臨→←正(シリアス)



「やめにしませんか、そういうの」

「どうしてだい?君に指図される覚えはないんだけどな」

「見てるほうが嫌なんです」

「なら見なきゃいい」

「……それは、」

「どうしてできないの?嫌なら見なきゃいい。俺は見せ付けた覚えなんてない。ただ、切っただけだ。こうして」



ぴ、と切れ味のいいナイフは俺の神様の腕を裂いた。
すぐに赤い血がルビーのように丸く浮き上がって、臨也さんはにやりと笑った。笑った理由なんて知らない。だけど、その意味のない行為を楽しんでるみたいだった。笑った顔は、誰かが自分の思い通りに動かなかったときの「へえ」と感心するような顔に似ている。やめにしませんか、なんて言ったって無駄。そんなこと知っていた。そのくせ、俺はそれをもう三回は言った。言ったから無駄ってわかってるわけだけど、言わずにはいられなかったというか、彼が傷付いているのをあまりみたくない。なぜかって言われると困るけど、何か、よくわからない心の部位が悲鳴を上げる。嫌だ、見たくない、と。目を背けようとする。そんな心に従って、目を背ければ、どうしたの?ととぼけた笑い混じりの声が耳をついた。


「君は、俺が傷付くのを見たくないわけじゃないだろう?」

「……それは」

「君はいつだってそうだ。自分が傷付きたくないから、誰かが傷付くのを見たくないのだろう?刄の矛先が自分に向けられるのが怖いのかな」

「………わかりません」



唇を噛んだ。じんわりと乾いていたそこが湿っていった。

"愛する誰かが傷付くのを見たくない"

それは、多分多くの人間が抱く思い。だけど、いざそれが目の前で再現されたとき、その"見たくない"をどう表現するのかは、人によりけりなんじゃないだろうか。俺の場合、それは文字どおり、見ないふりをすることなんだけど。

この人の考えてることは本当にいつもわからない。何を思ってか、ある日突然俺が見ている目の前で取り出したナイフを手首にあて、すっとなめらかに皮膚と毛細血管を切り裂いた。滲む血が、はじめは何かもよくわからず、ルビーより深く紅い妖しい色をしたそれを美しいとさえ感じていた。三度目その刃が手首を裂いたとき、俺はやっと

何しているんだ

と当たり前すぎることを思った。何って、名を知らないわけではないけど、ただその行為の本来のセオリー通りの意味とへらへらと楽しげに笑う緊張感や悲愴感とはかけ離れた当事者とのギャップにあわてて止める必要も感じられなくて、その無意味さに、むしろ何を言えばいいのかさえわからずにいた。
傷が10を超えた頃、やめてくださいと言った。
傷が20を超えた頃、彼は笑って言った。


『たいして痛くないくせに大袈裟だよね、これって』







それは思い悩む少年少女への冒涜かと尋ねようとしたが、無駄であることなど明白だったから口にはせずに唇を噛んだ。


あの日のように、俺は唇を噛んだ。俺を過去に縛り付ける俺の神様はけらけらと笑いながら自傷を止めない。俺が見ているときに限って。そのくせ見せ付けてないと言うから困る。理由もわからずに、目の前の人間の腕に傷が増えていくのを見るのははっきり言わなくとも、不快だ。止めても無駄だよ、とは彼は言わないけれど、絶対に、止めても無駄なんだろうなと思う。だって、そういう人間だ。この人は、自分の腕を切ることで俺がどんな反応をするのか見たかっただけだろう。つくづく嫌な男だ。


「臨也さん」

「ん?」

「それ、いつ終わるんですか?」

「いつ、ねえ……いつだろうねえ」

「聞いてるのはこっちです」

「そのくらいわかるよ」

「じゃあ」

「君がそんな顔してくれている間はやめてあげない」











つくづく嫌な男だ。
思わず顔に手を触れた俺に、「そんなんで自分の表情わかんの?」とけらけら笑った臨也さんは今度は、見た目天使で中は悪魔のような顔で笑う。もう知ってるから見分けもつく。散々騙されたから、わかっていた。

俺はどんな顔をしていたんだろう。今更鏡を見に行ったって、悪魔に取りつかれげっそりとした顔色の悪い俺の顔があるだけだろうし、無意味なのはわかっていた。

そんなことばかり考えて惚けていた俺の顔を一瞥して、また臨也さんは手首にナイフを当てた。ああ、どうしてこんな男にほだされてるんだろう俺は。止めても無駄なのをしりながら、俺は一体あと何度この行為を止めるのだろうか。わからないし、考えると途方もなかったから、もう考えるのはそれでやめた。



「やめてくれませんか?」






くすくす。しめしめと笑う狼のように







「やーだよ」












彼は自らの腕を、軽快に切り裂くのだ。いつまでも

俺の、目の前で。










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お題H
好きな子を困らせたいダメ也

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