折原臨也。






その漢字四文字ひらがな七文字アルファベット十二文字に、一体どれだけの人間が
嵌められ、苦しめられ、貶められ、嘲笑され、利用され、突き放され、捨てられ、拾われ、育てられ、騙され、傷つけられてきただろう。

その名はもはや呪咀とも呼べる。
だが神とも取れる。
傷つけられた人間ならば尚更。





俺がそうだ。
臨也さんは別段口が悪かったり、乱暴だったりするわけじゃない。
(ある意味では口が悪いのだけど)

むしろあの人間は優しい。
優しいのに、それは擬態。
優しさに擬態した欲望。


獲物を捕らえるために進化したあの人の擬態能力は、きっと世界でも類を見ないはずだ。
罠にかかっていることに気付いたときには、どんなに逃げたくても、どんなに恐ろしくても


「また逃げるの?」


その一言で俺は逃れられなくなる。
逃げるなと言われているわけじゃない。
なのに俺は





「逃げられるとでも思ってるの?言ったよね?過去は消えたりしない。酷く寂しがりやだからさ。それは君にとって神と同一の存在なんだよ?だから、もう諦めなよ。逃げるのなんて。君ももうわかっているんでしょう?無駄なことだってさ。自分が年端もいかない子供だからって許されるとでも思った?中学生のときとなんら変わらないんだね君って奴は。残念ながら、許されないよ。永遠に。だって逃げたのは君でしょ?」



耳鳴りがする。
経のようにつらつらと紡がれる言葉。
饒舌、よく動く唇。
目が回る。
逃げ出したかった。
だけどできるわけなかった。



「……臨也さん」

「んー?」

「俺を殺してください」

「そうやってお願いして俺が快諾するとでも思ってるの?」

「いや………思ってないです」

「だろうね。俺には君を殺す義理も理由も、ない。でも君が死にたがる理由には興味があるなあ。死にたいなら死んでいいよ?その代わりそれ相応の理由を俺に教えて?」




にやりと、いやらしい顔で臨也さんは俺を見た。
いつものように呼び出されて、いつものように臨也さんの家を訪れて、いつものように言葉の暴力を振るわれる。
いつも、それだけ。
飽きれば帰っていいよと解放され、それでも飽きない日は臨也さんの家へ泊まり込む羽目になる。
それはよく言えば気まぐれで、悪く言えば束縛。
離してくれない。過去も、臨也さんも、
俺を捕えて離さない。


「どうして死にたいの?」



死にたいわけじゃない。
でも、多分そんなこと臨也さんはわかってる。言わなくても、そんなこと当の昔に、俺が気付くよりもずっとずっと前にわかっていて、その上で意地悪く聞いてくるのだ。
ここでこうして思いを廻らす俺の気持ちなんて、もうとっくに見透かされてるんだろう。


恐怖……、もある。

でもそれは全体の感情のほんの一部。
恨み辛みも憎しみも、ないわけじゃないけど、主だったものではなくて、一番多いのは、変な、感情。
矛盾というか、愛憎がどちらもどっかりと居座っていた。



「臨也さんを」



にやにやと笑うその顔は、ちっとも真剣じゃないのに
俺は勝手に緊張して、言う前からかあぁと顔が熱くなるのがわかった。
今言うことじゃない。絶対。



「臨也さんを、好きに、なってしまったから……です」






臨也さんの顔が凍り付いた気がした。
怒ってはいないと思うけれど、意味がわからないと言うような顔。
初めてみる表情だった。他人にこういう顔をさせるのが得意なはずの臨也さんが、そんな表情を浮かべたまま動かなくなるから、俺も不安になって、動けなくなった。
どうしてだろう。
俺はどうしてこの人を好きになったんだろう。こんな人間を愛してしまうくらいなら、死んでしまったほうがまだずっとずっとマシだというのに、そんなことくらい嫌というほどわかっているというのに、どうして

どうして、こんな奴を



「意外だなあ」



笑う。
目をそらしていたほんの瞬間に臨也さんはいつもみたいないやらしい顔に戻っていて、にやついては言葉を探す俺の隙を奪うように呪咀のような言葉を優しく呟いて


「君は俺のことが嫌いだったんじゃないのかい?」

「……嫌いです」

「おや?言ってることが全然違うじゃないか。そりゃそうだよ、普通の人間の感覚なら俺なんかを好きになるわけがない。それだけのことをしてやったんだからね、君に。それなのに好き?その上好きになったから死ぬ?こりゃあ傑作だ」

「臨也さん、」

「俺のことが嫌いなはずなのに心のどっかでは妙な気持ちになってる自分がいて、でもそれを認めてしまうのは今までされてきたことを考えるとどうしてもできないから、それならばいっそのこと死んでしまったほうが楽だと思って、それでも自分で死ぬほどの勇気もあるわけないしこの程度のことで死ぬのは勿体ないから拒絶されるのをわかっていながらつい俺に殺してくれってたのんでしまった。ってとこ?」

「……………」

「好きだって言う気持ちを好きな張本人に解説されて言葉もないくらい傷付いてるのかな?」

「………大体、そんな感じです…」




そうだ、そんな感じ。
俺より臨也さんのほうが俺のことをよく知ってる。そんなの自然の摂理だ。
当たり前すぎるほど当たり前。

ああ、そうだそんなの知ってる。知りすぎてる。
だから俺はここにいるんだ。
だけどもう消えるんだ。




「臨也さん」

「ん?」

「さよなら」





そうだ、これは別れ。
だけど嘘。
きっと俺はまたここへ戻ってくる。
だから、臨也さんをにくんだ俺は、別れを告げなくちゃいけない。


臨也さん、さよなら

きっと二度とあうことはないでしょうね



さよなら

俺は嘘をついた。
別れないのにそういった。



ああ、そうと臨也さんはくすりと笑って


「うん、またね」


そう言った。

きっともう会わないでしょう。
だけど、愛してしまったから


俺はもう逃げることなどできないんだ。






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あなたを嫌った日々にさよなら

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