雨、だな


そう先に呟いたのはどちらだっただろう。

霧のような雨の中
傘もささずに池袋というこの街を走り回る俺は、
滑稽すぎる阿呆。
バーテン服の肩に透明な雨粒が、絡みつくように。
じっとりと、汗と雨に濡れたYシャツに嫌悪感を抱く。



ああ、雨だ。


季節に見合わないこの長雨は、最近終息したかと思われていた。
なのに、はっと虚を突かれたかのように冷たいそれは空から落ちてくる。

雨は嫌いだ。

それでも、そう言う俺に
誰かが、
雨は空の涙なのだと、
空が泣いているのだと、



だから泣かせてあげなと、

慰めてやりなと、

そうしたらまた笑えるよと、


ああ、そうだ。
セルティにも話したけれど

俺は誰かに
そう、笑われて、





人混みに、ゴミのように埋もれる。
いつからだろう、こんなに身長ばかりが高くなっていたのは。
心は、そんな身体についていかなくて、
言うことも聞かないこんな暴力で構築された身体に、
ついていこうとすら、俺にはできず。



すべなどなく、
ただ自分を傷付けるように
拳をふるい、
蹴り倒し、
頭突きをかまし、
看板を振り回し、
ガラスを砕き、
机を投げ、
自分に鋏を突き立て、
でもそれは折れて、
ああなんて、虚しいのかと
1人死ぬわけにもいかずに生きたまま死んだように暴力を爆発させ、血を流して


だから、




(かっこいい)




そう言われたのはあのときが
初めてで。
真っ直ぐな言葉に握った刃先の折れた情けない鋏を隠すまもなく、俺は呆然と、だがはっきりと、あいつの目の前に立ちすくんでいた。














その先が思い出せない。
俺はその後一体何をした?
思い出せない、なのにじくじく痛むほんの少し傷付いていたあの手の甲がリアルに蘇る。
ふわふわと浮ついた記憶に爆発しそうな苛立ち。
落ち着かせようとポケットから取り出した煙草に新羅に持たされたマッチで火を点ける。
ダサいなとか自覚して。
雨で湿気ったマッチにはなかなか橙のそれはつかず、普通の人間にすら簡単に折れてしまうそんな脆いものは、俺にしてはシャーペンの芯のようなもので。

むしろイライラすると思いながらも、路地裏でひとり、漸く煙草に火を点けた。

先端からの紫煙がゆらりとあがっては、雨に打ち消されるように空気の中に融けていく。


音もたてずに雨は降る。


霧雨がサングラスに付着しては、その水滴を大きくして、ぽたりと、涙のように落ちて。



途方に暮れて屈みこんだ。
近くなった地面は、暗く冷たい。それをみて俺の身長を妬んでいたあいつの顔を思い出す。
俺は、そんな地面が好きだった。
どうしてだ。
理由は覚えていないけれど、
何十億人もの人間を、無条件に黙って押し上げ支えている
そんな、目の前、の







嵐のように人混みと時の流れに揉まれて生きてくる中で、俺は何か大切な記憶を置き去りにしてきた気がする。
新しいことばかり起こる、それが当たり前だとばかり思って、俺はそれを捨ててきた、のだろう。



パチリと、湿気で弱くなった電気が、
今日は久々に肩口で鳴った。
新羅が渡してくれた新羅の携帯が、唸ったのも
そのときだった。



*


煙草をどうしたか、
そんなこと忘れた。

頭の片隅で掠めたそんな思いを振り払いもせず一心不乱に前へと走り続けていた。
帯びた電気のことなど忘れ、路地から人混み、否、傘の海に飛び込んで縫うように泳ぐように新羅の口から出た場所へと向かう。
携帯は、どうしたか
あれは新羅のだったのに

走る、走る。
気に入らなかった白濁としたピンク色のゴム手袋も外さずそのままに。
気に入らなかった人間を救けるために、必死になって俺は。




『今、テレビで……火事だって、あの、ビル…。静雄、臨也が中にいるかもしれないよ!だから早く…


今から言う場所に早く行って!』







新羅の動揺も、その告げられた場所も、俺は驚くほど瞬間的に理解して、そしてまた瞬間的に走りだしていた。
死なせてたまるか、
こんなところで失ってたまるか、


ああ、どうして俺はこんなに

あいつがいなくなるのが怖いのだろう?



大嫌いなあいつが消えてしまう、そんな世界じゃあ、俺は………。

どうして


思い出せそうなんだ



消えた記憶が、
この、帯電のせいで




*







「っはあ、はあ、…ここ、か?」


見た角度が違っていたために今まで気付きもしなかったそのデカいビルからは、けたたましく火災報知器のベル音が鳴り響く。
ざわざわと集まっていた野次馬と避難した会社の人間たちのせいで、正面は無理に入ると(周りの人間に)危険であるかと落ち着くように自分に三度言い聞かせてから他に入り口がないかその人間の塊のまわりを沿うように走りビルの横の路地に飛び込む。
簡易な裏口でもあれば破壊できるのだが。



倒れた青いゴミ箱からはもう長いこと回収されていないだろう食いかけの弁当が転がり出ていた。
さすがにカラスも集ることはできないようで小蝿が何匹か飛び回っている。



嫌な、

嫌な予感がする。






どうしようもなく、
嫌な。





ふと、少し前に裏口を見つけて駆け寄るとノブに手をかける。
がちゃがちゃと回すが開く気配はなく、やむを得ないかと扉から離れる。




―――……蹴破る。






そう思って扉に向かって駆け出そうとした瞬間だった。



















「やあ」
























振り向くと、そこにはスーツを着くずした柔和な雰囲気の男が壁に寄りかかってにっこりと笑っていた。

俺が怪訝そうな顔をしたからだろうか。
近づきもせずに男は口を開く。




「やあ、平和島静雄。……本当にバーテン服なんだね。驚いたよ」


「………んだ、手前は…」


「あれ?おかしいな。電話しただろう?



折原臨也を殺害する、って」




「―――っ!?手前、…手前が電話の……


写真も、手前が…」


「なんだ、ばれてたか…。そこまでバカではないようだね、平和島静雄。俺は片桐一将。折原の……ん〜………何だろうね」


「……臨也をどうした」


「たはは、焦るなよ。まだ生きてると思うぞ。まだ、な」


「どういう意味だ」


「……、平和島静雄。俺はなあ、こう見えてこの会社の社長なんだ。そんな社長が男色なんてばれた日にゃあ、だれがついてくると思う?信用はがた落ちだよな。

折原は、今や俺の黒歴史みたいなもんさ
。俺の汚点なんだよ、奴は。あいつには生きていられるといろいろ困るんだ。
もうヤるだけヤったし、あいつに求めるもんはもうない。
なあ、わかるだろう?だってお前も折原のこと殺したいくらい嫌いなんだものなあ?



―――なのになんでそんな顔をする?」








確かにそうだ。
俺は臨也が嫌いだった。
死んでもいいと、殺してやると、それくらい思っていた。


だが、


それがなんだ。


殺すにしたって俺が、
俺がぶっ殺してやる。




そんな俺に、片桐はへらりとしたまま非人道的なことを平然と言い放つ。



怒りも、そうだがそれよりも俺は







―――悔しかった。







悔しくて、たまらなかった。
こんな奴に、臨也が、
臨也が………






「どうして、そんな顔をする?もうすぐ折原は死ぬよ、あいつは事故で死ぬんだ。消火装置の誤作動でな」


「ごちゃごゃ……うるせえええ!!!」





バチバチとつんざくような音が路地に響き渡り、蒼白い電流が大蛇のようにのたうち回り、身体の内が燃えるように熱くなる。
片桐は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐににっと嘲笑すると、電流を避けるように首を竦めた。



「臨也は、どこだ!!」


「怒るなよ、俺の…社長室にいる。俺に喧嘩ふっかけてる暇があるなら助けたほうがいいんじゃないか?
……普通消火装置っていうとスプリンクラーとか想像するだろうけどさ、俺の会社……と言うか俺の部屋は、ちょっとした気紛れでガスで火を消すやつをつけたんだよね。


機械弄って二酸化炭素に白い煙混ぜたやつをゆっくり部屋に入れてる。あと10分もしたら天然のガス室の完成だよ。ドアのカードキー通す機械のコードも俺が切ったから、中からも外からも開けられない。助けにいったところで、たはは、もう、遅――――っぐ!!」






片桐の身体が人形のようにすっとび、落ちていたあのゴミ箱に叩きつけられる。

一応加減をしていたが、無駄だったようで。


殴り倒した片桐は痛いなと呟いて腫れた頬を擦りながら起き上がった。

こんなことをしている場合じゃない。
地面には片桐が落としたらしいカードが光っていた。
「それ、カードキーだよ。もう好きなようにしな」と片桐が苦笑する。それを乱暴に拾い上げてポケットへ押し込んだ。


「あとで殺す……!!」


そう言い放って裏口の扉を蹴破ると俺は、中へと飛び込んで。















「イタタ……わざわざゴム手袋はめるなんて、バカだねえ。感電死させたほうが早いだろ。………痛い、……なあ…………。たはは、痛い、痛…い」









「――――……お疲れ様です」

「………なんだ、わざわざ来たのかい?………これでいいんだろう、これでさ……」

「はい、ありがとうございました」






こんな私の我儘を、聞いてくださって



そんな声に、雨が一筋

腫れた頬を伝った。






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