アイデンティティの失速/瀬莉+シオン





肋骨の間を風がひゅうと通ったようだった。一歩踏み出すごとにぱきりと音がする。あの時と同じだ、と、思った。暗がりにすっかり慣れた視界の先に、俺と同じように血に塗れたシオンが見えた。
夜は冷たく、紅だけが生温い。ここに来る前に胃に流し込んだ珈琲は腹のそこで吐き気に姿を変えていた。

「…なぁ」
「なんですか」
「まだ?」
「まだです。まだ時間ではありませんから」
「あぁ、そう」

任務は時間までにデータがつまったメモリを奪うこと。お迎えの車が来るまで敵の構成員を少しでも減らしておく、というオマケつきで。
闇というには甘すぎる闇。銃声と硝煙と骨。なにもかもがあの時と同じだ。ルールは簡単、動く的があれば引き金を引く。的が動かなくなればおしまい。

「…めんどくせー」

心のなかだけで呟いたことばは声になっていた。前を歩いていたシオンが眉をひそめるのが空気を通して伝わってくる。そんなものはお構いなしに小腸が飛び出した死体を足で小突いた。――あぁ畜生、また汚くなっちまった。割れた鏡に映る自分の姿をみて、今度こそ心のなかだけで呟く。
一緒だ、何もかも。毎晩見る夢も鏡の中の俺も片方の目も血に塗れた腕も小腸やら目玉やら舌が飛び出た悪臭を放つ死体も、何もかも。
力のかわりになにかを確実に失った俺は、半分の世界の中でそれが何かも思い出せず溺れ死ぬのだろう。(何か、)(何か一番大切なものを)(守りたいのに、それだけなのに)


「…そろそろ時間です」



ぼんやりとかすむ意識と一つだけの視界で、独り言のようにシオンが言うのがわかった。
ああと小さく応えて、もはや真っ赤になってしまったそれにシャッターを切るように瞬いた。もう同じは嫌なんだけど、と、自分のなかで何かが呻くのがわかって、そっと右目を押さえた。


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20090316







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