※「社長と秘書」の続編です。
※執筆時点では啓介が既婚か未婚かわかりませんでした。本作は未婚もしくはバツあり設定になります。

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「名前ちゃん。今日の夜、暇?」

 ある日の午後、コピー機の前で唐突にそう声を掛けられた。声の主は不動産部門の三浦主任だった。爽やかなスポーツマンタイプの彼は、女性社員から人気がある。彼と業務で一緒になる事は殆ど無いが、顔を合わせたら世間話をする程度には親しい間柄だった。

「えっと、はい。一応」
「良かった。二人でご飯でもどうかな?」
「いいですけど……何かありました?」
「気になる女の子を食事に誘うのに、特別な理由は要らないだろ?今日は定時で切り上げるから、エントランスで待ってて」

 主任はひらりと手を振って、デスクへ戻っていった。
 気になる女の子、と彼は言った。特に嫌悪感を抱いているわけではない相手にそう言われ食事に誘われたら、普通は喜ぶものだろう。しかし私の脳裏には瞬時に、社長の顔が浮かんでいた。誘ってくれたのが社長だったら良かったのに。
 相も変わらず、私は社長への気持ちを捨てきれずにいた。そればかりか、日を追うごとに「好き」という想いが募る一方だ。そろそろこの片想いに蹴りをつけなければならないと感じていた。今日の食事をきっかけに主任と向き合うことで、社長を忘れられるかもしれない。
 でも、私は本当に、社長を諦めたいのだろうか。



「お前、今日残業出来るか?」

 宅急便を届けに行った際、パソコンのディスプレイを凝視しながら社長が言った。

「今日、ですか」

 普段ならば「はい」と即答するのに。主任の誘いを断れば済むのに。返事を躊躇った私の様子に、社長は気付いたのだろう。彼はディスプレイから視線を上げた。

「予定あるなら誰かに声掛けるからいいぞ。ただの来客対応だし」
「そうですか……ちょっと返事を待って貰ってもいいですか?予定を遅らせられるかもしれません」
「いや、いい。お茶出しなんかより予定優先しろよ。友達と飯でも行くんだろ?」
「はい。不動産部門の三浦主任に誘われてて」
「珍しいな。何の会だ?俺は誘われてねーぞ」
「私と主任の二人なので、多分、仕事絡みとかそういうのではないかと……」
「そうか。だったら、やっぱり残業してくれ」

 社長は強い口調で言った。彼が苛立っているのは、決して気のせいではない。

「相手がうちの社員で、仕事関係ないのなら話は別だ−−賢太か。俺だ」

 社長は中村チーフに内線電話を掛けているらしい。立ち尽くしている私を他所に、彼は話を続ける。デスクを小刻みに指で叩きながら。

「お前んとこの三浦に繋いでくれ。番号わかんねぇから−−三浦か。悪いけど、夕方から打ち合わせがあるんだ。秘書も同席させるから。あぁ、そうだ。約束してたんだろ?悪いな。あいつの事責めないでやってくれ。仕事だから」

 主任と話を終えた社長は乱暴に受話器を下ろして、ディスプレイに視線を戻した。
 社長を怒らせてしまった。まるで仕事で重大なミスを犯してしまったかのように、私は後ろめたい気持ちになった。

「すみませんでした。秘書として自覚が足りませんでした」
「お前が謝るこたねぇよ。俺の我が儘だから」
「我が儘、ですか?」
「あぁ。俺の仕事より男との飯を優先されるのは、いい気がしないってだけだ」

 社長は再び、ディスプレイから視線を上げた。

「お前、三浦と付き合ってんのか?」
「え?」
「浮かない顔してるぞ。そんなに三浦と飯行きたかったのか」

 違う、そうじゃない。私は首を横に振った。私が好きなのは、私の頭の中を独占しているのは社長だ。社長に主任とのことを誤解されるのは、堪らなく悔しい。
 後に続ける言葉を必死に探していた、その時だった。

「三浦と付き合ってないなら、俺と付き合わないか?」

 社長の言葉に私は耳を疑った。ほんの一瞬、心臓が止まってしまったかと思った。続いて、心臓が激しく暴れ始めた。鼓動の音が社長に聞こえてしまうのではないかと思うほどに。

「俺みたいな歳のオヤジがふざけたこと言ってんのは承知の上だ」
「社長、私は……」
「勿論、嫌だったら素直に断ってもらって構わない。俺と気不味くなるのが嫌なら部署移動だって考えるし、仕事辞めたいなら転職先の面倒も見てやるから」

 胸が熱くて、苦しい。社長が好きだという気持ちがどんどん高ぶってくる。

「部署移動は嫌です。仕事も辞めたくありません」

 私は深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。伝えるなら今しかない。

「私は……社長が好きです。ずっと好きでした。だから移動も転職も絶対に−−」

 私が言い終えないうちに、社長の内線電話が鳴り始めた。

「社長、内線……」
「いいから。続けてくれ」

 しかし、着信音は途切れることなく鳴り続ける。社長は小さく舌打ちをして、受話器を取った。

「後にしろ。今取り込み中だ」

 そう言いつつも何やら緊急の用事だったようで、社長は話し込んでしまった。私はどんな顔をして待てばいいのだろうか。今この瞬間も膨らみ続けている社長への想いは、私の胸の内で、解き放たれる時を待ち侘びている。
 両手を握り締めて社長の姿を見つめていると、彼は立ち上がり、私に手招きをした。私はゆっくりと社長に歩み寄った。社長のすぐ傍まで辿り着いた時、彼は私の手を握って、私の身体を引き寄せた。社長の片手は受話器を握ったまま、もう片方の手は私の後頭部に添えられた。
 社長の胸板に額を預け、私は瞼を閉じた。そして彼が内線電話を終えるまで、どうかこれが夢ではありませんようにと祈り続けた。

「−−で、返事は」
「返事?」
「秘書としてじゃなく、恋人として俺と一緒に居てくれるか?」

 目頭から生温かいものが溢れてくるのを感じた。秘書としてではなくひとりの女として社長に愛されたいという私の願いを、神様が彼に伝えてくれたのかもしれない。

「宜しくお願いします」

 そう言って顔を上げると、そこには社長の優しい瞳があった。私はこの人が好きだ。そう思ったのと同時に、社長の唇が降ってきた。重ねるだけのキス。一呼吸置いて、「好きだ」と囁かれて、今度は深いキス。社長の舌が、唾液が、私の中へ入ってくる。私は彼のシャツを掴んで、無我夢中でキスをした。
 好きな人に告白をされて、好きな人とキスをしている。こんなにも幸せを感じられる瞬間は他に無い。

 キスの後、社長は椅子に座り、ディスプレイと向き合った。

「お前さ、仕事以外では俺のこと社長って呼ぶなよ」
「でも……」
「当たり前だろ、俺達付き合ってんだから」
「いきなり名前で呼ぶのは難しいです」
「俺も仕事以外では名前って呼ぶから。それに敬語もナシだ」
「それは……努力します」
「努力じゃなくてそうするんだ。これは社長命令だぞ」
「職権濫用はいけませんよ。今、ハラスメントに厳しい世の中ですから」

 私の言葉に拗ねたのか、社長はキーボードを荒々しく叩き始めた。機嫌が悪い時、子供のように物に当たる社長は可愛らしい。けれども私は今、好きな人の笑顔が見たい。

「……啓介さん」

 社長は私を見上げた。真夏の太陽のような、眩い視線だった。私はこの陽射しにずっと照らされていたいと思う。

「呼び捨てはやはり難しいので、今はこれで許してください。啓介さん」

 私の言葉にはにかむ社長もまた、とても可愛らしい。私はそんな貴方が大好きです。社長。


*
*
*


「社長、今日は機嫌が良いですね」
「いきなり何だよ、賢太」
「ついに名前ちゃんとどうにかなったんですね」
「あ?何言ってんだ」
「何年社長の側にいると思ってるんですか。わかりますよ、それくらい」
「……そんなにわかりやすいか、俺って」
「わかりやすいですね。それに社長の内線の後、うちの三浦がかなり落ち込んでましたし。今日は定時上がりで名前ちゃんとデートだ!ってそれまで張り切って仕事してたんですよ」
「賢太。このことは三浦にも、他の社員にも、」
「言いませんよ。俺を信用してないんですか?」
「お前のことは信用してる……今度のプロジェクトだって、お前ならきっと成功させられると信じてる。だから無駄口叩いてないでさっさと改案持ってこい」
「相変わらず俺には厳しいなぁ、社長……」



>>2019 もう少し続きます。








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