ブー…
ブー…
――ピッ
「…何?」
『あ、もしもし?臨也?』
「…これ、俺の携帯。俺がでなくて誰が出るんだよ」
『あはは、そうだね。ごめん、ごめん。――そうそう、そういえば…』
胃が痛い。
話があるんだけど、というバカ医者の言葉に、気丈になんだと尋ねかえしてみるけれど、
言うな言うな、
そうやって俺がどこか躍起になって耳を塞ごうとするから、そんなくだらない矛盾に哀しいくらい心臓が軋んで、たまらずに携帯を握る。
不安?
何故。わからない。知らない。
『静雄に聞いたよ?今日、会ったんだって?』
「…あ、ああ。危うく殺されかけたよ。シズちゃんは?くたばった?」
『いや、残念ながら腕ざっくり切ってきただけかな。あとは諸々の切り傷』
「……………」
『…臨也?どうしたの?もしも〜し?』
「…なんだよ、あいつ死んでなかったのか。まったくもって残念だ」
『…あれ、寂しくないのかい?』
「はあ?あるわけないじゃん、気持ち悪い。新羅だってよく知ってるだろ?俺らがどんなにお互いのこと嫌いで、お互いのこと死ねばいいと思ってるか。それなのに今更寂しい?バカじゃないの?想像すんのもごめんだね」
『…………、そ。ならよかった。そんな君にいいお知らせだよ、臨也君。今の静雄が君と顔をあわせるのはね、君にとっても、彼にとっても危険なことなんだ』
「…そんなの、いつも」
『まあ、言ってしまえば確かにそうかもしれない。だけど今回は事情が違いすぎるのは臨也のほうがよくわかってるよね?つまり、君の存在は今の静雄にとっては命に関わる危険因子以外のなにものでもないんだ。率直に言わせてもらえばさあ、臨也』
一瞬の沈黙に耳鳴りがするほどの空気の重さ。
今すぐに、
電話を切りたい。切ってしまいたい。
そんな欲望にかられたのに、切れずにむしろ通話口を耳に押しあてている理由は、自分にすらわからずに。
聞きたくない、聞きたくない。
次の一言なんて、小学生にだってわかる。
1+1より簡単な問題。
何よりシンプルな、解答。
『静雄が治るまででいい。彼と会わないでほしい』
わかっていた。
次の言葉はこれであると予期していたのだ。喜ぶつもりだったのだ。その自信があった。あったのだ。
あったはずなのだ。
それなのに、勝手に喉がひく、と詰まったように息を止めてしまって、言葉が出てこない。
せき止められている。
爆発したら、言葉が雪崩だしそうだ。
何も言えず、呻くことさえもできず、生きるために必要な[呼吸]というそんな本能的なものですら、
この気持ちの揺らぎ、否、揺らぎなどといえるほど生易しいものではなく、
それは
揺れ、振れ、震え
震動、振動、――――動、揺?
『今の静雄にとって君と顔をあわせることはすごく危険なんだ。下手したらそのことで静雄は死ぬかもしれないし、周りの誰かや君が死ぬかもしれない。とにかく、あれはキレなければ静電気程度の電力なんだよ。そのままの状態でキープしておければ、僕も解決策を模索できるから……わかってくれるよね、臨也』
「……だけ?」
『え?』
「言いたいの…それだけ?要件それだけならもう切るよ?そんなくだらないことなら、もういいでしょ?シズちゃんと会わなくていいなんて、最高じゃないか。新宿でも池袋でも、好きなことできるってことだろ?シズちゃんのせいで今までどれだけ俺のプランニングだのが潰されてきたか……。清々するよどうもありがとう」
『………臨也、静雄は…』
「しつこいな、もう切るから」
ぶつり、と
感情的にボタンを押していた。
そこには当たり前のように無機質に、『通話終了』の文字が浮かんでいて、でも、文字は―――ぼんやりと、淡く滲んで
「――――……っ、…」
気が付いたら
ぼろぼろと涙が溢れていた。ソファーに、また顔を埋めて
「なん、で…?」
泣いた。
理由なんてわからないし、悲しいなんて思って泣いているわけでもない。
ただ、あふれる涙を止めたくなくて、違う、止められなくて。
わけがわからない。なんで俺泣いてんの?
シズちゃんに会えなくなったから?
そんなはずがない。
それに一生ってわけなんかじゃなく、ただ彼が治るまでのその間と言うだけであってそれは明日かもしれないし、明後日かもしれないし
そのあとは嫌でもまた邪魔されて、顔合わせて、逃げて、それで
何ヵ月も何年も、会わないのだって、なかったことじゃない。
むしろよくあったことだ。
なのに俺は今、
どうしてか泣いている。
*
泣き疲れてぐったりとベッドに倒れていると、再び容赦もなくバイブが響き渡った。
携帯をとるのも億劫に、また新羅だったら嫌だなんて思って、しばらく放置していたが携帯は止まない。
諦めて画面をみれば
やはり無機質に
『片桐一政』
の字があって、
なんだよ、と少し安堵して電話にでる。
「……、もしもし」
『よう、折原。っていっても今日昼間電話したばっかりだな。………そういや、どうした?鼻なんか啜って。風邪か?』
「大丈夫。でもやめて、あんたに心配されるのはなんか嫌」
『それはあんまりだな、折原。………あ、そういえば昼間話した平和島静雄―――会ったか?』
「……………」
また息が詰まって
目頭が熱くなったのを飲み込んでから、そんなもの知らないと言い放った。
そうか、と片桐は答えたが、どこか電話ごしに笑っているような気がして、少し腹が立った。
片桐一政は俺のクライアントであり、また、俺は片桐一政のクライアントである。最近人を介して出会った男であるが、俺のことが気に入ったかなんなのか、その後もちょくちょく電話を入れてきたり、情報を持ち寄ってきたりする。
池袋のある会社の代表取締役―――つまり、社長。
30代後半にしては若作りな顔をしており、身長もなかなか高いため、会話をするとき見上げる形になってしまうため首が疲れる。
多分、そう、シズちゃんと同じくらいの…
………嫌なこと思い出した。
「…あんたの声聞いてるとなんか苛々するよ、片桐さん」
『たはは、それは光栄だ。…そんなお前にお願いが1つあるんだが。聞いてくれないか?』
「………何」
『夕飯食ったかい?』
「いや…」
『一緒に食事でもどうだい?折原臨也。情報だのなんだの関係なしに』
「あんた俺の話聞いてなかったの?あんた、うざい」
『たはは、そう言われてもね。もういつもの公園にいるんだ。寒いから早く来てくれよ』
「はあ………っ…寒いったってどうせ車の中でしょ」
まあね、と
いつものように『たはは』と軽い笑いを交えながらそう言って、片桐は来てくれるよなと念を押すから、
もう仕方ないなあと承諾する。
まあ、彼が持ってくる情報は意外に美味しい物ばかりだから、仲良くしておいて悪いことはないだが。
どうせこのあと何か作って食べようとも思わないし、持て余した空腹を満たせるならば、行かない理由もないっちゃない。
片桐をめんどくさいと口先では言ってはいるが、実際そうでもないし。
起き上がって洗面所に向かい、ざばざばと乱雑に顔を洗うと、いつものコートを羽織って、足早に外に出た。
*
「よう、折原」
「ようって、今日何度目だよ」
「たはは、悪い悪い。寒いだろ、車乗れよ」
がちゃりと黒光りする某高級車の助手席のドアを開けて、乗るようにと促される。いつもは運転手付きのくせに、何を思ったか今日は自分で運転しているらしい。
いつも落ち合うときに待ち合わせる池袋にある小さな公園。人気もない公園の脇に車をとめ、いつも片桐は俺を待っている。
顔を合わせれば「よう、折原」と、黒いスーツに身をまとった愛想のいい優男は手を振ってくるのだ。
「何食べたい?」
「あんたの奢り?」
「たはは、当たり前だろ!呼び出しといて奢らせる社長がどの世の中にいるって」
「まあね………何でもいいよ。別に食欲ないし」
「…そうか……なあ、折原」
何だよとぶっきらぼうに運転席の男の顔を見れば、片桐は信号で車を止めるなり、俺の方を見てくる。
真剣、というほどではないが、片桐の眠そうな瞳が珍しい色に揺らめいていて。思わず見惚れて、はっとしたときには、片桐に笑われて。
「さっき、泣いてたのか?」
「……はあ?」
そんなわけないだろと突っぱねるように言えば、そっと頬に手を置かれて、やめろと乱暴に払えば、片桐はくすくす笑う。
「折原、――――なあ、折原。…………俺に、」
信号は青く変わったのに
片桐はアクセルを踏まない。
深夜の池袋、しかも人通りの少ない小さな道路であるから、止まっていても問題はないのだけれど。
片桐のギラギラ光る目に、思わずこくんと生唾を飲んで。
見たことがない。
彼はいつも眠そうな目をしていて、俺に会うと必ず「よう、折原」と笑顔をみせて、たははと、あの軽い笑い声をあげながら軽口をたたくようなやつなのに。
こんな目をするようなやつじゃ………
「俺に抱かれる気はないか?」
「………頭大丈夫?俺が?あんたと?バカじゃないの?どうせ女には苦労してないんだろ?なんで俺なんだ。なんでこの俺が、あんたとそんなことしなくちゃならな「折原」
どうだと、片桐はにやりと笑う。
なぜか、動けなくなって、ぐんと身体を近付けてくる片桐を拒めない。
―――――パシンッ
触れそうになった唇に、やっとはっとして片桐の頬を思い切りはたく。
片桐は、怒りも驚きもせずに、さもおかしそうに
「たはははは!ははは、ははははっ!!」
そう、笑う。
俺がどん引きしているのに気付いたのか、
片桐は俺の頭を2、3度ぼふぼふと撫でて、くすくすと、余韻を楽しむように笑っていた。
「いやいや、お前が承諾するとは初めから思ってなかったさ。むしろ、今キスできそうで焦ったぞ」
………このバカは、と
車から出てやろうと思ったそこで、ふと、電気に塗れたあの男がよみがえって。
そしたら込み上げるように、切なくなって。
『静雄と会わないで欲しいんだ』
その声がよみがえる。見開いた目がひりひりと痛んだ。
消えてしまいたい。
いっそ忘れたい。
急に、何もかもどうでもよくなった。
ああ、どうせ、あいつには会えない。会いたいわけじゃ、ない。のに、
「折原?」
「……片桐さん、抱かせてあげても、いいよ?」
「………た、はは…何?」
「………抱かせてあげてもいいよって言ったの。俺のお願いを、1つ…いや、2つ聞いてくれるなら」
片桐は、引きつったように笑っていた。
冗談だろ?と呟くから、
「ヤるの?ヤらないの?」
そう尋ねれば、
また大声で、たはははと笑って、片桐はお願いってのは何だと言い放つ。
「思い切り、思い切り痛くしてよ。あんたのことしかわからなくなるくらい。気絶すらできないくらい。もう、……思い出したくない」
「それは……構わないが。思い出したくないって、一体何を?」
「聞かないで」
「………はいはい。もう一つは?」
「…………それは、」
3度目の青信号で、
車は走りだした。
ただ行き先は、レストランなどではなくて。
助手席で、俺は終始俯いていた。
悲しいわけでも、
嫌なわけでも、
何もない。
本当に、何の感情もない。何も感じてない。だから。
もう、あいつに顔もあわせられないくらいに汚れてしまえば。諦めつかない俺の弱い気持ちなんて、消えるしかないのだから。
諦めがつかない?
別に会いたいわけじゃないのに、そんなことを思う俺は、一体なんだろうなんて思って、でもやっぱり、心のどこかで、ほんの、ほんの一欠けくらいは、
……そんな想い辛いだけ。
辛いだけの想いならば、いっそ消えてなくなれ。