澄みわたった明るい空をおよぐ薫風に吹かれて、七色の紙吹雪がまるで夢のようにひらひら、ひらひらと舞ってはくるりと浮かび上がり、また風に乗って遠くエンジュの上を踊りながら包んでゆく。色彩の抑えられた古都では、桜吹雪よりもずっと鮮やかなこの光景はまなこが滲むほどに鮮やかな彩りに違いなかった。老いも若きも歓声をあげ、足取りも軽く顔を綻ばせながら通りに集まって上空を仰いでいる。整然とつくられている街並みの、いつもはしんと静まりかえって重苦しい空気に取り巻かれているあたりでさえ今ばかりはざわめき合って、エンジュに刻まれる新たな歴史を寿いでいるように思われた。
 ミナキはそんな、常からは考えつかないくらいに活気づいた大通りを抜けながら、人々の爪先が向かう先とは反対の方向へと歩を進めていた。いつもならば珍しそうに己を見上げてくるこどもたちも、今はまるで眼中にないといったふうに脇を走り抜けていく。否、そもそも今日はエンジュの外からも大勢人が入って来ているから、自分など大して目立たないのだと考えて小さく笑った。ふと気づいてマントにくっついてしまったらしい朱色の小さな紙をひょいと摘まめば、すぐに風にさらわれて空へ飛んで行ってしまった。つられるままに空を見上げる。朝顔の色水を流したような、ことさらに透明で光が零れそうな天涯が広がっている。
 ゆっくりと歩き続けたままくるりと首を後方へ回すと、紙吹雪の中心はまるで煙るようにそこに聳えていた。この街に再び息を吹き返した焼けた塔、もとい鐘の塔の真新しい伽藍のあちらこちらから僧侶たちが時折り顔を出しては、代わる代わるに色とりどりの小さな紙を撒いているのだ。つい先日落慶したばかりの、まだ木の匂いが香るそこで催される式典にエンジュの人々は湧きたち、こぞって塔の元へと集い笑う。長きに渡りこの街が抱え続けてきた後ろ暗い歴史がいま、ようやく華々しい神話へ移ろおうとしているのだった。
(神に見捨てられた民の末裔、神を待ち続けた彼らが、赦される瞬間、)
 この街を過去に縫い止める、焼けただれた木の黒ずみを拭い去ったのは、皮肉なことにこの街の人間ではなかった。遠い小さな町からやって来た少年が、過ちも伝説もすべて浚って綺麗なものに昇華してしまった。それでも拠り所としてこのエンジュが、そしてあの鈴の塔が必要であったことは確かで、火の鳥が他ならぬこの地で人間に身を委ねたことがきっと、この街の人間には幸いなのだろうと、ミナキは噛みしめるように思案する。ここで生まれ育ったわけではないミナキにとってそれはあくまで推察であり、慮ることでしかなかったけれども、長く通い続けたのもまた事実であったから、一抹のシンパシーのようなものは感じられるはずだと信じているのだ。空気に溶け込ませるように細く息を吐きながら胸のあたりを撫でると、少しばかり苦しいような、ざわめいているような、不思議な心地がした。民衆の気にあてられているのか、それともこれはまた別の、
「ミナキはん」
 瞼を伏せていたために気がつかなかったのだろう、呼ばれた声にはっと顔を上げれば、思っていたよりずっと近いところに佇む艶やかな舞妓の姿かあった。「タマオさん、」虚をつかれたことに若干の気恥ずかしさを覚えつつ歩み寄って会釈をする。お久しゅうと袖口を口元に当てて微笑んだ彼女は穏やかなまなざしをミナキに向け、それからふっと視線を下ろして、足元で尻尾を揺らす自らのパートナーを愛おしそうに眺めた。タマオのブラッキーの黒くつややかな毛並みは、昼日中で見るとますます吸い込まれそうななめらかさを帯びているように見えた。
「ほうらこの子も喜んで…ミナキはんも折角ですし、ポケモンたちを出してあげたらいかがでしょ」
「ああ……いや、私は結構。はしゃいで迷子になってしまっても困るしね」
「ふふふ、ミナキはんは今、目が離せませんもんなあ」
「……タマオさん、貴方はなぜここに?」
「そうや…呼びに来たんどす、もうすぐに始まりますよって」
 ついと視線を横向けたミナキに合わせるように同じほうを見遣ったタマオは、そこだけまるで昨日のままのように静寂を残した古びた門を見上げて答えた。色あせた木の門と低い塀、そのあちら側は青々とした木が生い茂っていて、梢の中から生える屋根と相輪が見えなければそこに高貴な塔があることになど誰も気がつかない。歴史によって守られ、また遠ざけられてきた荘厳なものがこの門の奥には詰まっている。いつの間にここまで歩いて来ていたのか、無意識のうちに辿りついてしまうほど通い慣れたこの場所が、今はより一層特別なものに思えてミナキは息を一寸止めた。

 タマオが呼びに来た相手、そんなものはミナキにとって考えるまでもない。一体何をしているんだこんな日に、そう静かに眉根を寄せたのにそのくせ、翡翠の目には戸惑いが色濃く映っていることにタマオはひそりと笑みを揺らした。一緒に震えたかんざしの飾りが、陽を浴びてきらきらと光った。そうしてから、やがて向き直ったミナキに何でもないような顔を見せると彼女はぽっくり下駄をコロンと鳴らして、「けどミナキはんがいらしたんなら、私はもう行きますえ」と朗らかに白いかんばせを翻らせて、しゃらんと背を向ける。おいきみ、とどこか縋るようにミナキが呼んだが、今度は顔を向けることはなかった。これは貴方の役割でしょうとでも言うように一瞥したブラッキーがトトッ、と彼女の鮮やかな着物の裾にまとわりついて、ただそれだけだった。