手慣れた様子で部屋に入ってきた波江は涙でぐしょぐしょになった俺と目が合ったのにそこには全く触れずに書類を弄りだす。
流石に拍子抜けして、おいおいと絡んでみても波江の視線は相変わらず刺すように冷たい。



「自分の雇い主がこんなに泣いてるのにガン無視ってちょっと…」

「何よ、慰めてほしいのかしら?気持ち悪い…」

「うわあ、そんな全力で蔑むことないじゃない。仮にも泣いてる相手にたいして」

「泣いているのは別に偉いことではないわ」

「…正論だ」



くつくつと笑って椅子にもたれる。
でも涙は拭かない。
俺はなんてことを口走りそうになっていたんだろうか。


『シズちゃんのこと』


そのあとに続く言葉なんて、俺は一つしか知らない。

シズちゃんが、
あのシズちゃんが俺の心配をしていた。
あいつは馬鹿だ。
だからあんな場面で演技ができるような奴ではないし、そんな回りくどいことするような奴でもない。
結局あれだ。
本気で、俺を心配して電話してきたんだ。

自惚れているとは思うが。



わからなくなった。

人を愛することは簡単だ。
死なない程度に遊んでやれば、面白い景色を見れる。
それは少し歪んでいるかもしれないが、俺としては確かに愛だった。

ただ、わからなくなった。
1人に、真っすぐな愛を向けること。そんな、一番簡単な方法が。


「ねえ、波江」

「何よ」

「どうしたら……人を愛せるのかな」

「貴方何言ってるの?遂にいかれたのかしら?いかれてるのはいつもね、失礼」

「最近遠慮ないね、波江」

「別にいいでしょ。貴方なんかに興味はないの。……それで?愛?そんなもの貴方が一番よく知ってるはずじゃない。いつも愛してるだのなんだの言っている癖に」

「そうだね。……でも、わからなくなっちゃった」




窓の外を見た。
ベタな比喩だと思ったけれど、焼けるような夕日は、
血の色に似ていた。

それに照らされた俺の顔も、身体もきっと




「人そのものに向ける愛じゃなくて、たった一人の個人に向ける愛のカタチって、なんだろうね、波江」




気持ち悪いわ。
そう言う波江にお前も俺と同じだとは言わずに、ただ窓の外を見続けた。

言うまでもなく彼女もわかっていたのだろうから。


だから、彼女は俺の予想の寸分の狂いもない返答をした。



「そんなもの知らないわ。関係ないもの」







*










電話だ。

昨日みたいにまたシズちゃんだったらどうしようかと思ったが違ったのですぐにでた。



『よう、折原』


「片桐さん…お久しぶりですね。何か用?」


『ああ、お前がずっと探し回ってた例の情報手に入れたから、明日会社来いよ。ちゃんと金もってこいよな?』


たははと冗談混じりに言った片桐に少しためらった。
明日は、シズちゃんに外に出るなと、誰にも会うなと言われた日なのだから。
それに俺を殺そうとしている奴がもし本当にいるならば、片桐である可能性もないわけではない。



『どうした?来ないのか?』

「いや……」


戸惑う。
行けばシズちゃんとの約束を破ることになる。
行って、いいことなど何もない。
明後日じゃだめかと口を開きかけて、閉じた。


シズちゃんはああ言っていたけれど、俺は、そんなシズちゃんを汚した。
俺は、
もう、前みたいにいられない。そんなの当たり前すぎて。
片桐とあんな関係を持った。それがシズちゃんに知れた。シズちゃんが許したとしても、俺はもうシズちゃんと一緒にいられない。

俺が壊した。
馬鹿みたいだ。

俺のくだらないプライドのせいで、俺は俺を傷つけたふりをして俺の中の平和島静雄という人間に傷をつけた。


俺が、誰でもない、俺、が

そんなのずっと前からわかっていた。

もしかしたら片桐に誘われたときからわかってたのかもしれない。

行かない。
そう言った。
でも、もしも、こんな汚れた俺の過ちが一つでも消えるならば
結末をつけられるならば



ごめんね、シズちゃん。
俺、約束破る。


俺は、終わりを告げに行くから。
死ににいくんじゃない。
リセットしにいくんだ。もう今までに戻れないとしても、せめて
俺のなかのシズちゃんだけは、もう汚れないように





「……行きますよ、時間は?」















椅子が軋んだ。
ついで心臓も軋んだ。
見上げた天井はなんて無機質。


「………シズちゃん」



呟くと込み上げる気持ちは、自分に対する虚無感。
なんて愚直なんだと、そう思って。
シズちゃん宛に俺の写真送ったのは片桐だ。それ以外考えられない。

目を閉じた。
俺は消えよう。
シズちゃんの中から、最初からいなかったように、
もう、迷惑かけないように、
最後の片桐という皮肉な繋がりを断ち切って、それで、終わりだ。
俺を殺そうとしているのがたとえ片桐だったとしても、違ったとしても。
もう、シズちゃんのもとへはいかない。俺という痕跡など、残さないから。
これ以上近付いたら、きっと俺はもうあんたにすがりついてしまうから。

だからせめて




「…もう、……消えて…





――――、ふ…



う…、…」




腕で覆い隠した両目からぼろぼろと涙が落ちる。
何のために上を見ていたのかわからない。
シズちゃん。
こんな気持ちを抱いてしまったけれど、それでももう会わないと決めてしまったから。お願いだから今だけは俺の中から消えてくれ。
シズちゃんと、そんな関係には死んでもなれない。
ああ、そうだ。無理なんだ。
そんなのわかってた。
自覚してしまったら、破裂しそうなほどに切なくなって、誰か助けてなんて思って、でも手を伸ばした先には、暗闇しかないから、また虚無感に包まれた。



「シズ、ちゃん……シズちゃん」





シズちゃんに会えたなら、
また、面と向かって喧嘩できる日がきたなら、


ああ、そんな日が来ないことくらい、俺が一番知っているのに。
そんな日をなくしてしまったのは、俺だというのに。
後悔、後悔、懺悔。

ああ、許してくれよ。
こんなことになるなんて思ってなかった。
シズちゃんの知らないところで全部終わるはずだったんだ。
全部うまくいくはずだったんだ。
傷付けるつもりなんてなかったんだ。
汚すつもりなんてなかったんだ。


こんなにも、まさか、こんなにも俺があんたのことを







ごめんね、


何度言ったか分からない言葉をもう一度吐き捨てて想う。







ごめんね、シズちゃん








好きになったりして、ごめんなさい。









*







「…………で、」




玄関先、駆け寄ってきた新羅の、
うざいくらいの優しさが、
腹立たしいくらいの慰めが、
俺の心を潰しそうになっていた。

1日駆けずり回ってあんなビル一つ見つけることもできずに、深夜にのこのこ帰ってきた俺を新羅とセルティは迎えてくれた。
ソファーに崩れるように倒れるとことりと置かれたコーヒーの、その湯気をゆらゆらと見つめた。


「見付からなかったんだね、お疲れ様。仕方ないさ。明日探しに行けば大丈夫だって」

「明日じゃだめなんだ!!………手前もわかってんだろ!?」

「落ち着いてよ、静雄」

「……悪ぃ……」





疲れと虚無感から苛立ちが募る。
自分の役たたずっぷりに、あまりの腑甲斐なさに殴り付けたソファーに風船が割れるような音がして、大穴があいた。
悪いと持ち主に目線を向ければ、顔色悪いよと新羅が額に手を置いてくる。


「いだっ」

「……学べよ」

「いや、弱ってるときなら電気発生しないかなあ…とか思って」



慌てて引っ込めた手をぷらぷらと振り、痛かったと笑う新羅。
そんな新羅を差し置いて、大丈夫か?と横からセルティが無機質な電子画面を向けるから、
まあなと短く、
意識も薄く、
1つだけ返事をする。



『明日は私も一緒に探そう』

「……ああ、サンキューな」


弱く笑えば安心したのかセルティが肩を揺らした。


俺がどうしてこんなに必死なのか、
そんなの俺にすらよくわからない。






俺は、何がしたかったのか、それすらわからなくなってしまって。

あんなデマかもしれない、あるかもわからない建物を、
探して、
見つけだしたとして俺は、

どうするのだろう



例え臨也がそこにいても、
俺は




こんなに、



役に立たなくて



腑甲斐なくて、



ふざけんなと、
怒りが込み上げて


何より自分が許せなくて、遣る瀬なくて、

なあ、臨也

どうしたらいい

お前を守りにいったら、きっとお前も傷付ける。
こんな身体じゃあ、きっと。
いや、むかつくくらいに要領のいいあいつのことだから、
そんなときには、とっととその場から逃げ出しているだろうけれど。



俺は、

見つけて、
どうすればいいのだろうか。

臨也も、
あのビルも、
この気持ちの、その答えも、

自分の心など、もう霞がかかったように、見えなくなってしまって。

じっとりとした怠さに眠気と疲労が波のように押し寄せる。


「新、羅………」

「ん?何か食べる?」

「……明日、あさ、…おこ、せ……」


気が遠くなる。
気絶するように、俺は、




「…わかったから、寝ていいよ。………って、もう寝てるし」













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