「ねえ、」



声がする。
変声期は終わったはずなのに、なんだかそれはまだ幼さの残る透明な音。
凛とした、だけど、どこか揺らいだ、言葉にはならない、響きだ。


ねえ、

また、それが俺を呼ぶ。
お互い、衣服を身につけていなかったから寒いのかななんて思って布団を肩まで引き上げてやった。
ベッドの上で仰向けに、枕の分、俺のほうが頭一個分高かったけれど、こちらを向いて横たわっている隣の男はしつこくもう一度ねえ、とひとりごとのように控えめに呟く。


「何だ」


三回目にようやく反応したのは、別に理由はない。
ただ、返事を求めていたのかなと憶測したから、語尾もあげずにそれだけ言った。



「死にたい」

「どんなふうに」

「んー苦しまずに」

「随分ぜいたくだな」

「じゃあうんと苦しんで」

「簡単に妥協すんだな」

「だって死ねたらなんでもいいもん」

「理由は」

「ないよ」

「そうか」

「わかって聞いたんでしょ?」

「そうだな」

「シズちゃん、俺、死にたい」






さらりとする会話ではないのかもしれない。
でもたぶん、今のこいつの眼を見たら、誰でも納得する気がした。なんとも言い難い、死んだような目。
その割に死にたいと話しているときはそれは楽しそうに笑うのだ。


折原臨也は死にとり憑かれた。


彼は、死を愛している。
いつからか、わからないけれど、壊れたと表現するべきか、それとももとからこうだったのか。

きっと臨也はそのうち本当に死ぬだろう。
自分が一番気に入った死に様を探して、それを見つけたとき、どんな手を使っても、死ぬだろう。


そして俺は壊れるだろう。
たった一人の愛した人間を失って、その悲しみにくれるだろう。


わかってる。目に見えていた。
なのに、止めようともしない。
こいつの死に様を知りたいから。



「第一候補はなんだ」

「なんだろう」

「いつ決まる」

「わからない」

「わからないことばかりだな」

「わからないことしかないよ」



に、と笑う臨也に、笑いかえせないのは、今に始まったことじゃない。
笑いたくないから笑わない。それだけ。


臨也はどうして死ぬだろう。
俺はどうして死ぬだろう。

どんなふうに、死ぬのだろう。

それは、この世界で、誰にもわからないこと。
誰しもにおこりえる必然だというのに、誰も、それを知らないのは、何故だ。

もし知っていたらどうだろう。
自分の死に様が気に入らない場合は、絶望しながら死ぬのだろうか。


臨也、お前はどうやって死にたいんだ


言葉にしない。
尋ねない。
語尾をあげないのは、なんとなく怖いから。
尋ねるのが、怖い。違う、臨也が死ぬのが、怖い。


こんなに近くにいる、一番近くにいる、一番愛している、一番、失いたくない


でも、臨也は死にたいと笑う。



「何がいいかな?」

「死ぬときゃみんな一緒だろ」

「違うよ」

「死ぬってのは息が止まって心臓が止まって体が冷たくなることだ。それは誰でも同じだ」

「そんなの嫌だ」

「どうして」

「俺は、俺の死に方がいいんだ」

「わからないな、お前の考えてることは」

「俺もだよ」

「……………」

「俺も全部わかってないんだ」

「…………」

「俺も全部わかってるんだ」

「……………ああ」

「だから、死にたいんだ」

「臨也」

「ん?」




「苦しいんだな?」







初めて、問うた。
ぽかんと俺を見つめるその眼は、次第に滲んで、最後にはぼろりと涙が落ちた。
まばたきをするたび長い睫毛が、涙をはじき出した。切れ長の狡猾そうな瞳が、今は、子供のように丸く、そして紅く充血していた。

じっと、顔をそっちに向けてその顔を見る。

なにも言わない。
でもわかっていた。

臨也は死にたいなんて思ってない。


救われたいと願っていること、
痛いと嘆いていること、
矛盾に捕われていること、
愛されたいと祈ること、
愛したいと藻掻いていること、
死にたくないよと叫んでいること


そうだ、俺だって全部わかってるんだ。
全部わかってないんだ。
全部わかってるんだ。


臨也、知ってる。わかってる。
言葉にしないのは、しなかったのは、どこかでそれが逆にこいつを傷付けるんじゃないかと、不安だったからで



「………臨也」

「………………」

「生きてていいんだ」

「……………」

「生きてて、欲しいんだ」

「………………でも」

「臨也」

「でもね、シズちゃん」

「……………」

「それでも死にたいんだ。やめたいんだ。だって、………っ、て、……ひくっ、ぅあ、あぁぁああ!!」

「…………うん」

「だ、て、つらい、ひく、くる、しい、よ。生きてるのは、つらい」

「うん」

「く、うわぁぁあああ!!ああああ!!もうやだ、もう嫌だ!!もう、もうやめたいんだよ!シズちゃんなんかわかってない!!俺のことなんか、わかってない!!誰も俺のことなんかわかってくれない、俺なんか、俺、なんか…………あ、」



抱き締めたら、おとなしくなった。
キスをしたら、涙が落ちた。


「……………好きだ」

「ひく、……ああ、シズちゃん、俺は」

「大丈夫だから。わかってやれてんのかわかんねえし、何根拠に大丈夫なんて言ってんのか俺にもわからないけど、俺はお前が好きだ。一緒にいてやる。つらいときは今みたいに泣いたっていい。笑ったりしない。怒ったりしない。苦しいならそういえばいい。それでももし、どうしても死にたいときは」

「……………」

「俺が一緒に死んでやる」







ゆっくり、眼を閉じた臨也の顔が、妙に脳裏に焼き付いた。
その頬に伝った涙は、恐ろしいくらい綺麗に見えて、


口付ける。
愛したこいつを、俺のわがままでこの世に縛り付けておけるならば、


臨也、俺だって死にたかった

こんな力持って生まれて、愛されないんだって、愛しちゃいけないんだって、このさきずっと一人なんだって思ったら、怖くて、怖くて死にたかった。
自分が一番怖くて、死にたかった。


なあ、臨也。

わかるよなんて言わないけれど

こんな俺のたった一つのわがままだから

どうかもう少し、俺と生きて

お前の死に様を見るのは、もっとずっと先がいいんだ。



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