最後に中里さんと会った日から指折り数えている。もう両手の指では足りなくなってしまった。今までだって毎日顔を合わせていたわけではないけれど、数日に一度は惣菜売り場で遭遇して、様々な「余計な話」を聞かせてくれたり、ラス1のマカロニサラダを譲ってくれたりしたのに。

「やっぱり、アレがダメだったかな……」

 半月ほど前、会社の飲み会の後、先輩を自宅に泊めた。私の新居が安全かどうか確かめると言って聞かなかったのだ。どんな経緯かは忘れてしまったが(私も少しだけ酔ってたし)、お酒の席で中里さんの話をしてしまった。それが間違いだったのかもしれない。
 酔っ払った先輩に絡まれて、中里さんはうろたえていた。先輩を抑えながら平謝りをしたつもりだったけど、中里さんは私と目を合わせてくれなかった。あんな風に「賃貸の営業マンはチャラい」なんて言われて、内心は怒っていたに違いない。先輩ばかりか、私まで嫌われてしまったかもしれない。
 だけど、もし、仮に。仮に中里さんに嫌われたとして、それが何だというのだろうか。家の内見も、契約も、鍵の引き渡しも全て終わった今、本来ならば不動産会社の担当営業との縁もそこでお終いだ。
 私が中里さんに求めているものの正体は一体何なのか。私は何を期待しているのか。今は恋愛なんて−−誰かを好きになるなんて、きっと怖くて出来ないのに。

「何?やらかしたの?」

 隣のデスクの山田くんが声を掛けてきた。

「ただの独り言」
「なんだ。ミスしたかと思った−−って、工藤さんの弁当マカロニサラダだけ?ヤバ」

 山田くんは私の弁当箱を覗き込み、やたらと大袈裟なリアクションを取る。

「下の方にご飯入ってるよ」
「マカロニサラダと米?ダブル炭水化物じゃん」

 確かにそうだ、と私は反省した。女子の弁当らしからぬ中身だ。
 最近、毎日このマカロニサラダを食べている。中里さんのことを考えると、なんとなく食べたくなってしまうのだ。中里さんに会いたいと思って惣菜売り場へ足を運び、そこに中里さんの姿が無くて肩を落とし、マカロニサラダを買って帰る。ここ数日はそれが私のルーティーンになってしまっている。

「美味しいんだよ、このマカロニサラダ」
「工藤さんが作ったの?」
「スーパーのお惣菜。自分で作ってみたこともあるけど、なんか違うんだよね」

 山田くんは私の弁当箱に箸を伸ばして、マカロニサラダを一口分掻っ攫っていった。「お、美味いな」と彼は言って、再び自身のデスクに戻った。山田くんの昼食は、同棲中の彼女お手製の愛情たっぷり手作り弁当だ。彩り鮮やかなそれと比べると、私のマカロニサラダご飯はこの上なくみっともない。

「工藤さん、病んでない?」
「え」
「いや冷静に考えて、女子の弁当が米とマカロニサラダだけってヤバいだろ」
「……今日は寝坊しただけ」
「本当かよ。アレは解決したの?」

 山田くんは、二つ向こうの島を顎で指した。営業部隊であるその島の社員達は、ランチタイムにも関わらずメールに電話に慌ただしく働いている。そこのお誕生日席に座り、菓子パンを頬張りながらパソコンの画面を睨みつけている男性社員は、つい一か月ほど前まで生活を共にしていた人−−私の恋人だった人だ。

「多分」
「多分ってなんだよ。もう付き纏われてないの?」
「一応、大丈夫のはず」

 メールアドレスは拒否したけれど、今でも毎日のように非通知からの着信はある。でも、非通知電話の主が彼ではないと信じたくて、私は山田くんにあやふやな返事をした。

「はず、って……次なんかあったら人事にチクれって課長にも言われてただろ」
「そうだけど……言えないよ。流石に」
「なんで」
「だって、逆恨みされたら怖いでしよ」

 しばらくは誰とも付き合いたくない。そう思わせられるほど、彼から離れる為に途方も無い労力と精神力を費やした。恋愛には疲れてしまった。彼以外の別の誰かに恋をして、仮に交際にまで発展できたとしても、また辛い別れを迎えるのが怖かった。そのはずだったのに、私は来る日も来る日も中里さんのことを考え、中里さんに会いたくてスーパーへと足を運んでいる。
 会おうと思えば会える。中里さんが住んでいるアパートは分かっているし、職場だって知っている。夜な夜な妙義を走っていると彼は言ってたから、妙義へ行けば彼はきっと居るはずだ。だけど、彼の個人的な領域まで足を踏み込むことはしたくなかった。その域に達してしまった時、私はきっと中里さんを好きになってしまう。

 中里さんのことを考えながら、マカロニサラダを口に運ぶ。美味しい。ほんのりと口の中に広がるマスタードの絡みが癖になる。もう一口、マカロニサラダを口に含む。そしてまた、私は中里さんのことを思い出す。いつの間にか私の好物になっていたマカロニサラダ。もし中里さんを好きになって、もしまた上手くいかなかったら、このマカロニサラダも食べられなくなってしまうかもしれない。


*


 期末の締め業務が終わり、部署の上司や同僚達とお疲れ様会を開催した。同僚に自宅近くのコンビニまで送って貰った時、時計の短針は頂点を越えていた。いつものスーパーはとっくに閉まっている。大通りには人通りも、車通りもほとんど無い。自宅までの道のりを歩いていると、低くて重いエンジンの音が背後から近付いてきた。車には詳しくないが、振り返らなくともそれが「普通じゃない」車であることは安易に想像が付く。私は一歩分、車道側から距離を置いた。
 真っ黒なセダンは私を追い抜き、数メートル先で路肩に停まった。丸いブレーキランプが赤く光っている。私はいよいよ身構えた。足を止め、一旦引き返そうとした時、運転席の窓から男性が身を乗り出した。

「乗りますか?」

 それは中里さんだった。私の心の中で、嬉しい気持ちが飛び跳ねた。同時に、安堵の胸を撫で下ろした。どうやら嫌われていなかったようだ。

「でも、すぐそこですよ」
「俺んちも同じ方向なので」

 中里さんの好意に甘えて、私は助手席に乗り込んだ。そしてもう一度、胸が弾んだ。
 中里さんの私服姿を見るのはこれが初めてだった。ワイシャツにネクタイではなくタートルネックで、背広ではなくラフなジャケットで、スラックスではなくジーンズを履いている。かっこいいな、と思うのは必然だった。個人的に興味がある人のことをかっこいいと思うのは、ごく当たり前なことだ。

「今日も走って来たんですか?」
「はい」
「妙義って196号ですよね?暴走族的な感じで走ってるんですか?」
「ぼ、暴走族」

 中里さんはクスリと笑った。

「暴走族ではないです。でもけっこう飛ばしますよ」
「スピード狂みたいな感じですか?」
「いや、なんて言うか……んー、暴走でもスピード狂でもないけど……上手く言えねぇな」

 独り言のように中里さんは呟いた。これまでどんなに「余計な話」を重ねようが敬語混じりの営業マン口調だった中里さんが、突然、砕けた言葉遣いに変わった。素の中里さんを垣間見た気がして嬉しかった。

「じゃあ、いつか見に行きますね」
「はい。是非」

 そんな喜びも束の間、中里さんはまたいつもの営業マン戻ってしまった。そんな中里さんに私は少しだけ、ほんの少しだけ寂しさを覚えたのだった。









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