※10年後設定
※シズちゃんは普通の女性と結婚します








「臨也、」







「臨也、俺」







「結婚するんだ」







「まさかこんな日がくるなんて思ってなかったけどよ、」








「結婚、するんだ」







そう笑って言われたのに、果たして俺はどれだけ笑い返せていただろうか。

結婚。別に、何もおかしくはない。俺たちの年齢からしたら遅いくらいだ。それなのに、口の中で繰り返したケッコンという音は、俺の胸を締めあげた。ああそう、おめでとう。やっと言葉にしたらそれは酷く感情がこもっていなくて、そんな俺の顔をのぞきこんで「臨也?」と尋ねる顔は、10年前とほとんど変わらない。ただ変わったことと言えば、俺に対する表情と態度が柔らかくなったことくらいだ。

10年。
シズちゃんはその間に暴力を完全に自分の力に変え、低すぎた沸点は人並みくらいには上昇し、その力を自分の意志でコントロールできるようにまでなった。昔のようにキレて手当たり次第物を投げ付けてくることもなくなった。頭上から自販機が落ちてくることもなくなった。ちぎれた道路標識が全力でフルスイングしてくることも、もうない。昔のような殺し合いなど、まるで初めからなかったかのように、今はもう顔を合わせれば一言二言会話を交える程度。俺が喧嘩を売らなくなったのもそうだろうけど、なんというかシズちゃんははこう、性格的にわかりやすく"まるく"なった。刺だらけだった態度や言葉も、この間にまるく、穏やかになっていった。


シズちゃんに彼女ができたという噂は、よく知っていた。3年程前に街中の噂になっていたし、取り引きした相手にも必ずっていうほどそういえば、と話を持ちかけられるくらいに、よく知っていた。なんでもチンピラにからまれているところを助けたらしい。ベタすぎて反吐がでる。まあ、だから、確かに頃合いだったのだ。
その、結婚、するには。



それなのに、釈然としない理由など、俺が一番わかっていて



『いいよ、好きなようにしてくれれば』



思いだしたくもない自分の声と共に、あの日々の気だるい記憶が錆付いてぎしぎし軋みながら、その褪せた時を鮮明に目蓋の裏に映すのだ。何度も、何度も。


―――高校の、いつからかは思い出せないけれど、確か夏だったと思う。うるさいくらいの愛を叫ぶ蝉の声が、唇が触れた瞬間、鳴き止んだ気がした。



『俺が上手に抱かれてあげるから』





好きだとは、一度も言わなかった。
言えなかった。

シズちゃんは俺を想って抱いたわけじゃない。愛し合ってたわけじゃない。


その関係は、ちょうど10年程前まで、何度も繰り返された。愛していない。だけど、一度覚えた快楽は、若い男にはあまりに強すぎて、簡単には抜け出せなくなっていた。最初は、もうよく覚えてないけど、嫌がらせみたいなものだったのかもしれない。それで、いつからか俺は、そんな行為を"愛し合ってる"と錯覚していた。意味のない、こんな行為を、馬鹿な俺は愛だと思った。でも、シズちゃんはやっぱり俺が大嫌いで、そんなの初めから何にも変わっていなかったのに、俺はそんなことさえ忘れる程に、―――――




好きで、






彼が、好きで








シズちゃんと別れて俺はあてもなく池袋を歩き始めた。10年。長いようで、短かった。俺の後輩たちも、もうとうに出会った頃の俺の年齢を超えた。でも街より、何より変わったのはシズちゃんで、一番、ムカつくくらい名前が似合うようになっていったのは、シズちゃんで



始めたのは俺だったから、やめようと言ったのも俺だった。俺は逃げた。辛くて仕方なかったから。彼が俺を求めるのは、愛でもなんでもない、ただ行き場のない性欲を満たすためで、そんなことわかっているのに、それを愛だと思い込もうとしている自分も、全部、全部嫌で仕方なくて、




『今日で終わりにしよう?』




それは、あっさりと俺たちの関係は終わった。たった2秒で終わりを告げた。気持ち悪いくらい、綺麗に。さっぱりと。初めから何もなかったかのように。いや、当たり前なんだ。そこには、初めから何もありはしなかったのだから。俺は、あの日泣いていた。隣から消えた温もりが、自分から切り離しておきながら、恋しくて恋しくて、いまさら、かけがえのないものだったのだと気付いて、でも、もう戻ってこないことは誰よりもわかっていたから、俺は1人で泣いていたんだ。


結婚、ね。



シズちゃんはあの日々のことをきっと忘れてはいないだろう。だけどあの、10年前のあの日から、シズちゃんはこの秘めごとを俺に話してくることはなかった。一度も。当たり前なのかもしれないけど、それを求めるほど、あの日々がなかったことになるのが、淋しくて仕方なかったんだ。あの時の感情も、言葉も全部失われてしまうようで、全部偽物だったけど、俺にとっては本物になっていたから、消えてほしくなくて、それほどに彼が愛しくて。あの日切れた関係。だけど、俺は今もこうして心の隅でそれを引きずっているから、何年たってもあれ以来恋人は作れてない。きっとこれから先も。俺だけは、あの日々があったことを一生忘れられなくて、俺だけは、もう誰も好きになることなんてできなくて―――――



「―――……なんだよ、結婚って」



俺は泣く。
あの日のように。あの日と同じように。裂けるような痛みはきっと一生消えない。なのに俺は捨てられないんだ。あの日々の、褪せていく記憶も気持ちも、何もかも。



――――――――
10年後は昔から書きたかったネタです。
不憫すぎる臨也の片思い。これで両片思いだったりしたら切なすぎて泣くわw

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