その日、啓介はレッドサンズのメンバーと赤城山で走り込みを行った後、ファミレスで食事を済ませて帰路に着いていた。兄の涼介が掲げた「関東最速プロジェクト」について、どの峠から攻めるか、県内にどんなチームが存在するか等−−夢中になって語り合っているうちに、気が付けばすっかり日付が変わっていた。
 繁華街近くを愛車FDで走っていると、赤信号に引っかかった。その時、交差点の反対側にあるバス停で、ガラの悪い男達が三人、誰かを取り囲んでいる様子が目に入った。オヤジ狩りだろうか。信号が青に変わると、啓介はバス停の目の前で停車した。もしかしたら暴走族時代の知り合いかもしれない、それならば今まさに狩られようとしているオヤジを一人救う事が出来る――そう思った矢先、啓介は三人組が取り囲んでいるのはオヤジではなくスーツ姿の女性であることに気が付いた。どうやら酔い潰れているらしい女性は、バス停のベンチに座り込み項垂れており、無抵抗のまま男に腕を掴まれていた。啓介は直観的に思った。こいつら女を襲おうとしていやがる、と。
 三人組に見覚えはなかった。啓介は窓を開け、

「おい、警察呼ぶぞ」

三人組に向かって叫んだ。すると三人組は、思いの外あっさりと逃げ出していった。

「ったく……どこのチンピラだよ」

 吐き捨てるように言った啓介は、FDから降りて女性の元へと歩み寄った。

「おい、あんた。大丈夫かよ」

 女性は泣いていた。彼女は啓介の問いに何も答えず、小さく頷いただけだった。

「さっきのは気の毒だったが、あんたもあんただ。女がこんな時間に一人で座ってんじゃ、ああいうのに絡まれても仕方ねぇだろ」

 啓介はそう言いながら辺りを見渡したが、タクシーは見当たらない。しかし、このまま彼女を放っておくわけにもいかない。

「乗れよ。送ってってやるから」

 女性は消え入りそうな声で「ありがとうございます」と答えた。


*


 女性の自宅アパートに辿り着くまで、彼女は道案内以外は何も話さず、静かに嗚咽を漏らし続けた。アパートの前でFDが停車すると、女性は鞄の中から財布を取り出した。そしてお札を数枚、啓介の太腿の上に置いた。

「タクシー代。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

 まるで仕事の取引相手に謝罪をするかのように、彼女は深々と頭を下げた。
 啓介は見返りが欲しくて彼女を乗せたわけではなかった。「受け取れねぇよ」と言いながらお札を掴むと、彼女が差し出したのは一万円札が五枚、つまり五万円だったことに気が付いた。

「何だよこれ」
「タクシー代」
「こんな大金受け取れるわけないだろ。あんた、頭おかしいんじゃねぇの」

 啓介は女性の手首を掴んで、無理矢理お札を握らせた。すると、彼女は声を張り上げた。

「こんなお金いらない!」

 突然の大きな声に、啓介は一瞬怯んでしまった。

「大声出すなよ、うるせぇな」
「貰ってくれないと困ります!」
「困るのはこっちだ」
「受け取ってくれないなら、不審者に車に連れ込まれたって警察呼びます」
「はぁ?何だよそれ」
「受け取ってください。お願い。お願いします。お願い……」

 つい先程までの威勢はどこへ消えたのか、彼女はまた嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまった。
 面倒な女を乗せてしまった、と啓介は数十分前の「善意」の行動を後悔した。こんなことならばあのバス停でタクシーを呼べばよかった。
 しかし見知らぬ女性から五万円を受け取るわけにはいかないし、況してや不審者として通報されるわけにもいかない。啓介は少し考えて、この五万円を一旦は「預かる」ことにした。

「あんたの携帯貸せよ」

 女性が差し出した携帯に、啓介は自身の番号を登録した。

「この金は一旦預かっておくけど、今度返すからな。俺、高橋啓介。必ず連絡しろよ」

 携帯電話と引き換えに、啓介は五万円を彼女から受け取った。彼女はまた頭を下げて、FDから降りていった。
 めんどくせぇな。溜息混じりに呟いて、啓介はFDを発車させた。









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