ここまで駆けてくる途中でセルティに会った。
新羅に言われてこちらへ向かってきて、俺と同じように正面から入れず裏に回り、破壊された扉を見付けて俺を探しに追ってきたらしい。
後ろから黒い靄に肩を叩かれ振り返ると斜め後ろを走るセルティがいた。
セルティはこの会社の内装を新羅から聞いていたらしくまっすぐ社長室へ、背中を追い掛けながら時間がないと気持ちばかり焦る俺を宥めながら案内する。
階段を何度も駆け上がって、そしてようやく社長室の前へと到達したのだ。
扉の左側の壁には確かにコードが切られだらしなく垂れた機械がはめ込まれていて。
込み上げるような不安。
何の音もしない。
臨也、
臨也―――――
「――――いざやぁああ"あ"あ"!!!いんなら返事しやがれ、コラ!!!」
そう叫んで扉に食い付くように突進した。
異様なほど分厚く、頑丈な扉は、俺の力ですら凹む程度。
まるでこれを想定して作られているような。
本気で破壊してやろうと思案しているとセルティが扉と俺の間を割った。
「んだよ、セルティ」
『扉のそばに臨也がいたら危険じゃないか?』
「………」
確かにそうだ。
俺はセルティの脇を通り過ぎて扉に触れ、呟く。
「臨也、…いるのか?生きてんのか?
………頼む、返事してくれ。
臨也……なあ―――――」
カツン
「………?臨、也?臨也、いるのか?」
「………、ズ……ちゃ……」
シズちゃん、
ああ、確かに聞こえた。
本当に小さな、擦れたような声が。
まだ生きてる。
臨也は生きてる。
「………よ………、た………」
「なんだ?なんて…」
「………よか…、た。……ゆめ、でも……ゲホゲホッ……
――――……さいご、シズちゃんの…こえ、きけて」
臨也の声は震えていた。
泣いているのなんて、手に取るようにわかった。
何も言えずに、俺も泣きだしそうになって、扉の向こうの臨也に届かない手を伸ばしたくて。
どうすればいい。
どうすれば、助けられる。
時間がない。
扉も壊せない。
ふと、腰の辺りに違和感を感じてポケットに手を突っ込む。
出てきた黒いカードに、はっと振り返る。
破壊されたリーダーからは二本のコードが垂れている。
「臨也、絶対助けてやる。だから泣くな、喋るな。
絶対死ぬな」
ゆっくりその機械に近付くとカードキーをセルティに放った。
『なんだこれは』
「ここの扉のカードキーだと。………セルティ、電源入ったら通してくんねえか?」
『は?………静雄お前まさか………やめろ!電気を大量に放出するのは身体によくないって…下手したら死ぬって新羅が言ってただろう!!』
コードを掴んだ俺を必死で止めようとするセルティに、にっと笑ってみせる。
「俺はバカでなあ。臨也が死んで、俺だけが生きてる世界なんて想像できねえんだ」
それに、
言葉を繋ぐ。
握り締めたコードから青白い光が弾けた。
「新羅の話なんて難しくてよくわかんなかったんだよ!!」
バチバチと、もはや聞き慣れた音が廊下に反響する。
今まで身勝手に動き回っていた電流を手の先に集中的に流すのは至難のわざで、時たま爆発するように身体から弾けだすそれに、吹き飛びそうになる。
足を踏みしめ、ひたすら電源のランプがつくことを祈りながら、身体中から電気を放つ。
手の先が痛い。
もしかしたら火傷しているかもしれない。
身体が猛るように熱い。
頭の血管が切れるんじゃないかと、そんなことを思うくらいに、
血液が沸騰しているような、そんな感じだ。
手が蒼白く光る。
海蛍ってこんな色だったかなんて思い返して、
より一層コードを掴む力を強めた。
ここで臨也を助けられなかったなら、俺は一体何のためにこの力を得たんだ?
望んでいたことではないとはいえ、この力のせいで臨也を傷付けたことは嘘ではない。
もしも神とやらの気紛れで、手に入れた力なら、臨也を助けるために。
死ぬな、頼む。
俺がさっさと気付いていれば、こんなことにはならなかったんだ。
がくんと膝が折れる。
朦朧とし始めた意識に下唇を噛む。
まだ、まだなんだ。
最後に一度くらい、役にたてよ。
失いたくないんだ。
あいつだけは。
でも、
一体、どうして
*
「…………ねえ」
「ねえ、なんでそんな機嫌悪いの?」
「雨が嫌いだからって、雨の度にその機嫌の悪さの矛先を俺に向けられるのは困っちゃうなあ〜。
じゃあ、こういう風に考えてごらんよ。
雨は、空の涙なんだって。
いっつもニコニコしてたら疲れちゃうだろ?シズちゃんみたいな図太い人間とは違って。したら、少しはキレたら可哀想とか、思うんじゃない?少しは、好きになってあげられるんじゃない?」
「…泣いてたらさ、慰めてあげれば?いつも笑ってるんだから、泣いたときくらい優しくさあ。そうしたら、また笑えるよ、きっとね」
「地面って俺好きだな」
「だって、上にのってる人間を怒らずに支えてるんだよ?…え?…いいじゃんたまには。別にファンタジー系の小説なんて読んでないよ。ちぇ、真面目な話してたのに」
「それ」
「鋏、自分でやったの?」
あの日俺は、死んでも弱味を見せてはならないと思っていた人間に、弱い自分を見せてしまった。
油断していた。
いつもは家でする自傷行動を俺はつい放課後の教室でやってしまったのだ。
意味はない。
ただ、なんとなく
紅い夕焼けに染められた教室に、床に落ちた血がわずかについた鋏の刃先と、刃先のない鋏を持って立ちすくんだ俺と、教室の入り口で同じく立っている臨也。
笑いたきゃ笑えばいいと思っていた。
自分の力が恐ろしくて、憎らしくて、俺はいつからか自分が大嫌いになっていた。
死ねばいいと思っていたのは臨也なんかよりも紛れもなく自分だった。
なのに中途半端に頑丈な身体は死ぬことも許してはくれず、わずかに自分を傷付けることで、その飢えを紛らわしていた。
臨也は教室に入って、落ちていた刃先を拾い上げて笑う。
「俺さあ、シズちゃんのことは大っ嫌いだけど、その力はねえ………ん〜…何て言うんだろう。そうだな、"かっこいい"と思うよ。すごく」
最初、臨也が何を言っているのかわからなかった。
かっこいい?
なんだそれ。
かっこいいって言うのはこんなものの事を言うんじゃないだろう。
そうか、きっと俺を嵌めてまた何かしようと
「………なんで」
違う、違う。
そんなでたらめ言ってるんじゃねえと、殴りかかるべきなんだ。
こいつの言うことが本当なわけあるものか。
なのになんでだ。
なんで目頭が熱いんだ。
なんでこんなに―――
「ん?なんとなく、だよ」
そうだ、
全部臨也だった。
俺の記憶の根底にあった、その何かは、その、誰かは
全部臨也だった。
俺は、あのあと、あの教室での会話のあとから、自傷行動をしなくなった。
なんとなく、そんな曖昧な言葉に、俺は認められているんだと、そう思えて。
俺は臨也に救われていた。
ああ、俺にとってあいつはこんなに、こんなにも大切だった。
臨也、俺は
お前に何をしてやれる?
俺は――――
*
意識を失いかけていたのだろう。
突然覚醒して、手の痛みに顔をしかめた。
蘇った記憶に、自然と涙が溢れていた。
なんだよ、俺はずっと前から
ずっと前から臨也のことが
こんなに好きだったんじゃねえか。
どうして今まで忘れていたんだろう。
でもそれくらいならわかるかもしれない。
臨也とはどうせそういう仲にはなれっこないからと、俺は忘れたんだ。
自分が辛くなるから、忘れていたんだ。
臨也、臨也死ぬな。
言わなきゃいけないことが出来たんだ。
バリバリと、電圧が上がる。
蒼白い光は自分の身体すら焼きそうな勢いで。
「臨也、俺は………」
「……シ、ズちゃ………おれ……は」
「―――好きだ」
「……っすき、だよ…」
同時にそんなことを言い放ったなんて、
俺たちはどちらも知らずに、ただ、お互いを思って必死に生きていた。
死んでたまるか。
もう一度会おう、喧嘩しよう
―――――ピピ、
電子音が響く。
*
肺に急激に入ってきた空気に酷く咳き込んで
薄く目を開けると、向こうから黒い……セルティが駆け寄ってきて
その向こうに
倒れたバーテン服をきた男を見た気がしたが、
俺の意識があったのはそこまでだった。
暗転した世界に、
溺れるように
ただ一言
シズちゃん、
その名を呼んだ。