毎週月曜日は、一週間で一番、社長の機嫌が良い日だった。

「おはようございます。今日は、先日の懇親会で頂いたエクアドル産のコーヒーを淹れてみました」

 秘書である私の一日は、眠そうな顔で出社してきた社長に、挽きたてのコーヒーを出すことから始まる。

「それ、誰からだっけ」
「X社の田中社長です。来月の展示会でもお会いするかと」
「じゃあ、展示会の前にまた教えてくれ。絶対覚えてらんねぇ」
「かしこまりました」

 コーヒーを出した後は今日の予定を確認し、耳に入れおくべきニュースや事柄があれば伝える。一般的な会社社長であれば毎日複数の新聞を読むだろうが、我が社の高橋社長は違った。自動車関連やレース関連のWEBニュースは毎日欠かさずチェックしているようだが、一般時事ネタは朝のニュース番組を見ているだけだ。社長にとって必要であろうニュースを精査し伝えることも、私の重要な仕事だ。

「先週末はどちらへ?」
「熱海のほう」
「いいですね。動画撮影ですか?」
「いや、ただ走ってきただけだ」

 週始めに社長の機嫌が良い理由は、これだ。社長は毎週末、愛車で走りに行く。オフィスで仕事をしている時よりも、走っている時の方が「生きてる心地がする」のだと、以前お酒の席でそう語っていた。社長にとって走る事は、新鮮な空気を吸う事と同じなのだろう。今回はプライベートだったようだが、MFGのWEB用デモ走行動画を撮影しているのは社長だ。最も、その事を社内で知る者は私と、不動産部門の中村チーフだけだが。

「サービスエリアで饅頭買ってきたから。後で賢太にもやってくれ」

 熱海で、満足のいく走りが出来たのだろう。お土産を買ってきてくれるのは、何か良い事があった証拠だ。

「ありがとうございます。午前中は特にアポなどありませんが、中村チーフから再開発プロジェクトの素案が届いていますので、今のうちに目を通しておいてください」
「面倒くせぇ。素案レベルで俺に意見を求めんなよな」
「そう仰らずに。午前中はずっとデスクに居ますので、何かあれば内線ください」

 私はお土産を受け取って、社長室を出た。


 私は月曜日の朝が好きだ。社長の……好きな人の機嫌が良いと、私も嬉しい。
 私は社長が好きだ。きっかけは、学生時代のイベントコンパニオンのアルバイト。モーターショーでTKマッハコーポレーションのブースを担当した際に、社長に出会った。一目惚れだった。しかし、社長秘書の職を手に入れるまではただ憧れの存在だった。秘書になって、少しずつ社長を知るうちに、「憧れ」という感情が「好き」という想いへ変わっていった。
 社長の好きなところを聞かれたら、いくつも挙げることができる。見た目は勿論。仕事が出来て、起業し会社を大きくしたところ。口は悪いけど、社員を大切にしているところ。秘書として私を頼ってくれるところ。機嫌が良い時に、いつもより優しくなるところ。機嫌が悪い時は、子供みたいに周囲に当たるところ。レースや愛車について、目を輝かせながら話すところ。
 私はそんな社長が好きだ。けれどもこの気持ちは、片想いでいい。あんな素敵な人が、自分のものになるわけがない。


 ランチタイムの少し前に、内線が鳴った。ディスプレイに表示された内線番号は、社長室だ。

「お疲れ様です」
「俺だ。お前、昼メシどうする?」
「外へ食べに行こうかと思ってました」
「じゃあ良かった。昼、こっち来てくれ」

 社長がランチを誘ってくれることは、滅多にない。胸を躍らせつつ社長室へ向かうと、社長は応接テーブルで宅配ピザを頬張っていた。Lサイズだろうか、大きなピザが二枚もある。

「賢太と食おうと思ってたのに、部下がトラブってるとか何とかで、クライアントの所に頭下げに行っちまって。食えよ」

 私は社長の向かい側に座り、ピザに手を伸ばした。

「そんな大きなトラブルだったんですか?」
「さぁな。賢太のやつ、とりあえず頭下げておけばいいと思ってる節あるからな」
「確かに、そうですね」
「フットワーク軽いのはありがたいけど、ここの所、働き過ぎなんだよな。先月のあいつの残業時間見た社労士に叱られちまったよ」
「仕事好きですもんね、中村チーフは」
「……お前もちょっとは休めよ」

 そう言った社長と目が合った。そこらの中年男性とは比べ物にならない程、社長はかっこいい。若い頃はかなりモテたそうだが、写真で見るレーサーだった頃の社長よりも、歳を重ねた今の社長のほうがもっと魅力的だと思う。

「土日出勤の代休取らないし、有給だって病気の時しか使ってないだろ」
「確かに、そうかもしれないですけど」
「もっと休んで、やりたい事に時間使えよ」

 社長の側で、社長の為に働くことが、私のやりたい事だ。有給や代休を取ったら、その分社長に会えなくなる。そんなのは嫌だ。……なんて、社長には言えないけれど。

「休んだとしても、頭の中に社長のスケジュールが入ってるので、休んだ気にならないです。それに毎朝コーヒーを淹れるのも、仕事というより生活のルーティーンになってしまってますし」
「コーヒーくらい総務の奴らにだって、賢太にだって淹れられるだろ」
「ご自分では淹れないんですね」
「俺は社長だから」

 社長は歯を見せて笑った。こんな風に、無邪気に笑う社長も私は好きだ。

「まぁ、お前が淹れたコーヒーが一番美味いけどな」

 その時、胸の奥底で、何かが弾けた音がした。その破片が心にチクリと刺さる。
 好きです、社長。そう大声で叫びたくなる衝動に駆られる。こんなにも好きなのに、この人は、私のものではないんだ。

「どうしたんですか。今日はやけに優しいですね」
「お前にはいつも優しいだろ」
「そうですね。そういう事にしておきます」

 私は今、渇いた笑顔を顔に貼り付けているだろう。社長の言葉が嬉しいはずなのに、心から笑えない私がいる。

「兎に角、少しは休めよ。お前に辞められたら困るからな」

 「毎朝、自分で新聞読まなきゃいけなくなるし」と、社長は冗談っぽく言い足した。
 社長に頼られている。勿論秘書としてだが、社長に必要とされている。それだけで幸せなのに、私は強欲で、矛盾した生き物だ。本当は「秘書として」ではなく、ひとりの女として必要とされたい。片想いでいいと何時も、何度も自分自身に言い聞かせてきたけれど、本当は社長に愛されたい。社長の腕に抱かれて、「好きだ」と囁いて貰うことが出来たら、どれほど幸せだろうか。

「……社長」
「ん?」
「クビにしないでくださいね」

 社長に「好き」と云えない私が、社長に「好きだ」なんて言って貰えるわけがない。想いを伝えたところで、私はただの秘書にしか過ぎないのに。
 私はいつか、この気持ちを諦めなければいけない。その「いつか」が来るまでは、貴方の側に居させてください。社長。


*
*
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「社長、今日はすみません。ピザ、一人で食べたんですか?」
「んなわけねーだろ。秘書呼んで二人で食った」
「……社長って、名前ちゃんにはやけに優しいですね」
「そうか?普通だろ」
「前の秘書は三ヶ月でクビにしたのに」
「そりゃ前の奴が使えなかっただけだろ」
「またまたー。コンパニオンしてた時だって、名前ちゃんが一番可愛いって言ってたじゃないですか」
「そうだっけ?」
「コンパニオンなんかバカじゃなきゃ誰でもいいっていつも言う癖に、名前ちゃんのことは可愛いって言ってましたよ」
「んな話、とっくに忘れた」
「可愛いし、仕事は完璧だし、気配りも出来るし。社長が大事にするのも納得です」
「うるせぇ賢太。くだらない話してないで、さっさとプロジェクトの素案やり直せ。ボーナス減らすぞ」
「そんなぁ、啓介さぁーん」



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