「賃貸の営業ってマジでチャラいから。ひかるは気を付けなよ」

 職場の先輩からの忠告は耳に穴が空くほど聞いた。恐らく過去に賃貸の営業マンと何かしらのトラブルがあったのだろう。彼女は私のことを誰よりも可愛がってくれるけれど、恋愛が絡むと少々面倒臭い。でも、そういう面倒臭いところも含めて先輩のことは好きだった。今日は彼女の忠告通り、「気を付ける」ことを念頭に、不動産会社を訪れていた。
 急遽、現在住んでいる家からの引越しを余儀なくされた。有給でも欠勤でもなく、出張扱いで不動産会社へ行かせてくれた上司や同僚達には感謝している。だからこそ、これ以上迷惑を掛けない為にも今日中に新居を決めたい。部屋の条件と共にそう伝えると、私と然程歳が離れていないであろう若い営業マンは「了解ッス」と軽い調子で言った。なるほど、先輩の言う通りチャラい。敷金と礼金が無料で初期費用が安ければ不動産会社なんてどこでもいいし、営業マンだって契約までの付き合いなのだから誰でもいい。そう思っていたけれど、こんなにもチャラついた営業マンと二人きりで物件見学へ行くのは嫌だ。そんな私の気持ちを察してくれたのか(或いは拒絶が顔に出てしまっていたのか)、待合スペースまで私を呼びに来たのは違う営業マンだった。

「ここからは担当を変わらせていただきます。中里です。よろしくお願いします」

 チャラくない。それが、中里さんの第一印象だった。少しコワモテだけど、真面目で誠実そう。先程のチャラい営業マンに対しては嫌悪にも近い感情を抱いていたから余計に、中里さんが「ちゃんとした」人に思えた。
 中里さんは律儀に名刺を渡してくれた。「中里 毅」という名の上には小さな文字で「主任」と、その上には「宅地建物取引主任者」と書かれている。チャラい営業マンにはなかった役職が付いているし、不動産業界には疎い私でさえも知っている資格を保有している。やはり中里さんはちゃんとした人なのだろう。この人に対しては、先輩が言った「気を付ける」ことは不要なのかもしれない。

「では、ご案内します」

 営業車の中で中里さんは必要最低限−−まずは○×町の物件へ行きますとか、シートベルトをお願いしますとか−−以外の無駄なことは一切話さなかった。普段から口数が少ない人なのだろうか。どんな人物であろうが営業マンたる者、お客様との関係づくりの為に、絶えずくだらない話題を振ってくるものだと思っていた。チャラい営業マン(もう名前すら覚えていない)だって、手元のパソコンで物件を調べながら様々なくだらない質問を投げかけてきた。何故引っ越すのか、一人暮らしなのか、彼氏はいないのか。この辺りはまだヒアリングの一環だとしても、得意料理とか、好きな男のタイプとか、休日の過ごし方とか、まるで合コンで女を見定める時のような質問は不要だったと思う。一人暮らしであること以外は何一つとして答えたくなかったし、事実、私は曖昧な答えでその場をやり過ごしたのだった。
 中里さんは、私の知るステレオタイプの営業マンとは違った。私が彼に興味を持った理由は、たったそれだけのことだった。
 物件へ辿り着くまでの間、私は中里さんの後ろ姿を見つめていた。もし目が合ってしまったら反応に困るだろうから、バックミラーは見なかった。その代わりに、中里さんの軽やかなハンドル捌きを観察していた。乱暴な運転をする人は好きではない。中里さんはアクセルを踏み込むことも黄色信号を無理矢理渡ることもなく、最初の物件まで安全運転に徹していた。そんなところもまた好印象であった。

「中へどうぞ」

 中里さんに案内され、私は部屋に入った。単身向けの1K。今の家よりも少し狭いが、プリントアウトしてもらった手元の間取り図よりは広く感じる物件だった。「どうぞ自由に見てください」と言った中里さんの言葉に甘え、キッチン、風呂場、トイレ、ベランダ−−部屋の設備を気が済むまで確認した。ここなら悪くないかもしれない。そう思った時、ふと、玄関の扉が開いたままであることに気付いた。

「中里さん、ドア空いてますよ」
「わざと空けてあるんです」
「わざと?」
「はい。工藤さんは女性ですので」

 言葉の意味がわからなかった。私が首を傾げると、中里さんは丁寧に説明をしてくれた。

「弊社では内見担当とお客様が同性でない場合、玄関のドアは開けたままお部屋をご案内するんです。最近はどこの不動産会社でもこのような対応だと思いますよ」
「そうなんですか?」
「はい。少し前までは弊社でも内見中のトラブルが続いてまして……そういうのを防止する意味で、今はどんなに真冬でもドアは閉めないんですよ」

 先輩の忠告が脳裏を過ぎった。男性営業マンと女性の顧客が密室で二人きりになる。かのチャラい営業マンならば、確かにトラブルを起こしそうだ。
 だけど、どういうわけか、私は今心の底から安心し切っている。中里さんが玄関のドアを開けてくれていたことに今の今まで気付かなかったし、部屋で二人きりになることに何の抵抗もなかった。それは中里さんがちゃんとした営業マンだからだろうか。或いは私が中里さんに、個人的な興味を持ったからか。

「中里さんはトラブルと縁がなさそうですね」
「僕が、ですか?初めて言われました」
「少なくとも私はそう思いましたよ。必要以上に喋ったり、要らない質問をしてきたりしないし……あ、勿論いい意味ですよ」

 私の言葉に、中里さんは「ありがとうございます」と言って頭を下げた。彼が照れているように見えたのは、決して気のせいではないだろう。

「勿論、お部屋探しに必要なことは伺いますし、話好きのお客様とは延々と雑談したりしますけど……工藤さんの場合は違うかと思いまして」
「違う?」
「先程の担当からヒアリングの内容は伺ってまして。あまり話されなかったってことは、話したくないってことかと」

 まさに図星だった。出来ることならば、今回の引越しのきっかけには触れられたくなかった。
 中里さんは寡黙な営業マンというわけではなく、単に、私に気を遣ってくれていただけだった。営業マンとしてはきっと当たり前の対応なのだろうけど−−私の頭はそれを、中里さんの個人的な優しさであると解釈してしまう。

「すみません。気を遣ってくださってたんですね」
「いえ。引越しの理由を話されたくない方は、特に女性のお客様に多いんです。そういう方に限って即入居を希望されるので、何となくですが理由は想像付きますし−−すみません、余計な言いましたね」

 私は首を横に振った。それもまた図星だったのだ。

「本当は内見も女性が担当できたらいいんですけど、生憎営業が足りてなくて。申し訳ないです」

 確かに頷けるが、中里さんが謝ることではない。それに中里さんに対しては何の不満もない。むしろ、私の担当が中里さんで良かったとさえ思い始めている。

「案内してくれたのが中里さんで良かったですよ」
「本当ですか?」
「はい。信頼できますし」
「ありがとうございます。信頼でき……ますかね。そんなこと言ってくださったのは工藤さんが初めてですよ」
「できますよ。まず第一に、安全運転だったし」

 中里さんは頸のあたりをカリカリと掻いて、決まりが悪そうに言った。

「仕事中は、ですよ」
「仕事中じゃないと爆走するタイプなんですか?」
「爆走っていうか……夜な夜な妙義を走ってます」
「夜な夜な?えー、以外ですね」

 こんなにも真面目そうな人が、夜な夜な妙義(196号のことだろうか?)を爆走しているなんて想像が付かなかった。もしかすると、マイカーのハンドルを握ると人格が変わるタイプなのかもしれない。突然暴走族みたいにオラオラ系になるのだろうか……いや、流石にそれはないか。

「毎日仕事するか妙義を走るか、しかしてないですよ、俺」

 中里さんの一人称が「僕」から「俺」に変わった。そのたった一言に、私はどきりとしてしまった。

「また余計なこと言いましたね。すみません」
「いえ。中里さんの余計な話、もっと聞きたいです」

 中里さんともっと話がしたいと思ってしまう私が居る。たまたま担当してもらっただけの不動産会社の営業マンに、私はいったい何を期待しているのだろうか。「中里さんの余計な話が聞きたい」なんて口に出してしまったことを少しだけ後悔した。

「じゃあ……今日ご案内する物件の中で、個人的にはここが一番おススメです」
「それ、余計な話なんですか?」
「余計な話です。会社的には次の物件を何とか埋めたいみたいなんですけど、あんなところはダメですよ。住んでるのはオッサンばかりで女性の一人暮らし向きじゃない」
「なるほど」
「それに、ここの近くのスーパー、お惣菜がめちゃくちゃ美味いんですよ。特にマカロニサラダなんか最高です。料理が面倒臭い時にそういうスーパーが近くにあるといいですよ」
「流石不動産屋さんですね。よくご存知で」
「不動産屋だからというよりも、俺、そこの常連で。週3でマカロニサラダ食ってます」
「中里さんもこの辺にお住まいなんですね」
「はい。通り挟んだ反対側のアパートです……って、これは流石に余計な話が過ぎましたね」

 中里さんが近くに住んでいるというだけで、私にはこの家がセキュリティ対策万全の物件であるように思えた。実際はオートロックさえも付いていないただの木造アパートだが、私は根拠の無い安心感を覚えていた。

「私、ここにします」

 私の言葉に、中里さんは驚いたようだった。

「残りの物件は見られませんか?」
「はい。ここでいいです。だって中里さんが一番おススメなのはここですよね?」
「そりゃ、まぁ」
「信頼できる営業さんのおススメなら間違いないです。ここにします」

 そう言った時の中里さんのはにかんだ表情は、私の脳裏にずっと焼き付いて離れなかった。










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