FCの白いボディに淡い桃色の花弁が貼り付いていた。季節は春。大学を卒業した涼介が、大学病院で勤め始めるまでの束の間の休息。涼介と過ごす穏やかなひと時に、赤城山に咲き誇る桜の木々が彩を添える。

「涼介さん、瑠衣さん、お疲れ様です」
「珍しいな。昼間なのに」
「俺達にはお二人みたいにデートの予定も無いし、暇だと来ちゃうんっすよね」

 赤城山山頂の駐車場でたむろしていたレッドサンズの二軍メンバー達が、FCから降りた二人に声を掛けた。今やツートップが殆ど不在となった赤城レッドサンズは、事実上の活動休止状態だった。それでも高橋兄弟を慕う者達は愛車のボディに「Red Suns」のステッカーを貼り、こうして赤城山に集っていた。

「涼介さん、来月の啓介さんのレースは行かれますか?」
「いや。就職でそれどころじゃない予定だ」
「やっぱりそうですよね。俺達は賢太さんと一緒にレッドサンズ代表して応援行って来ます」
「そうか。もし啓介に会えたらよろしく伝えてくれ」
「勿論です」

 二人は手を繋いで、二軍メンバー達から離れた。向かう先は大沼だ。

「啓介、無事走れそうですか?」
「自分で聞けばいいだろ」
「だって、啓介と連絡取ったら涼介さん嫉妬するでしょ」
「嫉妬も愛情表現だよ。それで怒ったりしないさ」
「……前科ありますけど」
「何の話だ?」

 わざと惚けたように言う涼介の腕に、瑠衣は頭部をぴたりと寄せた。涼介の束縛行為はすっかり緩和していた。それでも恋人を不安にさせたくないと考える瑠衣は、進んで啓介と連絡を取ろうとは思わなかった。
 国内A級ライセンスを取得した啓介は地元群馬を離れていた。来月、レーシングチームの所属ドライバーとして正式にサーキットデビューを果たす予定らしい。全て涼介から聞いた話だ。

「今年中には国際C級まではいけそうですよね?」
「何が何でも今年中に、と啓介本人も言ってたな」
「頑張って欲しいなぁ。Dから……レッドサンズからついにプロが出るの、本当に夢みたい」
「あいつはまだスタートラインに立っただけさ。これからが本番だよ」

 啓介の夢はこれからも続いていく。彼が夢に向かって走って行く姿を見守ることは、かつて瑠衣の一番の夢だった。その夢が「一番」でなくなったのは、涼介を愛したからだ。

「啓介は最近負け無しだったからな。そろそろ大きな挫折を味わうといいだろう」
「最後に負けたのって……もしかして秋名ですか?」
「一応、そういう事になるな」
「じゃあ二年前、か。私が涼介さんと付き合う前だ」
「そうか……もう二年近く経つのか。早いな」
「そうですね」
「瑠衣とここに来るといつも、付き合い出した日のことを思い出すよ」

 ボート乗り場の桟橋で立ち止まった二人は、雲一つ無い空の色に染まる大沼を見渡した。美しい季節だ。かつて涼介が「香織さん」と見た景色を、瑠衣は今、その目に焼き付けるように見つめている。
 二年前、瑠衣は赤城レッドサンズのリーダーの命令に従い、涼介の恋人となった。大切なものを失った当時の彼女には、涼介しか残されていなかった。それから涼介を愛し、悩み、苦しみ、涙し、それでも彼を愛し続け、今日に至る。

「あの頃、俺達の頭の中にはそれぞれ別の人が居たんだよな」
「……香織さんの話はしないで」
「瑠衣、」
「折角私とデートしてるのに、昔好きだった人のこと思い出すなんて最低です」
「怒ったのか?」
「怒ってません」

 涼介の手に力が篭った。
 彼が「香織さん」を愛した過去は消えない。けれども瑠衣はもう、自身が「香織さん」に劣っているとは思っていなかった。この後赤城道路を下ったら、いよいよ涼介との新しい生活が始まる。彼女が見据えているのは未来だけだった。

「二年前の俺は、こんなにも瑠衣に必死になるなんて想像すらしなかっただろうな」
「二年前の私は……こんなにも涼介さんに振り回されるなんて思ってなかったと思います」
「人聞きの悪い言い方だな」
「いい意味で、ですよ。振り回されるのが嫌だったらとっくに別れてます」

 涼介は瑠衣の手を離し、人目をはばからず、彼女を背後から抱き締めた。

「別れる、なんて言葉を口に出さないでくれ」

 胸の前で交差された涼介の腕を、瑠衣は両手で掴んだ。その時、大沼に浮かぶスワンボートの中のカップルと目が合った。カップルは何かを囁き合いながら、涼介と瑠衣を見て笑っている。空に輝く太陽の下でこんな風に抱き合う事は、一見するとおかしな光景なのかもしれない。けれども愛に狂った二人にとって、他人の視線など恐れるに足りないのだ。
 瑠衣はこの腕を−−涼介を一生手離したくないと心から願った。それは瑠衣の一番の夢だった。これからも涼介に振り回されながら、涼介の愛を受け止め、涼介を愛し続けていきたい。そんな彼女の夢が現実となるか否かは、愛し合う二人だけの秘密ということにしておこう。

「瑠衣。愛してるよ」
「私も愛してます。涼介さん」












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