ぎりぎりと、


絞める。

首を絞める。

だけど、見た目よりずっと強靱な筋肉に守られたその首を絞めることなどできなかった。

満足か?と苦しみもせずに尋ねてくるから、化け物めと悪態を吐く。
それでも笑うわけでもなく、化け物はそっと目を閉じた。




殺したい。
壊したい。

それは誰しもが持つ、破壊衝動。
理性という薄っぺらな体裁で抑えつけている、衝動。
俺の下で首を絞めあげられているくせに眠ったように目を閉じたまま何も言わないこの人間の姿をした化け物は、そんな理性を持たないいい例だ。
だのにさほどその衝動に苦しむこともなく、むしろそれを受け入れてしまっているのだから救いようがない。


首を絞めた。
シズちゃんの首を絞めた。

殺す気で絞めた。
なのに死なない。





「……どうしたら死ぬだろうね」

「…………さあな」

「俺、壊れないものは嫌いだよ」

「なんで」




「つまらないからさ」





*







目を開けた。
重い目蓋の隙間から差し込んだ日光がもろに目に入って、瞬間的にまた瞑る。
フラッシュした視界は白くぼやけて、それでもまたゆっくりとあければ、その朧に馴染むように焦点があっていった。


最初に視界に入ったのは、紐。
昨日100円ショップで買った、安い麻紐。

それが床に死んだ蛇のように無造作に捨てられていて、ああそうかと思い出したように天井を見れば、だらしなく同じ麻紐が垂れていた。

失敗した。

紐が弱かったんだ。

拾いあげた麻紐の端は縮れたようにほつれていて、それは天井からぶらさがる麻紐の端と繋がるはずだ。


立ち上がる。
酸欠からか頭がぼーっとした。紐を片手に持ったまま、なにか飲もうとキッチンへ向かう。


随分昔の夢を見た。
あれはまだ、シズちゃんが生きてたときの記憶。

あの日、壊れないものは嫌いだと言ったからだろうか。
シズちゃんは一週間前に死んだ。
皮肉にも俺がけしかけた連中ともめた挙げ句に頭を撃ち抜かれて即死したらしい。
そこらのチンピラとは違う、ちょっと危険な連中だったのは確かだけど、まさかそこまで過激派だとは俺も思っていなかった。


別にそれが原因で自殺しようとしていたわけじゃない。
ただ、飽きてしまったのだ。人間観察も、情報屋も、何もかも。
シズちゃんもいなくなってしまったし、そんな世の中はスパイスの入っていないカレーだ。
味気ない、形すらあやふやになってしまった世界になんて、おさらばしたかっただけ。


冷蔵庫にはめぼしい飲み物はなかったので、諦めて水道水をコップに汲む。
浄水器は付けてるけど、水道水はあまり好きじゃなかった。

贅沢だ、と思う。

やりたいことやって、食べたいもの食べて、死にたいときに死ぬ。
そんな自由に世界は包まれている。否、俺の世界と言うべきか。
飲み干した水は生ぬるい。その気持ちの悪さに眉をひそめれば、急にこんな水一つに一喜一憂する自分が滑稽でたまらなくなった。
あははと声を出して笑えば、誰もいない冷たい室内の空気が揺れる。
俺は、バカだ。とんでもないほど、愚かだ。
しゅるりと麻紐を手の中で持ちなおして、首に掛ける。




首を絞めた。



自分の息が止まるように、首を絞めた。

殺す気で絞めた。
でも死なない。




腕の力を抜くと、身体全部から力が抜けて、キッチンの冷たい床に倒れこんだ。
その行為は、シズちゃんの首を絞めたあの日と同じ結末。
殺す気でやっても殺せない。



「……壊れないものは、嫌いだよ」



痺れた唇の隙間から擦れた声がこぼれた。
ひゅーひゅーと喉がなる。気管でも悪くしたかな。


「だから、俺は嫌いだよ」


誰に言うわけでもない。
ただの、独り言。

壊れてしまったものも嫌いだ。
もう壊せないから。
中途半端に壊れたのがいいな。壊しやすいし。
でも人が壊したあとは嫌だ。
そんな贅沢な考えが、酸素を欲した脳を支配した。


溶けて、消えないだろうか。
このまま目を閉じたら、消えてしまわないだろうか。


俺が、崩れて消えないだろうか。



「シズちゃん」



もう、この世にいない彼の名を呼ぶ。
消えた彼を呼ぶ。
あの日君は、何を考えていたんだろう。
俺に首を絞められながら、何を思っていたんだろう。

何も考えていなかっただろうか。
それとも死にたくないと心中もがいていのだろうか。
死にたいと願っていたのだろうか。
どうでもいいと放棄していたのだろうか。


破壊衝動。
幾度となくそれにかられた俺の下で、シズちゃんは何を考えていただろう。
叩いても刺しても殴っても、効果のない彼に怯えて、子供のように癇癪を起こした俺を、どう思っていたのだろうか。


シズちゃんを壊したい。

それは壊れないとわかっていたからそう思ったのか、それとも単に、壊したかっただけなのか。
どちらなのかは俺にもわからないまま。
でも、俺たちは受け入れようとしていた。お互いの生きる意味も、個性と言う名の色も、行き場のない拙すぎた愛情、も


それなのに

シズちゃんは死んだ。
もうこの世にいない。

それが虚しくて仕方がなかった。
許しあえそうだったのだ。皮肉にも、あの、首を絞めた日から。




『俺を殺したいのか?』

「………うん」

『どうして』

「…嫌いだから」

『嫌いなら顔見なきゃいいだけだろ』

「……うん」

『どうしてだ』












「好き、だから」





















失った。


世界で一番愛していたものを失った。

その悲しみにくれるのは罪ではないだろう。
でも、俺は立ち直りたくなかった。だから、死のうと思った。
そんな簡単なことだ。
そんな、簡易な感情だ。

立ち直りたくなかったのは、シズちゃんがいなくなった現実を受け入れた俺がこの世界で生きている未来を許せなかったから。


そう、あの日から


恋人、と呼べる絆が出来た。
彼を化け物と呼ばなくなった。
死なない彼が怖くなくなった。

もう、殺そうとしなくなった。



きっとあの破壊衝動は、俺のひねくれた愛情が行き場を求めて彷徨っていた姿だったのだろう。
そんな俺に気付いていたから、シズちゃんは激昂せずに目を閉じたのだろう。


理解しあえたはずだったのだ。

あの日から、少しずつ。




でももうおしまい。

理解するべき彼など、もうどこにもいないのだから。






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