数え切れない程繰り返されたシナリオの検証と修正、そして心の葛藤を経て、涼介は瑠衣のアルバイト先を訪れていた。店のボーイに源氏名を告げてから瑠衣が現れるまでには、長い時間を要した。
 涼介は珍しく緊張していた。彼女を待つ間、彼は頭の中で予め考えておいた台詞を復唱していた。FCで来てしまったことをほんの少しだけ後悔したりもした。今日ぐらい酒の力を借りるべきだったかもしれない。

「店の人気ナンバースリーともなると、会えるまでに随分と待たされるんだな」

 涼介が待つテーブルへ駆け込んで来た瑠衣を、彼は笑顔で出迎えた。彼女は笑っていなかった。

「久しぶり」
「涼介さん、どうしてこんなこと……」

 涼介の隣に腰掛けた瑠衣は美しかった。仕事用の派手な化粧であることを差し引いても、彼女は華やかで、最後に顔を合わせた時よりも大人びていた。胸元に散りばめられたビジューの飾りが店内の照明を反射し、彼女の首から鎖骨にかけて光の筋を映し出していた。タイトなドレスは胸の谷間と細いウエストを強調している。
 涼介は息を呑んだ。そして、この日の為に用意したある物がポケットの中に入っていることをパンツの布越しに確認した。

「何かあったんですか?」
「ただ指名している女の子に会いに来ただけさ」

 瑠衣は涼介に背を向けて、飲み物の準備を始めた。

「私はこんな風に会いたくなかったです」
「そう言うな。再会の記念に、シャンパンでも何でも好きなものを飲んでいいぞ」
「涼介さん。ふざけないで」

 差し出されたウーロン茶を、涼介は一気に飲み干した。客のグラスを空のままにしないという職業上の習慣が身に付いている瑠衣が、二杯目を注ごうと空のグラスに手を伸ばした時、涼介は彼女の手を掴んだ。

「余裕が無いんだ。怒らないでくれよ」

 涼介は彼女の手の甲を指の腹で撫でた。そしてその指を腕へ、肩へ、鎖骨へ、胸元へ。再びごくりと息を呑んで、今度は腰へ、腹部へ、太腿へ。視線と指先で、愛する瑠衣の形を記憶に刻んでいく。

「啓介から聞いてはいたが想像以上なんだ……瑠衣が綺麗すぎて、今、とても緊張しているよ」

 涼介は再び瑠衣の手を握り、彼女と向き合った。

「帰るぞ」
「帰るって……まだ仕事中だし、他のお客さんもいるし」
「いや、今から帰るんだ。ここも今日で辞めてくれ」
「涼介さん……」
「こんなにも美しい瑠衣を、他の誰の視界にも入れたくないんだ。わかってくれ」

 涼介は彼女の手を握っていない方の手で、彼女の顎を持ち上げた。彼女の瞳に、涼介自身が映り込んでいる。

「……私、綺麗ですか?」
「あぁ。綺麗だよ」
「香織さんよりも?」

 瑠衣の目頭から光るものが溢れ出し、目元に溜まり、目尻から零れ落ちる様子を、涼介は黙って見つめていた。
 香織はとても美しい人だった。そして、目の前の瑠衣もまた美しい。どちらがより良いということでは決してなく、あくまでも、二人を比較対象とすべきではないと涼介は考えている。

「瑠衣、帰ろう」

 涼介は彼女の手を一旦解放し、その掌に、ポケットから取り出したものを乗せた。家の鍵だ。

「これ……」
「俺達に必要なのは新しい環境だ」
「俺達、ってことは……二人の家?」
「あぁ。俺と瑠衣が帰る場所だ」

 その鍵は、涼介が導き出した答えだった。過去という名の呪縛に囚われている瑠衣を取り戻すには、未来への進路を差し伸べてやるしか方法はないのだと。

「瑠衣。過去は変えられないんだ。香織さんと出会って、彼女を愛したからこそ今の俺が居る」
「それは……言われなくてもわかってます」
「だけど、瑠衣はどうしても香織さんの存在が気になってしまうんだろう?だから環境を変えて、これからは未来と向き合おう。今日から再スタートを切るんだ」

 涼介が言い終えたのと同時に、店のボーイがテーブルの脇でしゃがみ込んだ。

「お客様、ちょっと宜しいで−−」
「下がってて」
「エミリちゃん!他のお客さんも見てるし、困るよ」
「いいから下がってください」

 瑠衣が強い口調で制すると、ボーイは困り顔で他のボーイと目配せをした。やがて彼がテーブルから離れていくと、近隣のテーブルが騒めき始めた。客もスタッフも見境なく、ひそひそと何かを話しながら二人を見つめている。

「……涼介さん。聞いても良いですか?」
「どうした?」
「私が悩んだ挙句やっぱり涼介さんと別れたいって言ったら、この鍵はどうするつもりだったんですか?」
「そういうケースは考えていなかったよ」
「私は絶対に涼介さんから離れていかないと思ってたから?」
「いや。そうじゃない」

 涼介は瑠衣の頬に手を添えた。
 瑠衣に会いたかった。本来ならば求められるまでは会うべきではなかったかもしれないが、それでも彼は彼女に会いたくて仕方がなかった。メールも電話も無い、ただ彼女を信じて待ち続ける日々の中で、涼介はこれまで以上に強く彼女を求めるようになった。終に我慢が出来なくなり、今に至る。

「瑠衣を絶対に手離したくないからこそ、敢えてネガティブな結果は考えないようにしていたんだ」
「でも……もし私の気持ちが追い付かなかったら?」
「その時はゼロからシナリオを組み立て直して、何度でもお前に挑もうと思っていたさ」
「まるで私がバトルの相手みたいな言い方ですね」
「そうだな。今までで一番手強い相手だよ」

 涼介の言葉に、瑠衣は眉をひそめた。

「私、涼介さんのそういうところが嫌い」

 嫌い、という一言に傷付いている涼介自身が居た。数々のトレーニングで精神面を鍛えてきたつもりの彼も、瑠衣には時に、ぐちゃぐちゃになるまで心を乱されてしまう。

「そういうところ?」
「涼介さんに女心を分かれって言うのが間違ってるかもしれないけど……女はもっと面倒臭い生き物なんです。普段はリードして貰えると嬉しいけど、勝手に結論を出して欲しくない時だってあるんです。今はそういう時なの」
「そういう時、なのか」
「はい。今日の涼介さんは間違ってる。こんな時にもシナリオって……突然会いに来て、私の気持ちも聞かないでその鍵を出すのはおかしい」
「瑠衣、怒っているのか?」
「怒ってます。涼介さんは私が好きだとか愛してるとか言っておきながら、結局一番優先してるのは私じゃなくて自分の理論ですよね?」
「瑠衣……」
「そんな涼介さんは嫌い。嫌いだけど……全部私の為にしてくれた事なのはわかってるし、私は涼介さんが好きだなって……涼介さんから離れられないなって思うんです」

 マスカラが滲んだ黒い雫が、瑠衣の頬を伝っていく。

「結局いつも涼介さんのシナリオ通りになっちゃうんですよね。悔しいけど……涼介さんにはやっぱり逆らえない」

 そして瑠衣は笑った。ここが公衆の面前で無ければ、涼介は今すぐにでも彼女を抱き締めていただろう。
 かつて香織を失ったように瑠衣までも失わぬよう、これまで彼は必死だった。しかし、彼女の心を繋ぎ止めようとすればする程、彼は問題の本質を見失っていったのだ。今日、涼介は漸く誤りに気付いた。そもそも正答など存在しなかったのだ。愛とは多くの「不正解」の積み重ねで成り立っている。それらを避ける事など出来やしない。不正解の要因を検証し、違うアプローチを共に考える為に、男と女は寄り添い愛し合うのだ。

「瑠衣、すまなかった。こんなにもお前を傷付けた情けない男だが……俺の元へ戻って来てくれるか?」

 返事の代わりに、瑠衣は小さく頷いた。ここは公衆の面前だ。そう分かっていても、涼介はもう自身を抑えられなかった。二人の唇が重なった時、周囲からは驚愕の声が上がった。久々のキスをじっくりと味わうことは許されなかった。駆け寄って来たボーイに腕を掴まれて、瑠衣は直ぐに涼介から引き離された。
 
「一緒に帰ろう。涼介さん」

 そう言い残してバックヤードに連れて行かれた瑠衣の背中を見送ると、涼介は両手で顔を覆い隠して息を吐いた。痛みすら感じる程、心臓が激しく波打っていた。
 瑠衣の前ではデータも理論も意味を成さない。ある意味「高橋涼介」らしくない自分にならざるを得ない。
 涼介はこれからもずっと、愛という名の難問に挑み続けていく。時には失敗し、時には互いを傷付けながら、手を取り合って進んでいく。その先にあるものは、二人の未来。









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