………無邪気すぎる。














波というのは面白い。

幼い頃は寄せては返すその姿が大きな生き物のように見えて、追い掛けては逃げ帰りを繰り返したものだ。



だが





「あはははっシズちゃん、やばい!!おいでって!!」






だからといって二十歳過ぎた(優男とはいえ)男が海岸できゃーきゃーはしゃいでいるのはどうかと思う。
日も落ちて周りには誰もいないからいいものの、下手したら通報されるぞ。
他人面したいと思ったりするのだけど、波に追われて自分のところまで満面の笑みでかけてくるそんな人間を、可愛い、だとか思ってしまうのは
惚れた弱みと言う奴か。



「おい、服濡らすなよ?」


「えへへ、靴脱いでるから平気だも〜ん」


「テンション高……」


「だってシズちゃんと2人で旅行なんて無理だと思ってたし。絶対断られると思ってたから行くって言われたときはそれはびっくりしたよ。ほら、シズちゃん冷たいから」


「冷たくねえ。俺を嫌な奴っぽく言うのはやめろ」


「え?シズちゃんもしかして自分のこと良い奴だとか思ってる?あいたたた、痛いよシズちゃん、人間として」


「………調子に、のるなよ!?コラ臨也ああああ!!」


「あっはははは!こっちだよ!!」





砂浜に下ろしていた腰を跳ね上げるように立ち上がり、ゲラゲラ笑いながら海に向かって逃げる臨也を追う。

端から見たら吐き気を覚えるほど少女マンガ地味たその光景に多少躊躇したが、今は苛立ちの方が大きい。




波が引いていく。
それに合わせて裸足の臨也も沖に向かって走っていくから、それを追って俺もぬかるむ砂浜を走る。
手を伸ばし、ようやく臨也の襟首を掴んだ。
うえ、と猫が踏まれたような声を上げて観念したようにくつくつと漏れる笑い声。




「あ、シズちゃ……」


「あ"?っうお!?」





押し寄せてきた波から逃げようと踵をかえした臨也とぶつかって、そのままひっくり返った。
挙げ句の果てに波をかぶる。
まだ春先だ。
海開きまで後数ヶ月ある。
まさかこんなところで一足先に海開きする羽目になるとは思わずに、刺すように冷たい海水にくしゅんとくしゃみをした。




二度目の波にあたる前にと慌てて波の届かない砂浜まで走る。


………最悪だ。


真水ならともかく海水は酷くべたつくから嫌いだっつーのに。




「あ〜あ……、くしゅっ」


「こっちのセリフだノミ蟲が…。ほら」





ぱさりと砂浜に置き去りにしていた上着を臨也に放り投げる。
暫くきょとんとしていたが急にもじもじしだして、ありがとうと聞こえるか聞こえないかの声で言うから流石に怒る気も失せた。

そっと頭を撫でれば気持ちよさそうに目を閉じる。


……猫みてえだな。


面白くなってわしわしと柔らかい黒髪を撫でる。
どうしたの?シズちゃんと上目遣いに尋ねられてたじろいだのは気のせいではないようで。


風邪引くから戻るぞと星空の下呟けば、うんと頷く臨也の顔が月明かりに蒼白く照らされていて。
白いな、なんてふと思う。
海岸沿いのホテルに向かって歩きだせば、奪われるように手をとられた。
絡み付くように腕を組まれて重いと悪態をつけば、俺は重くないだのわけのわからんことを言われて。



「……なんでこんな奴に惚れたかな…」


「ん?なあに?」


「なんでもねえよ。つか、重いっつってんだろ、放せ馬鹿!!」


「馬鹿に馬鹿とは言われたくないなあ。あははは」


「手前………」






波音に掻き消された言葉に首をかしげた臨也が妙に幼く見えた。
どうでもいいことだが。
でもそんなどうでもいいことにあからさまにドキリと呻くこの心臓に、馬鹿野郎と呟いてみた。


シズちゃん、


名を呼ばれて腕に抱き付く臨也を見れば、目を細めてくすりと笑われる。
さっき俺が濡れた手で撫でた髪の毛はじっとりと湿って、月明かりをきらきらと反射させていた。
波の音が遠くなっていく。
吸い込まれるような黒めがちな瞳のなかに愛想の悪い男が立ちすくんでいて。
どうしてだろう。
こんなにも、傍にいるのに、
未だにこいつがわからないときが多くて
否、そればかりで

どうしようもないくらい、誤魔化せないほどに眩む心を、
想いを、伝える事ができずに、傷つけて、傷ついて、
いつもそれの、再演





「シズちゃん、」


また呼ばれてはっとする。
覚醒した脳が自らを嘲笑うかのように急速に思考回路を回転させた。


なんだと尋ねれば、あんまり顔を見つめるなと
頬を膨らますその様子はいつもならうぜえと殴りかかる、それ。

気まぐれだ。

そうしなかったのも、思わず笑ってしまったのも。
潮の匂いを含んだ海風にきっと頭まで錆付いてしまっただけ。


「何で笑うんだよ」


「いや、意味はねえ」


「ふうん。……ねえ、あのさ」






ぎゅっと臨也が袖を引く。
立ち止まり二歩ほど後ろに立っているバカに、振り返って何、と尋ねれば





「ちゅーしようよ」




「……………どうしたらそんな恥ずかしい言い回しでものが言えるようになんのかが知りてえ…」


「ええ?なんで、別に恥ずかしくないだろ?も〜シズちゃんの恥ずかしがり屋さん」


「るせえ」


「ねー、いいでしょ?」


ねーねーと腕をひくから、ごつ、と頭を軽くこづく。
痛いと頬を膨らませて睨んで抗議の意をとなえてくるから、ダメだと一蹴した。


別にしたくないわけではない。
そういうことの期待を持たずにここにやってきたのだと言ったら嘘になる。
ただ、臨也と2人きりというこの異質さが、なんとなくむず痒いような気持ちにさせて。
ああ、そうだ。

つまり、

気まずい。

だからこうやってせがまれて、それに応えた後、
俺はどんな顔してりゃいいんだとか、どんな言葉をかけりゃいいんだとか、どんな気持ちでいりゃいいんだとか、

どこまで応えればいいのか、とか

抱き締めてやったり、キスをしたり、撫でてやったり、抱いてやったり、それから、

求めることなんて、きっと幾らでもできる。
求められることだって、きっと幾らでもできる。
それはこのことに限ったことではなくて、世界に共通するであろう哀しい人間の性。
愛することも、愛されることも、
人間の本能で。
その本能の定義内で、俺も、他の奴らも、臨也でさえも、
恋をして、誰かを好きになる。

何度そのせいで傷付いても、そんな浮ついた関係を、懲りずに続けられるのはきっとそのせいなのだ。






「なんでさあ……」


「場所を考えろ。早く風呂入んねえと風邪引くしな」


「それなら早く部屋戻ろうよ!」






ぎゅ、と手を握られてぐんと走りだす俺の上着を着た臨也の後を、砂に足をとられながら追う。
その背中を見て、
"バーテン服以外でも服着るんだね、シズちゃんて"
そう笑った顔を思い出して、ああ本当整った顔してるなこいつはと思い出して。
切れ長の目は昔に比べてキツさが消えた気がした。
なあに?と見上げてくる姿はなんとなく人懐っこい動物のような感じ。
動物のように本能的で貪欲で

こいつは愛に飢えていて、獣のように渇望する。
愛してほしいと、愛していると、
臨也は訴える。


そんな男に俺は一体どこまで応えられているだろう。

壊したり、傷つけたり
そんなことばかりの
この俺が。

こいつは自分の本当の気持ちはあまり言わないから、俺はことごとく鈍くて、こいつの変化に気付けないことのほうがずっと多い。

そのせいできっと何度も気付かない場所で傷付けていて、その自覚もある。

なのに哀しいくらい、俺は不器用で。
そこまで思って虚しくなり、はあ、とため息を一つ落とした。







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