闇夜4



友香は売人の仕事から足を洗った。
シュンとは絶縁した。親のいない友香は学費を払う為に夜の街で働いた。
今までずっとそうしていた事だ。夜の街である人物に出会った。ヤクザだった。
名はゴトウと言うらしい。別にヤクザなんか珍しくも何ともないのだが、ゴトウは少し変わっていて友香にこんな事を言った。


「俺の心を癒してよ。話すだけで時給十万。どう?」


法外な金額をゴトウに提示された時、友香は面食らった。だが断る事は出来なかった。理由は簡単。学費を稼がなくてすむからだ。
出席日数がそろそろヤバイので、学校帰りにゴトウの事務所に通うという何とも奇妙な生活が続いて早一ヶ月。十二月半ばの事だった。
その日も学校が終わり、友香は足早にゴトウの元に足を運ぼうと帰り支度をした。
教室を出てとあるクラスの前に差し掛かり、何気なく中を覗くとまだ授業中だった和馬の姿が見えた。
仕事をする和馬は紛れも無く「教師」だった。ヤクザの元に向う自分が学校にいてはいけないような気がして友香は足早に学校を出た。

何の変哲も無いマンションの一室。そこがゴトウの所属する組の事務所となっていた。
事務所の中に入るとゴトウはいつものように銃を磨いていた。ゴトウが座る大きなソファの隣に腰を下ろした友香。


「友香。良く来たね」


「どうも」


「例の先生と一緒にいなくてもいいの?放課後自宅に来るんでしょ?」


ゴトウには話の流れで和馬の事を話していた。また、友香が本当は高校生である事も話したがゴトウは特別驚いたりもしなかった。
始めは敬語で話していた友香だが、ゴトウに普通に喋ってくれて良いと言われてからはタメ口になった。


「今はちゃんと学校に行ってるから自宅には来ないよ。あくまでただの担任だからね」


「へー。教師って職業も大変だよね」


「うん。私みたいな子供とは住む世界が違うよ」


「子供は普通こんなところに来ないけどね。・・・あ、電話だ」


ゴトウは着信した携帯を取って話し始めた。何やら部下に指示をしているようだ。会話は手短に済まされてゴトウは携帯を閉じた。


「ごめんごめん。ちょっとシノギ(仕事)で揉め事があったみたいで。もう大丈夫だから」


「うん、てかヤクザって儲かるんだろうね」


「さぁ、どうかな」


「それとも下っ端とかは大変なの?」


「うーん。厳密に言うと下っ端とかって、この世界にはいないんだけどね」


「どう言う事?」


「はは。まぁ友香は知らなくていいよ」


友香から見て、ゴトウはそこらのエリートサラリーマンと何ら変わり無かったし、年もそこまでいっていなかった。
何を考えているのか分からないところがネックだが、それでも至って普通人だ。銃を磨いてる点を覗いてだが。
そんなゴトウと他愛無い会話をしながら数時間過ごし、そろそろ帰る事にした友香は立ち上がる。それを見てゴトウは封筒を差し出した。


「はい、今日の分。昨日と同じ三時間分だよね」


友香はゴトウから三十万入った封筒を受け取ってお礼を言うと事務所を後にした。外はすでに闇。
ゴトウは何のために金を払って自分と一緒にいるんだろう、という事をぼんやり考えながら友香は自宅を目指す。
しかし答えは闇の中に隠れたままだった。その時友香の携帯が震える。和馬からだった。


「どうしたの、和馬」


『今何してるんだ?』


「バイトが終わって帰る所。てか「先生」には関係ないじゃん。全然「先生」に見えないけど」


『ウルセー。教師だって人間なんだよ。そんな事よりも友香。単位の事でちょっといいか?』


留年したら学校は辞めるつもりだった友香だが、今のところ大丈夫らしい。しかし少しでも休めば卒業は難しいとの事。
友香は学校を休みがちになったのは薬に溺れ出した三年からで、一、二年の頃はそれ程休んでいなかった。
もっとも影でよからぬ事をしていた事には変わり無い。要領が良いというか悪運が強いなと和馬が笑う。
友香がうるさいなと言おうとした瞬間、車がゆっくりと横切った。車内の見知らぬ女と目が合う。
その女の何とも言えない異様な目つきに、友香はとっさに口を閉じた。


『・・・おい、友香?』


黙ってしまった友香を不振に思い、和馬は訝しげに問いかけた。それでも友香は黙って車が走り去るのを見つめていた。



***



翌日。雨が降っていた。寂しい雨だった。友香は傘を差しながら今日も事務所のドアを叩く。


「友香。良く来たね」


ゴトウはいつものように迎えてくれた。ただ今日は銃を磨いていない。代わりに何やら札束を数えている。
室内に入ると雨音が心地よく耳に響く。友香はゴトウの隣に腰を下ろす。


「随分と雨に降られたよ」


「身体拭いた方がいいよ。あ、拭いてからで良いからさ。友香もこの金数えるの手伝ってくれる?」


「分かった」


ゴトウが貸してくれたタオルで適当にタオルで身体を拭くと、さっそく金を数える手伝いを始めた。
いわゆる大金。中々数え終わらないそれに、友香は無意識に息を漏らす。季節はずれな雷の音が室内に響き渡った。


「金を数えるのも、そう楽じゃないよね」


「うん。ヤクザって儲かるからさぞかし笑いがとまんないんだろうね」


「いや全然。むしろ苦痛だよ。この仕事をカッコいいと思った事すらない」


「え、何で?じゃあ何で続けてるの?」


「完全に染まると、後には引けなくなるって言うか」


「ふーん。そういうもんなんだ」


「そういうモンだよ。ホント最悪だね。好きなものに好きと堂々と言えないし」


その言葉を聞いて、とっさに友香はゴトウの顔を見た。
目をみると「好きなもの」とは友香の事を言っている事が分かった。


「住む世界が違うって事は、こういう事だよ」


いつもより低くて尖ったその声。
気づいたら、友香の金を数える手が止まっていた。しかしゴトウの手は止まらない。友香とゴトウの間に、見えない壁が出来た。
壁は今までも存在していたけれど友香自身が「見えない気でいた」だけで確かに今まで存在していたようだ。
その事に気づいた瞬間。友香は無償に壁を壊したくなった。雷の音が耳につく。


「別に住む世界とか関係ないんじゃない?」


「そんな同情いらないよ」


「別にそんなつもりじゃ」


「だって俺、先長くないからさ」


「は?」


友香の手から金が落ちるのと同時に雷が落ちた。雷の光に照らされたゴトウの横顔が青白く浮き上がった。


「嘘でしょ?」


相変わらず、金を数えるゴトウの手は止まらない。しばらく雨と金を数える音だけが室内に響き渡る。
ようやくうつむき加減のゴトウが淡々と話し出した。


「先がたとえ長くても、俺は今の地位や全てを捨ててまで友香と一緒にいる事は出来ないと思う」


「・・・・・・」


「だからといって友香をこっちの世界に引きずりこんで守り切る自信も無いんだ」


友香は何も言えなかった。ただゴトウの、金を数える指先だけを見つめる事しか出来なかった。
ゴトウは金を数え終わるとトランクの中に入れた。それから友香が落とした金を拾い上げ、それらもトランクにしまい込んだ。


「俺の寿命は延びないからこんな事いくら考えても無駄なんだけどね。つまり、俺が言いたい事はさ」


今までうつむいていたゴトウの顔が、ようやく友香の方に向けられた。


「俺みたいにならないで欲しいって事。友香には後悔して欲しくないから。はい、これ」


笑顔でゴトウはそう言うと、トランクを友香に差し出した。


「何?これ」


「今まで楽しかった、ありがとう」


いつのまにか雨は気まぐれにも小降りになっていたが、寂しい雨に変わりはなかった。



***



――俺は十分満足した。だから受け取ってくれ。


受け取れる訳なかった。馬鹿にしないでよ、と一言言い放ち、友香は事務所から傘も差さずに飛び出した。
怒りと悲しみ。複雑な心境に、友香の顔は険しくなる。思考だけが目まぐるしく働いて、足はただ動かすだけだった。
あてもなく歩いていると、ふいに携帯が震え出した。和馬だった。


「・・・何?」


『お前、今どこ?』


今は誰とも話したくなくて苛立ちをあらわにさせていると、車が視界に映り込んだ。異様な目つきをした女の車だ。
女は車の中から出てきて、友香に近づいてきた。ヤンキー上がり風で何処と無く異様な雰囲気に、友香はそっと携帯の電源を切る。
いよいよ友香の目の前まで近づいて来た女は口を開く。


「ゴトウにこれ以上近づかないでくれる?」


以前シュンと一緒にいた時も、女に後ろから尾行された事があった。下手に言い訳するよりも二度と会わないという意思を示した方が良い。
とにかく早く家に帰りたい。そう思って、友香はゴトウのアドレスを携帯電話から消去した。
しかしそんな事で女は納得してくれなかった。それから二十分程、友香は女から一方的に説教を食らった。
ガキのくせに、とか大して可愛くないくせに、とか訳の分からない事を散々言われたが、友香は言い返す気にはなれなかった。
ひたすら黙って聞いていた。が、次の瞬間。


「こんな乞食みたいな女に引っかかるなんて、ゴトウも馬鹿だね」


乞食と言われた事もカンに障ったが、ゴトウの事まで悪く言う女が許せなかった。我慢の限界だった。
怒る気持ちを抑えて友香はこう言った。


「これで勘弁してくれませんか?」


友香は鞄の中から滅多に吸わない煙草を取り出して火をつけ、そのまま手首に押し付けた。威勢の良かった女の眼が大きくなり呆然とした。
みるみる焼けただれる皮膚。タンパク質の焼ける匂いがして湿った空気と混ざり合う。
熱いというよりはむしろ痛い。しかし、その痛みすら段々感覚が無くなって来た。
女はまるでキチガイでも見るような顔でその様子を見つめていた。そして。


「もういいよ」


そう言って女は去って行った。最初からこうすれば良かったなどと友香は思いながら煙草を手首から離した。
火傷を見ると緑色になっていた。手首に刻んだ火傷のように、ゴトウのことも一生忘れないだろうと友香は思った。


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