そこは、



甚く不思議な世界だった。

秋の陽に枯れはてた紅色の木の葉のように、
くるくるくるくると回り、落ち、風にもまれるように上下左右世界が揺れて。
真っ暗な、混濁した世界に呑み込まれる。

寒い、冷たい。

酷く、絶望し、孤独感に打ち拉がれた。

どうしようもないほどに途方に暮れて、鉛のように重い体を横たえたまま、ただ涙だけが湯玉のごとく溢れてはぽろぽろと落ちる。
目蓋の重さに目もあけられない。
倦怠感が体を容赦なく押しつぶそうとしていて、怠さというより寧ろ金縛りに近い感覚だ。

喉が絞められているように苦しくて、顔をしかめてみてもたいして何も変わらなかった。



(シズちゃん、)



陸に打ち上げられた死にかけの魚のように、ぱくぱくと声も出ないのにそう呼んで。

でもすぐに力がつきて、また、涙だけが流れて。


好きで、


好きで仕方なくて



シズちゃん、どこにいるの?


ああ、何も見えないよ。
真っ暗だよ。

怖い、怖い

シズちゃん、シズちゃん助けて……。















不意に、誰かにその涙を拭われた。
それは、不器用で雑な、でもどこか優しい、驚くくらいに温かい手。
冷たく堕ちた世界が、そこから温まっていくのがわかる。
自分の止まりかけの冷たい心臓も、怠惰な俺にうんざりしたようにとくんとくんと動き始めた。


その手はしばらく、汗に濡れた前髪を寄せたり、頬に軽く触れてきたり、一匹の動物のように俺の顔を嗜んでからそっと離れていく。


行かないでと手を伸ばしたくて、温まりかけの体に動けと命じる。

傍にいて。

俺を独りにしないで。



寒いのはもう嫌だ。


ほんとは、俺は、ずっと………


*













「…………、

……っ、!


………、
……臨也、!
臨也、しっかりして!!」





「………、っ………ん…う、わ!!」

「臨也、よかっ――ぶふ!!」

「あ、……ごめん、新羅か。変態的な顔面が至近距離にあったからつい…」

「………謝る気ある?」






重い瞼をあけると、至近距離に闇医者がいて。
反射的に手が出てしまった俺にひっぱたかれた頬をさすりさすり立ち上がると、新羅は苦笑して元気そうでよかったよと、一言言った。
うなされていたらしい。

半身を起こして辺りを見回すと、そこは高校のころ、シズちゃんに怪我をさせられるたびに世話になっていた紛れもない新羅の自宅。
壁に背中をつけてぐったりと今尚倦怠感を残す身体を休ませる。

寝ててもいいのにという声に、これ以上はと無駄なプライドが見栄を張って、何も言わずにふるふると首を横に振った。





俺は、


生きてる



いや、生きてた



実際、死ぬと思った。
覚悟もしていた。
違う、本当は

死にたくなかった。

こんな俺でも、人にウザいと言われようが、死ねと罵られようが、性格悪いと言われようが、こんな、こんな風に捻くれた、高飛車な、俺でも

生きていいと誰かが、――――シズちゃんが認めてくれるならば、
格好悪いくらいひたすら、生に縋りついていたかった。


だから今、

泣きそうになる。


……最近涙腺弛みすぎ…。




「何か飲む?」

「水」

「了解」






膝に顔を埋めるように、白いシーツにぼすんと頭を落とす。

その場をたった新羅が、水を汲む音を聞きながら俺は、ほんの少し嗚咽を漏らした。



生きてた、


俺、生きてた


ああ、また、

あいつに会えるじゃんか。


最期まで孤独を貫くそんな外見的にかっこいい人間を、俺は演じようとしていた。
それが全部見透かされていることも知らず。


淋しいんだろ?


その言葉が、妙に腑に落ちた。
だけど自分でも気持ち悪くなるくらい、それは俺とは不釣り合いで。
独りになろうとして、俺は孤独を嘆いていた。
その上くだらないくらい、俺はそんなことに気付いてしまったことを恥じていて。





俺はずっと、淋しかった。

だからシズちゃんの、あの力がかっこいいと思えた。
非力な人間が、己の、思考世界の範囲を容易く凌駕する救世主を崇拝するように、

自分の持ち合わせていない、
努力という言葉ですら一生手にすることのできない、
絶対的な、
相対的な、
強制的な、
強く真っ直ぐな力。
流星のようにスッと、凪ぎに消えるようでいて、だが力強い、静かに燃えるような力。
いつもは冷えた青い静寂の炎。
ただ俺に向かってきたときだけ強く紅く燃え広がるような力。

欲しかったわけじゃない、でもすごく羨ましかった。
友達がかっこいいプラモデルを持ってる、面白いゲームを持ってる、珍しいカードを持ってる、それが羨ましい。そんな感じだ。




俺はその力に生かされた。
今や彼の力に呑まれた気すらしていた。
シズちゃんは大嫌いだった。
いやだけどもしかしたらそれは、それこそ嫉妬だったのかもしれない。


俺は持てっこない力だと。
それが甚く悔しくて。





ごちゃごちゃ散らかった脳内が少し片付いて、ほっと息を吐く。
いろいろありすぎたのだ。
仕方ない。


一度目を閉じて、開ける。
埋めた顔に、視界はやはり暗いまま。



「ほら、水」





頭をあげれば差し出されたコップ。
ありがとう、
珍しく素直に笑って、口をつけた。






「……シズちゃんは?」





思わずもれた問いに自分でも驚く。
どこまで俺は現実に居たんだろう。
片桐の会社に行ったところまでは本当だったろうけど、それからあとはどこまでが事実なのか。

ここにこうして新羅の家にいるということは、多分死にかけたのは本当だ。
じゃあなんで助かった?
朦朧とした意識の先で、俺の貪るような妄想は、シズちゃんの夢さえ見せていた。

あれは夢だと、自分に言い聞かせるようにそう思っていたその一方で、俺は新羅に、シズちゃんは?と尋ねたのだ。
自分がわからない。
きっと、シズちゃんが来てくれるはずないという現実と、あれが夢でなかったのではないかという淡い期待との激しい差異に、自己防衛が働いていたんじゃないだろうか。


新羅は酷く驚いたように目を丸くして、憶えてるの?と一言放つから、また、首を横に振る。



「憶えてるわけじゃない。シズちゃんは……俺を救けにきたの?それとも俺の妄想?わけわかんないんだよね…。記憶が混濁してて」


「静雄はちゃんと君を救けに行ったよ。夜中まで送られてきた写真のビルを捜し回って、昨日も日が昇る前からここ出てってさ。あ、臨也、君丸一日眠ってたんだよ?セルティが君らを運んできて……本当にびっくりした………って」


「……………」


「臨也?聞いてる?」





ああ、夢じゃなかった。
あそこに確かにシズちゃんがいた。
それで、なんかよくわからないけどシズちゃんは俺を救けようとして、



シズちゃん、倒れてた…



あの頑丈バカが、倒れてたんだ。
あれが夢じゃなかったなら、シズちゃんはどこにいる?
もう先に気が付いて出ていったのか?





「シズちゃん、は?……どこ?」


「あ、……いや、それが…」


「……………」


「……………」


「……ねえ、シズちゃんに何か……あったの?――――俺見たんだ、シズちゃんが扉の向こうで倒れてたの…。シズちゃんは?」


「………っ……」


「ねえ、新羅……。なんで…なんか言ってよ!!ねえ!!」



しまったとばかりに口籠もる新羅に、詰め寄った。


こんなの俺らしくない。


落ち着けと自分に言い聞かせてみるけれど、それでも頭は熱くたぎる。
混乱して、怒りや呆れや悲しみや、そんな純粋な感情などどす黒い屁泥の様な腐った何かに恐ろしくなるくらい容易く飲み込まれていって。

激昂した俺に反して、新羅は覚悟を決めたように静かに続けた。






「…………静雄も、本望だったと思うよ。君のことを救けられたんだから」



「ちょ……」



わけがわからない。
シズちゃんが、俺を救けるために…?

唐突に、電話での新羅の言葉が蘇る。
シズちゃんにとって放電することはよくないことだと、だからその起爆剤になる俺とは会えないと、そう言っていた。
もしもシズちゃんが、大量の電気を放出しなければならない状況、しかも俺を救けるためにそんな状況があの時出来上がっていたとするならば―――…







「待ってよ、何言ってんの、新羅。それ、何………そんなわけないだろ、だってあんな、殺しても殺しても死なない奴が、……」


「とりあえず落ち着いて、臨也。静雄はセルティが静雄の家に連れてったよ。…覚悟があるなら、会いにいっておいで」




それを聞くか聞かないかで俺はベッドから飛び降りて、黒い長丈のコートも着ずに玄関へ転がるように走った。
立ち暗んでよろけた俺をセルティが支えて、その礼も適当に扉を開けるとただひたすら事実を確認したい一心で外へと飛び出していた。


覚悟?

そんなものしるか。
そんなの、どうでもいい。

おかしいでしょ。
俺が生きてても、あんたが死んだら、そんなの意味ないだろ。
なんで嫌いな俺なんかのために、







見慣れた池袋を人の波を掻き分けて駆け抜ける俺に浴びせるような、擦れ違う人間たちの好奇の目。

空は、シズちゃんと最後に電話をしたあの日のように燃えるような夕焼けに染められていた。




いくつも信号を無視して

いくつも路地を曲がって

いくつも後悔ばかり数えて

いくつも、いくつも





息が続かずに人気のない路地裏で立ち止まる。
頭が痺れている。
耳がじんと痛い。
久しぶりに酷使された両の足はがくがくと震えていて、なんて体力も筋力もないんだろうと、自分の体を恨めしく思った。
引きずるようにまた足を進める。



シズちゃん、



泣きだしそうなのを堪えてそう呼んだ。







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