セックスの後、瑠衣は下着すら身に付けず、涼介のベッドにうつ伏せになっていた。今日の行為も激しかった。高橋家で事に至る際はもう少しセーブして欲しいと、彼女は溜息を漏らす。住人達に音や声が聞こえていないかどうか、毎度気が気ではないのだ。
 瑠衣が顔を上げると、涼介は既に着替えを済ませていた。

「飲み物を取ってくるよ。何がいい?」
「冷たい物なら何でも大丈夫です」
「わかった」

 涼介がドアの向こうへ消えて行くのを見送ると、彼女は身体を起こし、無造作に脱ぎ捨てられた下着を拾った。ショーツを履きブラのホックを留めた時、彼女の視界にふと、デスクの上の手帳が飛び込んできた。何故その手帳に目を留めたのか定かではないが−−彼女は反射的に手を伸ばしていた。彼女の行動を駆り立てたそれは、女の勘というものなのかもしれない。
 ブックマークが挟まっているページは、今月のスケジュールだった。涼介の四角く整った文字で様々な予定が書き込まれていた。大学の講義や行事、プロジェクトDの打ち合わせや遠征、そして瑠衣との約束。毎日何かしらの予定が書き込まれている中、今日から二週間ほど後に、たった一日だけ空欄のままになっている日があった。瑠衣は胸騒ぎがした。その胸騒ぎの正体が何なのか考える間もなく、彼女はデスクの引き出しを開けていた。涼介のプライベートに踏み込むことへの罪悪感は覚えつつも、彼女は自身を制することができなかった。涼介の女性関係を知りたいという一心だった。
 三つ目の引き出しを開けたところで、瑠衣の手は止まった。そしてその瞬間、キャバクラの先輩の言葉がまるで走馬灯のように彼女の脳裏を駆け抜けた。浮気男ほど束縛する。自分に後ろめたいことがあると相手のことも疑ってしまう。悪い男には騙されてはいけない。

「香織……さん……?」

 引き出しの中には、裏向きにされた一枚の写真が入っていた。写真の裏にはスケジュール帳と同じ文字が並んでいた。

 −−美しい季節と、美しい香織さん。

 震える指先で、彼女はその写真を掴んだ。
 それは、レンズに向かって笑顔を振り撒く女性の写真だった。美しい人だった。大きな瞳からは長い睫毛が伸び、少しふっくらとした唇は淡い桃色に染まっている。ウェーブがかった髪を靡かせ、ノースリーブの洋服からは細くて白い腕が伸びている。背景は見覚えのある景色、赤城山大沼のボート乗り場だった。右下に印字されている日付は瑠衣がレッドサンズに入る前のものだ。
 少しの間、瑠衣は「香織さん」から目が離せなかった。涼介から有り余るほどの愛情を受けてきた彼女が、唯一手にしたことがないものがあった。それは「美しい」という言葉だった。「好き」も「愛してる」も、「可愛い」も、息を吐くように何度も言ってくれた。けれども、彼女が得られなかったものを「香織さん」は持っている。

「美しい季節と、美しい香織さん」

 瑠衣は噛み締めるように、写真の裏に書かれたそのメッセージを読み上げた。そして、悟ってしまった。自分は「香織さん」には勝てないのだと。

 しばらく経って誰かが階段を上る音が聞こえてくると、彼女は写真を引き出しの中へ戻し、あたかも着替えの最中であったかのように装った。

「そんなに慌てて着替えなくてもいいぞ」

 涼介はグラスが二つ載ったトレーを手に、部屋へ入ってきた。

「下着姿の方が色っぽいからな」

 目を細めた涼介は、デスクにトレーを置いた。その際、彼が手帳を引き出しに仕舞い込んだのを瑠衣は横目で見た。

「ねぇ、涼介さん」

 衣服を着用した瑠衣は、肘掛け椅子に座る涼介に歩み寄り、彼の手を取った。

「今月はずっと忙しいですよね」
「あぁ、そうだな……何かあったのか?」
「久々にどこか遠くへ出かけたいなって思って……Dが始まってからずっと家かホテルだったから。折角夏だし海とかプールとか行きたいな、なんて……」

 遠慮がちに言った瑠衣は、涼介に促され、彼の太腿に腰を下ろした。彼の腕が彼女の身体に絡み付く。

「すまない。今月はこれ以上何も予定が入らない位、いっぱいいっぱいなんだ」

 スケジュール帳の空欄に書き込まれることがなかった「何か」の存在を、瑠衣は確信した。

「……ですよね。やっぱり」
「Dの活動がひと段落ついたら必ず埋め合わせをするから」
「いいんです。海はまた来年連れてってくださいね」
「瑠衣……」
「涼介さんはいつも忙しいのに、こうやって私の為に時間作ってくれるだけで嬉しいですから」

 涼介に髪を撫でられながら、「香織さん」の髪もこうして撫でたのだろうかと瑠衣は考える。

「ついでだから話しておくけど、大学で少し込み入った課題があって、しばらく会えそうにないんだ」
「そうですか……」
「本当にすまない。締切まであと二週間ほどなんだが、まだ手を付けていないんだ。卒業がかかってるし少し本腰を入れないとまずいから、バイト先へも迎えに行けないと思う」

 スケジュール帳の空欄まであと二週間ほどであることは、偶然ではないのだろう。その空欄に存在する「何か」と「香織さん」を結び付ける確たる証拠を得たわけではないが、彼女の自信を裏付けるものは胸騒ぎだけで十分だった。

「大丈夫ですよ。また落ち着いたら、二人でゆっくりしましょう?」
「あぁ。俺に会えないからって、他の男に揺らいだりしないでくれよ」

 涼介の腕の中に居ながら、彼女は胸が凍り付くほどの寂しさを覚えた。

「涼介さん」
「ん?」
「私のこと、好きですか?」
「急にどうしたんだ」

 彼女は涼介のシャツを握り締めた。

「好きって言って欲しいんです」
「……好きだよ。瑠衣」
「愛してますか?」
「愛してる」

 「香織さん」よりもですか−−その問いを瑠衣は飲み込んだ。二週間後、涼介と会うことが出来なければ、きっとそれが彼の答えなのだろう。









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