泣きわめく子どものような声と鉄を打ちつける耳に痛い金属音がひっきりなしに聞こえる状況なのだから、止めに入るのは当たり前だろう。おおよそこういった主旨を口柔らかに述べた家康に、黙れとにべもなく鋭い眼差しを向けて三成は刀の柄をその鳩尾のあたりに向けて突き出した。実際には空中で止まっただけであったが、迫る気迫にすら怯えるような短い悲鳴が聞こえ、元よりつり上がっていた三成の眉がより鋭利な角度を描く。おい三成、と再び家康が呼んだがもはや反応する様子もなく、三成は突き示した柄の直線上、家康の甲冑のさらにあちらに隠し切れていない身をどうにか隠そうとしている秀秋を視線で貫いて、ぎりりと歯噛みをした。
「金吾ォ! なぜ秀吉様の命に従わなかった……臆病風など吹かせおってェ……!」
「ひいい!ごめんなさい三成くん許してえ……! だって僕の軍だけじゃ絶対敵わなかったんだよ……秀吉様に反抗する気なんてなかったんだよお!」
「うじうじと他人の背に隠れて喋るな! こちらに出てきて私に頭を垂れろォ!」
「やだよお!だって三成くんすぐにぶつじゃない……!」
「そうだぞ三成、少しは金吾の話も」
「お前は黙れ家康ゥ!そもそもなぜ金吾を庇う…貴様には関係ないことだろうが!」
「関係ないわけがあるか、ワシも同じ豊臣軍だぞ?仲間が言い争っていたら気にかかるに決まっている」
「い、家康さん!」
「いいいいえええやああすうううう!!」
家康の広い背にぴったり貼り付いたまま三成のものすごい形相に半べそをかき、秀秋はうえええごめんなさああいと涙混じりに繰り返した。地面に伏したまま甲冑としての鍋をガンガン殴られ続けていたところを助けられたのはまさに地獄に仏であったが、家康を巻き込んだことには幾分申し訳なさもあり、されど言われるままこの背から出てはまた殴られるのは火を見るより明らかだ。三成くんは僕が頭を垂れたって許してくれないんだから!秀秋は叫びたかったが、あくまで自らに非があることもまた確かだったためにひたすら家康にしがみつくことしかできなかった。だけどどうしようこのまま家康さんが三成さんを宥め続けても火に油を注ぐようなものかもしれないし、もし秀吉様が直々にやってきたらあの大きな手でぶん投げられて星になってしまうかもしれない、激しい三成の声色を聴きながらそう顔色を悪くしていると、
「……ふん、いいだろう…せいぜい臆病者同士ひっ付きあっていろ」
「えっ!?」
「ああ、有難う三成!」
万事休すといった秀秋の頭に飛び込んできたやりとりは、思考にさらなる混乱を招いてまったくの動作を停止させた。次はないぞ!叫んで瞬く間に踵を返した三成の足音をどこか遠いところで聞いた気がしてはっと顔を上向けると、三成の背を見つめながら家康が頭を掻いてふう、と大きく息を吐き出しているところだった。気が抜けたような横顔に笑顔がそのまま宿っていることに目を見開き、いえやすさん、と怖々声をかけて握りしめていた服の裾をのろのろと離す。
「ああ金吾。やれやれ危なかったな、三成が引いてくれてよかった」
「う、あの……ごめんなさい家康さん…僕のせいであんなこと言われちゃって……」
「ん? ははは、三成にあれこれ言われるのは慣れとるさ!」
ばしんとひとつ大きく肩を叩かれてよろけながら、うわ、と間の抜けた声をあげて秀秋は鍋を背負い直した。三成にはじめに叩かれた頬が痛かったが、もうそれも鈍いものに変わってきていた。ほら涙を拭け、と兜越しに家康が頭を撫でたので、これじゃあまるきり子ども扱いだと思いつつも言われるままに袖で顔を擦る。泥と涙が混じったものに服が汚れたけれども、そこかしこが砂埃にまみれていたからさして気にかからなかった。
だけど、家康さんは臆病者じゃないのに。秀秋が身なりをいくらか整えてからぼそりと口にすると、ぱちりと黒目がちな双眸を瞬かせてから家康は破顔した。そんなことはないさ、快活な笑い声に乗せてさも当たり前だというように返してくるので、秀秋は眉を下げて返答に詰まる。
「いいか秀秋、臆病者は鞘になれる」
「え……」
「ワシは失敗することが多いが……時々でも三成の鞘になってやれたらと思っているんだ、今みたいにな」
「……それって、」
「うん?」
「家康さんは……辛くないの」
本当は真っ先に礼を述べなければならないところを、つい先んじて問うてしまったことに恥じ入りながら秀秋は俯いた。そうして今しがたの三成の態度と家康の笑顔を思い浮かべて、どうにもやる方ないもやもやとしたものが生まれて口元を歪めた。抜き身の刀が鞘に戻るとき、少なからず鞘には傷がつくかもしれないじゃないか。刃物を扱ったことなど嗜み程度にしかない秀秋にも容易に分かることを、まるで素知らぬ振りをして家康はのたまい笑うので、こんなことを言える立場ではないのに秀秋は尋ねてしまったのだ。
「辛くないさ、」
予定調和じみた音色で家康は答えた。やっぱりと眉を寄せて見上げた秀秋に慈しむような目を向けて、家康は歯を見せてほほ笑んだ。辛くないさ、こうして絆を護れるのだから。噛みしめながら言うとゆっくり拳を握ってそれを持ち上げ、そこに何かを掴んでいるのかと錯覚させるほどに真摯なまなざしで家康は自らの閉じた五指の奥を見つめていた。武器は捨てたのだと言った家康の金色の武具がきらりと陽を浴びて光り、秀秋は一寸目をつむった。閉じた後もまぶたの裏にちかちか明滅するものが疎ましくてもどかしくて、ぶんぶんとかぶりを振ると家康が可笑しそうに笑った。
「金吾……お前もきっと、いつかは」
言葉の先をわざと濁らせたきり口を閉じると、また甲冑に手を置いて軽く縁を描くように回してくる。その手のままに首を動かして秀秋はちらと彼を見上げ、それからようやっと先程の礼を告げた。ありがとう家康さん。もっと他に一軍の将として口先だけでも言えることがあるような気がするのに、太陽のような笑顔の前では一切の翳りも身を潜めて、出てくることはままならないようだった。
きっと三成くんのぎらぎら光る抜き身の刃を受け止めることが出来るのは、家康さんの鞘だけなのだろうと秀秋は思った。





/左手の行く末を君は笑ふ