど、おれマスターのことだいすきだよ」
「俺も……マスター、俺たちの世界にはあなたしかいない。だからってわけじゃないけど、俺たちは、あなたが大好きです」
「…………ッ、どこでそんな言葉覚えてくんだ、ばか」
マスターは泣き顔のまま弱く笑って、サイケの頭を撫でた。ありがとうというように。あの日見た俺の夢は、現実になろうとしていた。
*
「じゃあでかけてくる。遅くなるから夜ご飯はいらない」
「はい」
「いってらっしゃい!」
「………いってくる」
あれから半年がすぎた。
マスターは相変わらず、家事を全部俺たちに任せていろいろやっているみたいだ。ただ少し変わったのは、マスターがサイケの名前を呼ぶようになったことと、サイケを殴らなくなったこと……あと、前より笑ってくれることが増えた。サイケもすっかりマスターに怯えることもなくなって、今ではちゃんと一緒に仕事ができるようになった。なんというか……まだ夢で見たようにつまらない話を3人でしてはないけど、きっといつかできる日がくると思う。
「つがるー、洗濯物干し終わった、あいたっ」
「どうした」
「ドアに指はさんじゃった」
「たく……ほら貸してみろ」
「いつもの?」
「おう」
「いくよ、せーの」
少しずつだけど、きっと、いつか笑いあえる日がくると信じてる。
「いたいのいたいのとんでいけ!」
「痛いの痛いの飛んでいけ」
――――――――
津サイで臨也が暴力奮う話がずっと書きたかった。
珍しく(?)ハッピーエンドってことで