「−−中里主任!またですよ」

 出社するなり、事務員の鈴木さんが一枚のプリントアウトを差し出してきた。

「もう、なんなんでしょうね。主任はこんな人じゃないのに」

 息巻く彼女から用紙を受け取り、印刷された文字を目で追った。それはホームページのお問合せ用フォームから送られてきた、匿名のメッセージだった。

『いつになったら中里をクビにするんだ。立場を利用して顧客に執拗に迫るクズをいつまでも囲っているこの会社に未来は無い』

 その短いメッセージを一度、もう一度、そして最後にもう一度読み終えて、俺は大きな溜息を吐いた。
 同様の匿名メッセージはひと月ほど前から続いていた。初めこそ丁寧な口調で『ご忠告申し上げます』なんて下手に出てきていたのに、今ではすっかりクズ呼ばわりだ。名前も顔も知らない相手からクズ扱いされるのは、仮に単なる悪戯だったとしても気持ちのいいことではない。

「クズ……か」
「クズはお前だよって感じですよね」

 鈴木さんは声を荒げている。

「まだ田中さんならクズって言われても同意できますけど、主任がクズっていうのは納得いかない。マジでムカつく」

 鈴木さんは、女の子を勝手にランク付けするかの後輩を一瞥した。確かに、あいつはこれまでに何度もお客様からクレームを受けている。主に一人暮らしの若い女性客から、「ナンパされた」だの「セクハラ紛いの言葉に傷付いた」だのなんだのと。

「今まで主任には一度もクレーム来たこと無いのに」
「だよなぁ」
「こいつの端末、アク禁に出来ないんですかね?」
「アク、きん……?」
「アクセス禁止です。うちのホームページ見られないようにブロックするんです」
「そんなこと出来るのか?」
「技術的には出来ます。会社のコンプラ的には分かんないですけど……店長にお願いしようかな」

 彼女が丁度「店長」と口にした時、まさにその店長が俺の名を呼んだ。彼はデスクに頬杖を付き、同じ匿名メッセージに目を落としていた。

「これ、今月に入って四回目だよな?」
「はい」
「じゃあ同一犯だな。心当たりあるんだろ?」

 心当たり。そう言われて、俺は頷く。
 恐らく……というよりほぼ間違いはないだろうが、メッセージの送り主は工藤さんと何かしら関係のある人物だろう。一通目が届いたのは工藤さんの内見の日。二通目、三通目は二週間ほど前まで遡るが、どちらも工藤さんとスーパーで顔を合わせた翌日。そして昨日、彼女を家まで送り届けてからの『クズ』呼ばわりだ。誰かが意図的に、それも執拗に工藤さんを監視しているとしか思えない。

「店長、先月あたりに田中が騒いでた女の子を覚えてますか?」
「えーっと、ミナミちゃん?」
「それは今月のランキング一位の子ですね。先月だとひかるちゃんなんですけど」
「ひかるちゃんかぁ……名前は聞いたことあるような無いような。なに、中里その子と付き合ってんの?」

 俺は慌てて否定した。
 俺が工藤さんと付き合うだなんて……ない。絶対にあり得ない。勿論付き合いたくないという訳ではない。ただ、俺みたいなむさ苦しい走り屋に、あんなにも可愛い彼女ができるはずがない。

「偶にスーパーで鉢合わせたりはしますけど、連絡先すら知りませんよ」
「ふぅん。で、ひかるちゃんがコレにどう関係してんの」

 俺は店長に、これまでの匿名メッセージと工藤さんの関係性を話した。

「なるほどな。相手は元カレか、単なるストーカーってとこか」
「多分、ですけど」
「多分っていうか黒だろ」
「まぁ。俺もそう思ってます」
「何にせよ、ソイツからの一方的な嫌がらせだろ?田中なら兎も角、俺は中里のこと一切疑ってないし」
「疑うもなにも、書かれてることは全部デタラメですって!」
「わかってるって。第一、中里に女の子たぶらかすなんて無理無理。絶対無理。お前モテねぇし」

 図星だった。ぐうの音すら出ない。(だけど「絶対無理」だなんて辛辣過ぎやしないか、店長。)

「ただ、上手くやれよ。俺はこんなメール無視するけど、本社にまでクレーム入れられたら庇ってやれる保証はないぞ」
「はぁ。上手く、ですか」
「もしお前がその子に気があるなら俺は応援するぞ、ってことだよ。お前もそろそろ彼女欲しいとか思うだろ?チャンスじゃないか。この子のこと守ってやれよ」

 俺が工藤さんを守る。そう心の中で呟いた途端に、顔が、身体が、胸の奥が熱くなった。俺の心の2.6Lツインターボが火を噴いている。

「な、なに言ってんですか。相手はお客様ですよ」
「なに言ってんだよ。俺の嫁さんは元々客だぞ」
「……そうでしたね」
「そういう訳で、何度も言うけど上手くやれよ。コイツは俺が処理しとく。以上」

 店長はそう言って、プリントアウトをぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ放り投げた。彼に一礼し、俺は自分のデスクへ着いた。そしてふと、卓上カレンダーに目を遣った。前回の匿名メッセージが来てから、かれこれ二週間が過ぎようとしていた。
 三通目の匿名メッセージが来てから、スーパーへ行く頻度を減らしたり、店内に工藤さんの姿が見えると駐車場まで引き返したりして、極力彼女と顔を合わせないようにしていた。送信主が工藤さんと関係のある人物ならば、俺が彼女と関わることでソイツを刺激してしまうかもしれないからだ。
 だけど、工藤さんのことはずっと気がかりだった。昨晩工藤さんを見かけたのは偶然だったが−−ストーカー紛いの輩に狙われている彼女が心配で、夜道を一人で歩かせられなくて、彼女の家まで送り届けたのだ。彼女の為に取った行動が、こんな風に裏目に出るなんて。

「……俺が、工藤さんを、守る……か」

 俺はただの不動産屋。工藤さんとどうにかなれるなんて思っていない。だけど、正直に言うと工藤さんのことは気になっている。たとえ遠く離れた駐車場からでも、スーパーの店内に居る工藤さんを見つけられるぐらいには気になっている。極力顔を合わせないようにしていると(俺の心の中で)言ったが、工藤さんの姿を見られるとやはり嬉しい。昨晩のドライブはたった数分間、それも数百メートル程度のものだったのに、俺は妙義のタイムレコードを更新した時のような高揚感を覚えたのだった。
 恋愛は俺の専門外だ。ガードレール擦れ擦れまでR32を寄せることはできるが、情け無いことに、女の子との距離を詰めるテクニックは持ち合わせていない。でも、気になる女の子を身の危険から守ってやるぐらいなら俺にだって出来るはずだ。


*


 その日の夜、惣菜売り場に足を運ぶと、工藤さんは丁度マカロニサラダを手に取っているところだった。

「あ、中里さん」

 工藤さんは小さく手を振って、俺の隣に並んだ。

「昨日はありがとうございます」

 彼女はそう言って、マカロニサラダを俺のカゴの中へ入れた。すかさず「今日はこれがラス1でしたよ」と付け足し、笑顔を添えて。
 俺の心の2.6Lツインターボが再び火を噴いた。胸の内に鳴り響くのはエンジンの重低音ではなく、心臓が鼓動を刻む音だった。気が付けば身体は熱くなっていたし、両手は少しだけ震えている。それでも俺は拳を握り締めて、自分自身に言い聞かせた。工藤さんを守れ。守るんだ、中里毅。

 怪しい人物が居ないか周囲を見回しながら、俺は工藤さんの隣を歩いた。買い物を終え、同じレジへ並び、同じサッカー台で荷物をまとめて店を出た。いつもならここで別れる。けれども、今日はそうすべきではない。俺は工藤さんを守るんだ。

「俺、家まで送ります」
「え?でも、すぐそこですよ」
「知ってますよ。もし良かったら送らせてください」

 工藤さんは迷っているようにも、少し困惑しているようにも見えた。ヤベ、ミスったかも。そう冷や汗をかいたのは、どうやら一瞬の杞憂だったようだ。工藤さんは「お願いします」と短く答えた。
 俺が緊張しているからか、或いは(工藤さんは優しいから断らなかっただけで)本当は迷惑だったのか、彼女のアパートの駐車場に着くまで俺達の間には沈黙が流れていた。その間、俺はずっと考えていた。匿名メッセージのことを工藤さんに言うべきか、黙っておくべきか。警告の意味も込めて工藤さんには話しておくべきかもしれない。だけど、彼女は今一人暮らしだ。彼女に付き纏う男の存在を知ったら、不安な思いを強いられるだろう。
 −−チャンスじゃないか。守ってやれよ。
 店長はそう言ったけれど、工藤さんのピンチを俺のチャンスだなんて思いたくない。だけど、やっぱり彼女を守ってやりたいとは思う。

「ここで大丈夫です」

 R32のエンジンを切ろうと俺がキーに手を伸ばしたのと、彼女がそう言ったのは、殆ど同時だった。

「なんかごめんなさい。気を遣わせちゃって」
「いや、気なんてそんな。俺がやりたくてやっただけですから」
「……もしかして、中里さんに迷惑かけてます?」

 工藤さんは、両脚の上で握り締めた携帯電話に視線を落としていた。俺は首を横に振った。彼女は俺の顔を見ていないのに、ぶんぶんと大きく首を振った。

「もし迷惑をかけてたなら、私はもう大丈夫ですから。これからはスーパーでも他人のふりをして」
「え、ちょっと、」
「じゃあ。おやすみなさい」

 俺の言葉を遮るように、俺から逃げるように、工藤さんはナビシートから降りていった。
 追いかけるように車から降りて、アパートに入ろうとする工藤さんの手を掴んで、待てよ!−−なんて、月9の恋愛ドラマみたいなことができたらよかったのに。俺にはそんな度胸が無かった。ただ、窓ガラス越しに工藤さんの背中を眺めることしかできない。ただ、工藤さんに聞こえないように、「クソ」と呟くことしかできない。工藤さんを守るなんて意気込んでおいて、結局何もできずに拒絶されるだけ。あぁ、俺はなんて情け無い男なんだ。









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