俺は人間が大好きだ。
愛してる。
魅入られたこれは一種の恋愛感情のようなものなのかもしれない。
その中で個々の人間を愛してるわけじゃなく、人間という名の種族を愛している。
どれというわけでないけれど、動物が好き。
そんな感じ。
人を好きになるということは簡単なことだ。
嫌いになるよりずっと簡単だ。
ああ、なんとなく好き。
そう思うだけでいい。
でも、自分が好きな人に好きになってもらうのは難しい。
自分と同じ気持ちになってもらうことは、本当に難しいことだ。
だから、あるわけない。
その辺の女ならまだしも、こんな、こんなことって…
「……………」
「…………………」
「………シズ、ちゃん…?」
「………ぁ、…わ、りぃ」
シズちゃんは俺を突き放すように離れて、もう一度悪ぃと呟く。
謝られたいわけじゃないのに。ただ、驚いて、なんでだなんて、それだけ思う。
だから、溢れる問いに本当に聞きたいことなんて言えず、ほとんど無意識に言った。
「なん…なの、一体」
「………悪かったって」
「違う、謝られたいんじゃない!…なんで、こんな」
「………意味はねえよ、ただ、つい…」
つきりと、胸が痛んだ。
刺が刺さったようなチリチリとした痛み。
何度も感じてきたけれど、何だか、小さなその痛みが、甚く刻銘に残されていた。
ああ、そう
つい嘲笑して、そう放つ。
シズちゃんはやっとそらしていた眼を怪訝そうに戻して、代わりに俺は目線を外して、淹れっぱなしの机上のコーヒーをぼんやりと見つめた。
「…シズちゃんは、意味もなく嫌いな男抱き締められるんだ?
すごいねえ、尊敬するよ。シズちゃんが何考えてるかわかったことなんて一度もないしわかりたいとも思わないけど、今ならわかるかも。
『誰かを抱き締めたいのに俺が抱き締めると壊れてしまう。だから怖い。でもこいつなら壊れてもいいしそういうとこ鈍そうだから傷付くこともなさそうだ。いやむしろ傷つけばいい。だって大嫌いだから。
死ねばいいと思ってるから「黙れよ!!」
「黙らないよ。何?図星?だから聞きたくないの?」
「そんなわけねえだろ!!俺がいつそんなこと「じゃあ何でだよ!!
なんで俺のこと抱き締めたりしたんだよ!!
なんで、なんで頼んでもないのにあのとき俺のこと助けに来たんだよ!!それとも助けに来たなんて、ただの俺の自惚れ?自惚れだっていい、上等さ!!何考えてんだか知らないけどさ、俺だってあんたに助けられたせいでプライドズタズタだよ。感謝されたいから助けにきたなんて考えてないけどさ、俺のこと嫌いならほっとけばよかっただろ!!
なんで、だよ。なんで…命懸けてまで、あの扉開けたんだよ!?
俺、……俺怖かった。シズちゃんが、死んだって思ったとき、すごい怖かった。何で、俺だってわかんないよ、ああもうわけわかんない。わかんない……シズちゃんなんか、…本当に、大嫌い。シズちゃんなんか嫌い、大っ嫌いだ!!」
「嫌い……って、さっきは好きだのなんだの言ってたくせによ!」
「き……聞いてたのかよ!?」
「人んちの玄関先で泣き喚いてるほうが悪いんだろうが!!」
「っ………ああ、―――ああ好きだよ、だから何!?気持ち悪いならそういってくれてかまわないさ。笑いたきゃ笑えばいいだろ!?わかってんのになんでわざわざいわせんだよ!
なんで、あんな……ちょっと期待させるようなことしたんだよ」
シズちゃんをぎっとにらみつける。
やっとぶつかった視線にお互い怯んで。
俺なんてそれだけで涙が出そうになって。
なのに、いや、だからシズちゃんが、急に怒りから冷める。
すっと、妙に色っぽい顔をするから、どきりと胸が騒ついた。
苦手なのに、こういうの…
俺は顔立ちがなかなかいいらしく、昔からよく眉目秀麗なんて言われていた。
自負しているわけではなくて、ただ言われているからそうなんだと、その程度に自覚をしていた。
だからなのか知らないけれど、人の顔が色っぽいだのかっこいいだのそういうことはあまり感じなくて。
だから自然とそういうことでドキドキしたりすることもなかった。
苦手。
そう、苦手なのだ。
この逃げられない、外せなくなる優しい、でもぎらぎら獣のような視線も、
少し眉間によった皺も、
俺の名を遊む唇も、
その声、すらも
魔法のように、
否、これはそんな綺麗なものじゃなく
蛇のように、縄のように
はたまた鈍色の冷たい光を放つ鎖のように
俺を締め付けて放さない。
再び俺を抱き締めた不器用な、世界で一番逃れるのが不可能なこの腕すら、
今の俺には、
「………いや、だ。やめて、はなして…。も…おかしくなる………」
「なれよ」
臨也
俺を呼ぶ。
シズちゃんは、抱き締めながら俺を呼ぶ。
その気になればすぐ壊せるのに、ガラス細工にでも触れるかのように、
優しく抱きやがって。
「……手前が、」
シズちゃんの胸元へ押しあてた額から彼の少し早くなった鼓動を感じて、悪態も吐けず、反応もできず、ただ大人しく腕の中へ収まっていた俺は、多分どうかしていた。
それでも、俺は心のどこかで
幸せだなんて、感じていた
「手前が他の、俺の知らねえ男にあんなことされて…自分が想像している以上に嫌だったんだ。いつもならいい気味だとか、その程度に思っただろうにあんときだけは、すげえムカついた。すげえ嫌だった、悔しかった、哀しかった。
そんで誰より俺自身が憎かった。
こんな身体にならなけりゃ何も起こんなかったんじゃねえかとか、柄にもなくそんなこと思った。
あのとき手前が死んだんじゃねえかって思ったら、怖くなった。俺は…大バカヤローだ。わかってたのに気付かないふりしてたんだ。
きっと、どっかで」
よくしゃべるね、
そうもらせば一度しか言わねえからなとシズちゃんは続けた。
「俺は、手前が………手、前がよ………その…」
「はっきりしてくんない?」
「…っ、…わかってる!!」
「………心臓うるさ」
「うるせ………っ、だから!手前が好きだ、馬鹿臨也!!」
………俺告白されてんのに何で馬鹿呼ばわりされてるんだろう?
なんてそんなこと妙に冷静に思って、それからばっと頭をあげた。
想像以上にシズちゃんとの顔が近くて息を呑むと、かあああっとみるみる顔を赤らめたシズちゃんが俺が頭をあげたのと同じくらいの勢いで顔を背けた。
だけどシズちゃんは耳まで真っ赤にしてて、それはすごく無駄な行動に感じた。
「……俺のが恥ずかしくなるんだけど」
「う、ううる、うる、ううるせえ!!」
「そんなんなるなら最初から言わなきゃいいのに。かっこつかないなあ」
「本気で…しゃべるなよ」
真っ赤な顔して汗だくの、初めての告白を終えた直後の中学生のような、そんな顔でシズちゃんはやっと俺を見た。
なぜかその瞬間にやっと
ああ、シズちゃんは俺と同じ気持ちだったんだなんて思って。
誤魔化すようにシズちゃんは強く抱き締める。
痛いくらいのその愛情に、つい拙い動きで背中に手を回した。
「……臨也、こっち向け」
「…………?」
俯いていた俺はその促すような声にふと顔を上げた。
なのに視界は真っ暗で、
唇に触れた乾いた感触に…
もう、何も考えられずにいた
乾いていた唇が濡れそぼつほどに、シズちゃんに求められたキスは、離れていく。
俺は何にもできずにただ呆然とされるがままで。
でも、不思議と片桐とあんなことしたよりもあの不自然さというか違和感は俺の中にはなくて、すんなりと、ああキスされた、そう思っていた。
「………っは…」
「……悪い……とまんなかっ……………た、あ?」
真っ赤な顔したシズちゃんはみるみる蒼白して、信号みたいだなこいつはなんて思ったけれど、
どうしてシズちゃんの顔色が蒼くなったのかはわからなくて、どうしたの?と擦れた声で尋ねた。
「な、泣くほど嫌だったなら拒否れよ!!」
「…………は?」
俺から後ずさるように離れて、シズちゃんはおろおろと落ち着けずにいた。
そこで、ああ、俺は泣いてるんだ。
そう気が付いて、
何で泣いてるんだろう?
そう思って、導きでた答えに、もっと胸がしめられて。
ふえ、と顔を歪めてぼろぼろぼろぼろと隠すこともせずに、俺は泣きはじめた。
玄関先でしたように、子供のようにしゃくり上げながら、俺は泣いた。
シズちゃんがぎょっとして何を思ったか風呂場からでかいバスタオルなんて持ってきて、
しかもそれを俺ではなく自分の頭にかぶるという混乱ぶり。
ああ、シズちゃんに、キスされた。
シズちゃんと、
誰でもなく、シズちゃんと、