瑠衣は数週間前に始めたキャバクラのアルバイトが嫌いだった。父親が作った借金返済の為でなければ、こんな仕事はしたくなかった。肌を露出させ、男に媚びている姿を誰にも見られたくないと、両親以外にはこのアルバイトについて黙っていた。そのはずだった。

「エミリちゃん、新規のお客さんで指名入ってるんだけど」

 接客をしていた瑠衣に、ボーイが耳打ちをした。エミリとは瑠衣の源氏名だ。バックヤードに戻り、ボーイが指差したテーブルを見た時、瑠衣は全身の血の気が引いていくのを感じた。彼女は慌ててテーブルに向かい、彼女を指名したというその男性の隣に座った。

「何してるんですか、涼介さん」

 それは赤城レッドサンズのリーダーである、高橋涼介だった。キャバクラ店などとは無縁であろう涼介がなぜ目の前に居るのか、瑠衣には理解ができなかった。

「それはこっちの台詞だ。エミリちゃん……と、ここでは呼んだほうがいいかな」
「やめてください。恥ずかしい」

 瑠衣は涼介に背を向け、サイドテーブルに置いてあったグラスとアイスペールを手に取った。胸元が大きく開いたドレス姿の自分を、かつてのチームメイトに見られたくなかったのだ。

「どうしてわかったんですか?」
「レッドサンズの情報網を甘く見ないでくれ。それぐらい、瑠衣も知っているだろ」

 グラスに氷を落とし、ウーロン茶を注ぎながら瑠衣は涼介の話に耳を傾ける。

「瑠衣が突然、それも一方的にレッドサンズを辞めた直後に、赤いFDが中古車店に並んでいたのを見た奴がいてな。それで、気になって少し調べたよ。君のお父さんが経営していた会社は倒産していて、家は競売にかけられていた」

 瑠衣は小さく溜息を吐いた。チームメイトには知られたくなかった。苦渋の決断の末とはいえ、レッドサンズのステッカーが貼られていたFDを売ってしまったことを。

「あれはやはり、瑠衣のFDだったんだな」

 ウーロン茶の入ったグラスを涼介の前に差し出すと、瑠衣は小さく頭を下げた。

「逃げるみたいにレッドサンズを辞めて、すみませんでした」

 レッドサンズを脱退した際、瑠衣は涼介の携帯に留守電を入れただけだった。レッドサンズが大切だからこそ、メンバーと面と向かって話をするのが怖かったのだ。涼介や史浩ならば引き留めつつも、彼女の置かれた状況を理解しただろう。でも、啓介は違ったはずだ。

「どうしようもない事情だったんだろう。残念だけど、仕方ないさ」

 涼介はグラスに手を伸ばし、ウーロン茶を口に含んだ。

「ただ、せめて事情を先に話して欲しかったというのが本音だな。皆瑠衣のことを心配してたぞ。勿論、啓介もな」

 涼介はきっと、瑠衣が啓介に特別な感情を抱いていることに気付いていたのだろう。動揺を必死に隠して、瑠衣は「啓介」の名を聞き流した。

「あの……皆には私がFDを売ったことも、こんな店で働いてることも言わないで欲しいんです」
「わかった。俺からは言わないと約束する。ところで、今日は何時に終わるんだ?」
「閉店は十二時ですけど、今日は暇だから早く上がらせてもらえるとは思います」
「じゃあ、それまで待ってるから。家まで送るよ」
「そんな……大丈夫です。店の人が送ってくれますし」
「俺がそうすると決めたんだ。いいだろう?」

 レッドサンズを辞めたとはいえ、かつてのチームリーダーには逆らえないと瑠衣は思った。

「それなら、近くのファミレスで待っててください。こんなボッタクリの店で涼介さんにお金使わせたくない」

 涼介はウーロン茶を飲み干した。

「安心してくれ。親父の病院の名前で領収書切るから」
「でも」
「家族のために働いてるんだろう?少しでもエミリちゃんの売上に貢献させてくれ」


*


「あそこでは毎日働いてるのか?」

 瑠衣がFCのナビシートに乗るのはこれが初めてだった。いつか涼介の本気の走りをナビシートで体感してみたいと、彼女はいつも思っていた。こんな形でこの席に座ることになったのは、不本意でしかない。

「週に四、五日ぐらいです。それに、昼間はファミレスのバイトも入ってます」
「ちょっと無理しすぎじゃないか?」
「今は少しでも稼がないと……お金貯めてまたFDも買いたいし」

 愛情込めて作り上げた瑠衣の自慢のFDが、もう一度手に入るとは思っていなかった。しかし彼女はいつの日かまた、ロータリーエンジンの音を響かせながら赤城山を駆け抜けたいと思っていた。

「昨日店の前を通った時は、まだ売れてなかったぜ。瑠衣のFD」

 涼介の言葉に、瑠衣の心には僅かな期待が生じた。

「そうですか……会いたいな、私のFD」
「ちょっと見ていくか?」

 瑠衣は頷いた。売却した際、もう二度と会えないと思っていたFD。失ってからも、毎日と言っていいほど夢に現れた大切なパートナー。一目でいいからそんな愛車に会いたかった。
 しかし、瑠衣はすぐに後悔をすることになる。

「私の……私のFD」

 ずらりと並べられた中古車の中で、赤いボディーカラーのFDの存在感は際立っていた。そのFDのフロントガラスには、「ご成約車」という貼り紙があった。
 瑠衣はFCから飛び出して、赤いFDの元へ駆け寄った。当然だが、ボディに「Red Suns」の文字はない。けれども、それは確かに瑠衣の愛車だった。既に手放していたとはいえ、愛車が他人の手に渡った事実を目の当たりにした彼女は、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
 気が付けば、瑠衣の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。止めどなく溢れ出てくる涙は彼女の頬を伝い、アスファルトに染み込んでいく。

「すまなかった。こんなことなら、来るんじゃなかった」

 涼介は瑠衣の隣に立ち、彼女の肩を抱いた。その瞬間、堰が切れたかのように、瑠衣は声を上げて泣き始めた。

「瑠衣。本当に悪かった。俺のせいだ」

 涼介が悪いわけではない。そして、瑠衣自身のせいでもなかった。彼女は拳をきつく握り締めて、自分からFDを、レッドサンズを、そして夢を取り上げた神様を恨んだ。その涙が枯れるまで、彼女は涼介に身体を預け、嗚咽を漏らし続けた。









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