プロジェクトDのメンバーとサービスエリアで食事を済ませた啓介は、満腹の腹を摩りながらレストランを出た。出発前にタバコを吸おう、と啓介が思った矢先、誰が彼の名を呼んだ。

「啓介くん」

 啓介が後方を振り返ると、白いワンピースを着た女性が立っていた。彼は一瞬、彼女が誰なのかわからなかった。見覚えのある女性だったが、いつ、どこで彼女と会ったのか思い出すことができなかった。もしかしたらプロジェクトDの追っかけかもしれない、と彼が思った刹那、女性は笑顔で言った。

「久しぶり。一年ぶりかな?」

 啓介は驚いた。ニコニコと手を振る彼女が、一年前、夢を追う為に手放した女性であるとすぐに認識することができなかった自分自身に、彼は驚いたのだった。

「驚いた。一瞬、誰かわかんなかった」
「私のことなんて忘れてた?」
「違ぇよ。いつもスーツだったから、あまりにも雰囲気違いすぎて」
「っていう言い訳ね」

 歩み寄ってきた杏奈は、啓介の隣で立ち止まった。ほのかに甘い香水の香りが、啓介の顔を掠めた。

「悪い、出発前にタバコだけ吸わせてくれ」

 啓介はチームメイトに断りを入れ、杏奈を喫煙所へ誘った。



「さっき声掛けた時、啓介くん絶対私が誰かわかってなかったよね」

 杏奈は笑いながら言った。啓介はタバコに火を点ける。

「言っただろ。雰囲気違いすぎって。第一、こんな所で会うなんて思ってなかったし」
「ふぅん。本当に私が誰かわかってる?他の女と勘違いしてない?」
「なにふざけたこと言ってんだよ、杏奈」

 タバコをふかしながら啓介は答えた。勘違いなどするはずはない。啓介にとって杏奈は、忘れたくとも忘れられない存在なのだから。

「今、なんとかプロジェクトの活動中?」
「プロジェクトDな。知ってんの?」
「うん。車好きの部下が会社のパソコンでホームページ見ててね。峠でバトルしてる高橋啓介なんて、啓介くんしかいないでしょ」
「杏奈、部下いんのかよ」
「うん。この春から昇進したんだ。申し遅れましたが、わたくし、こういう者です」

 杏奈はショルダーバッグから名刺入れを取り出し、名刺を啓介に差し出した。彼女の名の前に「係長」と書かれている。

「まだまだ下っ端だけどね。もっと頑張って結果出して、出世コースに乗ることが目標」
「出世、か。すげぇじゃん」

 啓介は杏奈の名刺をパンツのポケットに仕舞った。

「啓介くんに捨てられてから、仕事一筋なんだ。今は仕事が恋人」
「杏奈のこと捨てた覚えはねーけど」
「えー。捨てたでしょ」
「契約期間満了、とか言ったのは杏奈だろ」
「そうだっけ?」

 杏奈はどこか遠い所を見つめていた。

「私はもっと一緒に居たかったんだけどね」

 杏奈の言葉に、啓介は口を噤んだ。
 啓介の記憶が正しければ、杏奈は一言たりとも、彼を引き止めるような言葉を言わなかったはずだ。だからこそ啓介は彼女を諦めることができたのだ。彼女に別れを告げた時、もしも「もっと一緒にいたい」という言葉を聞いていたら、彼女を突き放すことができただろうかと啓介は考える。
 一年前のあの時、啓介は杏奈が好きだった。ただのセフレであれば、割り切った関係を続けることができただろう。本気で好きになってしまったからこそ、啓介は彼女から離れなければならなかったのだ。

「じゃあ、視線が痛いから私はそろそろ行くね」

 杏奈はそう言って、背後を振り返った。喫煙所の片隅では賢太が、にやつきながらタバコを吸っていた。

「これからバトルしに行くんでしょ?」
「あぁ。今日は現地入りして練習だけで、本番は明日だけどな」
「頑張ってね。応援してる」
「ありがとな」
「プロになって、スポンサー探しに困ったら連絡頂戴ね。私のお客さん紹介するから」
「おう。期待してるぜ」

 杏奈は微笑んで、喫煙所を後にした。艶やかな髪とワンピースの裾を靡かせながら、杏奈は啓介から遠ざかっていく。その姿を眺めていると、啓介はふと、寂しい気持ちに襲われた。

「杏奈」

 啓介は杏奈を呼んだ。彼女は足を止め、啓介を振り返った。
 元気そうで良かった。仕事もいいけどいい男探せよ。相変わらず綺麗だな。言わなかったけど、俺もあの時お前のことが好きだったんだ――そんな言葉が啓介の脳裏に浮かんだ。しかし、啓介はそれらの言葉を心の内に仕舞い込んだ。

「酒、飲み過ぎんなよ」

 啓介の言葉に目を細めた杏奈はとても綺麗だと、彼は思った。

「うるさいなぁ。わかってるよ」

 杏奈の姿が見えなくなると、啓介はタバコの火を消して、愛車の元へ歩き出した。啓介を追って、賢太が駆け寄ってくる。

「啓介さん、誰ですかあの美女」
「誰でもいいだろ」
「もしかして元カノっすか?」
「そんなんじゃねぇよ」

 賢太を振り切り、啓介はFDに乗り込んだ。誰もいないはずのナビシートに、彼は杏奈の幻影を見た。

「タクシー代。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「ハタチの子にブラ見られたって死なないし」
「そんなこともわからないなんて、啓介くんはまだまだ子供だよ」

 ナビシートで泣いていた杏奈も、ふざけて笑った杏奈も、哀しげに言った杏奈も、啓介は鮮明に覚えていた。胸の内に封印してあった彼女への想いが、フラッシュバックのように突然蘇ってくる。それは、決して忘れることのない、特別な感情だった。
 啓介は杏奈の名刺をダッシュボードに仕舞い、FDのエンジンをかけた。アクセルを踏む啓介の背中を、杏奈の掌が強く押した気がした。









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