ある日の夜。杏奈が自宅で晩酌をしながらプレゼン資料の手直しをしていると、啓介から着信があった。彼が杏奈のアパートを訪れた時、時計の短針は十二を指していた。

「ちょっとびっくりした。まさか啓介くんから誘って来るなんて」
「どうせ独り寂しくビール飲んでるんだろうなと思って」
「……まぁ、その通りですけど」

 啓介はレジ袋に入った缶ビールを差し出した。

「俺も付き合うよ」
「飲めるの?」
「強くはねぇけど、少しなら」

 杏奈は啓介のリクエストで炒飯と、冷蔵庫の食材で簡単なつまみを作って振る舞った。
 言葉の通り、啓介はあまり酒が強くないようだった。缶ビールの二本目を空けた頃にはすっかり饒舌になっていた。

「俺さ、親父と喧嘩したんだ」

 頬杖を付いて頷く杏奈に、啓介は話し続ける。

「俺は生半可な気持ちで走り屋やってねぇし、いずれはプロになりたいと思ってる。でも、親父には遊んでる風にしか見えねぇんだろな。遊びでレーサーなんかなれねぇ、って言われて、ついカッとなっちまって」
「手出したの?」
「殴ってはねぇよ。……俺は昔からグレてたし、親父に文句言われるのには慣れてる。でも、俺が本気で走り屋やってることを遊びって言われるのは許せなかったんだ」

 啓介はそう言って、三本目の缶ビールを飲み干した。

「仕方ないんじゃない?」

 杏奈の言葉に、啓介はむっとした様子だった。

「仕事では……私の場合は、ね。仕事では、プロセスは相手にとって重要じゃないと思ってる。私がどれだけ時間を掛けてリサーチしようが、何十パターンもアイディアを出そうが相手には関係ない。成果物が全てなの。その成果物が相手に認められた時、初めて会社に利益があがる。その結果、私のプロセスに価値がつくの」

 まるで後輩を指導する時の口調だった今日は飲みすぎたかもしれない――意識の片隅でそう思いつつ、杏奈は続けた。

「啓介くんが走り屋として努力していることに価値がない、って言ってるわけじゃないよ。あくまでもお父さんにとって啓介くんのプロセスは重要じゃないってこと。だってまだ結果は出ていないんでしょ?」
「まぁな」
「じゃあお父さんに今何言われても反論すべきじゃないよ。プロセスは結果の後に評価されるものだから、今はまだ評価されなくて当たり前……って、ごめん。なんか説教してるみたいだね」

 啓介は険しい顔をしていた。余計な事を喋りすぎたと、杏奈は口を噤んだ。
 暫くの間、杏奈は黙って缶ビールを味わっていた。彼は彼女の言葉を反復し呟いていた。そして、何かしら腑に落ちたのか、彼の表情が晴れた。

「俺、こんなんじゃ駄目だ。もっと頑張らねぇと」
「ごめんね。何も知らないのに口出して」
「いや、サンキューな。背中押された気分だ」
「そう?じゃあ本当に背中押してあげる」

 杏奈は啓介の背中を、缶ビールを持っていない方の手でぐいぐいと押した。「やめろよ」と啓介は言いつつも、本心では嫌がっていないようだった。

「今、初めてあんたのこと年上だと思ったよ」
「初めて?酷くない?」
「ただの呑んだくれじゃねぇんだな。ちょっと尊敬した」

 啓介の顔は赤かった。それはきっと酒のせいだったが、杏奈にとって理由などは重要ではなかった。真っ赤な顔をした啓介はとても可愛いと、杏奈は思ったのだ。

「もっと背中押そうか?」
「やめろよ、痛ぇ」

 杏奈は笑いながら、啓介の背中をまた押した。彼が漂わせる酒の匂いが、杏奈の感覚を麻痺させていくような気がした。


*


 ――やってしまった。そう思ったのと同時に、杏奈は声に出していた。
 朝、アラームのスヌーズ音で目を覚ました。壁掛け時計を見るといつもの起床時間より一時間も経過していた。そのまま視線を隣に移すと、啓介が仰向けになって寝ていた。衣服は何も身に着けていなかった。啓介も、杏奈自身も。

 昨晩は、記憶を無くす程飲んでいたわけではない。事実、杏奈は覚えていた。缶ビール片手にキスをして、ベッドに入って、啓介のものを口に咥えた。それからまたキスをして、啓介の身体に跨って、無我夢中で求め合った。最後は後ろから突かれながら二人で果てた。行為の内容は覚えていた。啓介の火照った身体も、熱くて硬いものも、少し乾燥した唇も覚えていた。けれども肝心の、キスに至った経緯だけが記憶の束から抜け落ちていた。しかし、杏奈にはそれを思い出している時間は無かった。投げ打つ事ができないしがらみの一つ、仕事に行かなければならない。
 杏奈は慌てて身支度を済ませ、朝食を食べる間も無く家を出た。テーブルに家の合鍵と置き手紙を、そして啓介の頬にキスを残して。










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