執務室に集められたのはフェルディナンドとマジェント、そして新入りのオエコモバというまるで統一感のない三人であった。前者二人は訝しげに視線を移ろわせているが、オエコモバだけは仏頂面で気だるそうに佇んでいる。対してその向かいに立つヴァレンタインと、両脇に控えるブラックモアとマイクは至って平静な顔をして三人を一瞥したきりであった。よく来てくれた、といかにも形式ばかりの労いを述べたヴァレンタインは、
「遺体を探してほしい」
 と何の前置きもなく三人に告げた。え、と声を漏らしたのはフェルディナンドとマジェントがほとんど同時で、そこに込められた疑問もおそらくはまったく同じものであっただろう。
「なんすか改まって、それなら今企画してるっていうレースで」
「話は最後まで聞きたまえ。探してもらいたいのは聖なる遺体ではない。私の、だ」
「はあ?」
 ちらとオエコモバを見るヴァレンタインの視線を疑問符を浮かべながら追いかければ、気まずそうに舌打ちをして顔を背けるオエコモバの後頭部が横目に見えた。
「そこのオエコモバが新たに私の部下となったことは諸君も知っていると思うが、力を貸すにあたり私の力試しをしたかったようでね。ワシントン郊外でちょっとした戦闘になったのだよ。なに、小さい丘がひとつ無くなる程度のものだったが……その際私の、まあ私の影武者とでも思ってくれればいい、その私と同じ姿をした者の体が爆弾で吹き飛んでしまった」
「おいおい、ちょっと待ってくださいよ」
 不穏な話の流れにマジェントが口を挟むが、そんなものは聞こえなかったとばかりにヴァレンタインは言葉を続ける。
「大統領である私の肉体がそこらへんで見つかったら何かと面倒だろう。草木や土砂なんかも一緒くたに崩れたので一般の役人では捜索も難しくてな……そこで君らの出番というわけだ。オエコモバは当事者であるから無論協力してもらうし、マイクとフェルディナンド博士はにおいで探索ができる。そしてマジェント、君は確か現在暇だったはずだな」
「た、確かに暇ですけども……これって人手が多けりゃいいってもんでもないでしょう?! この面子に俺が加わる意義が分からないんですけど」
「いや、掘り起こすに当たっては人手はあったほうがいい。私の部下も数人同行させるし、ブラックモアもいるぞ。ひとつ頑張ってくれたまえ」
 俺は肉体労働派じゃねえんだけど、とうんざりするマジェントの内心など構わないとばかりに済ました様子で手をひらりと振ったヴァレンタインの動作を受けるように、よろしくお願いしまァす、と陰気な声をよこすブラックモア。その黒々とした瞳は何を思っているのか知れないが、間違いなく己の辟易とは相いれないものだろうとマジェントは確信した。この男の大統領への忠誠には目を見張るものがある。別段見習おうとは思わないけれども。
「崇高なる大地に地雷を仕掛けるなんて、これだから野蛮人は嫌いなんだ……」
 ぶつぶつ言いながらオエコモバをひと睨みして執務室を辞したフェルディナンドを見送り、マジェントは改めてがっくりと肩を落とした。


 ワシントンから馬車で小一時間も走ったあたりにその丘はあった。丘の跡地と言ったほうがよいかもしれない。かつてなだらかな稜線が続いていたであろう豊かな緑の芝生はある地帯から無残にも爛れた焼け野原となっており、その向こうには荒々しい土砂とひしゃげた草木の混流物が見渡す限り無秩序に広がっている。地形は大きく変わってしまったと見られ、もはやかつての面影を窺うことはできない。どれだけでかい規模でやりあったんだと驚愕に目を見開き、マジェントはオエコモバを恨みがましく見やった。面倒くさそうに背中を丸めている彼の横顔はしかしどこか誇らしげであったので、どうかしている、とうんざりしてマジェントは頭を振った。
 チューブラー・ベルズとスケアリー・モンスターズの能力により遺体の捜索は順調に進んだ。後ろ暗い仕事ばかりしてきた手前、人間の死体など嫌というほど見ているがそれにしても気が滅入る仕事だった。なにせ爆発によって細かく分散しており、まさしく大統領が探し求めているという聖なる遺体と似たような状態であったのだ。ブラックモアとマイク・Oは黙々と回収にあたっていたが、オエコモバはあからさまに嫌々というていであったし、フェルディナンドに至っては恐竜に捜索をさせる以外は何ひとつ手を出さなかった。
 おおかたの遺体を見つけた時にはもう日は傾いており、捜索にあたった面々の姿には陰りが落ちて黒いシルエットに変わりつつあった。見つかったファニー・ヴァレンタインの影武者であったという者の遺体の部位はひとつひとつ白い布に包まれ、馬車の荷台に積み込まれていく。そのほとんどを行ったのはブラックモアだった。もはや用済みとなった影武者なのだから適当に放り込めばいいのにとマジェントは思うが、彼はずいぶんと丁寧にその遺体を扱っている。几帳面な奴なのだろう、と鼻白んだマジェントが手持無沙汰になったためにぼんやりとブラックモアの所作を眺めていると、いよいよ最後のひとつを積み込むとなったところで彼が動きを止めた。
 両手で抱えられている丸みを帯びているそれは、どうやら頭から首にかけての部位のようだった。今はもう布にくるまれていて分からないが、発見された中では比較的状態が良いものだったはずだ。そこにじいと吸い寄せられるように視線を注いでいるブラックモアの黒々とした瞳は、夕刻のわずかな光の中でも分かるほどに真剣みを滲ませている。何か異変でも見つけたのかと案じたがそういうわけでもなさそうで、ブラックモアはただしばらくそうやって、白布に包まれた頭部にまじまじと熱のこもった視線を送っていた。
「……おいおい」
 やがてようやっと動きを見せた彼の所作に、マジェントは思わず唇をゆがませた。彼の細く長い指がゆっくりと、布の合わせ目をなぞるように抱えていたものを撫でたのだ。無造作とは程遠い、あたかも愛する女になにごとかを囁きかける時のような艶めいたものを孕んでいる。時間にすればほんの数秒だったが、表情と併せてそれはどう考えても異様な執着めいたものを感じさせるに十分だった。
「あまり見てやるな」
 背後からかけられた声にはたとして振り返ると、バブル犬を集めていたらしいマイクがタオルで額を拭きながら立っていた。さほど興味のなさそうな視線を一寸ばかりブラックモアへと送ったマイクは、肩をすくめて「あれはああいう奴なんだ」とだけ告げるとマジェントを労うように軽くほほ笑み、爆発の後始末に来ていた役人たちの元へと去っていった。
 再び意識を向けた時にはもうブラックモアの姿はなく、夕闇に佇む馬車と出発を待つ馬たちの影だけがそこにはあった。


 ひとしきり報告を聞き終えるまで、ヴァレンタインは手を後ろで組んでブラックモアを見上げたまま、身じろぎひとつしなかった。夜も更け始めた時刻である。執務室の明かりは燭台の置かれた卓上を中心にぼうやりと二人を包んでいたが、部屋の隅にまでは届かずに濃い闇を残していた。足元にはひと抱えほどある木箱が置かれており、ブラックモアはそれをちらと見やってから「以上です」と述べると頭をたれて報告の区切りとした。かすかに揺らめく燭台の明かりに、彼の金糸が流れるように照らされた。
「ご苦労だったな。こちらの”私”は隣の世界へ移しておく。いくら平行世界とはいえ大統領が行方不明では国民が不憫だからな……もちろん向こうの君たちも、だが」
「はぁ、そうですね……」
 慇懃に肯定して見せるものの、ブラックモアの胸中には隣の世界の者を不憫がる思いというものはほとんどない。眼前のヴァレンタインとは違い、今こうして生きている世界だけが全てであるブラックモアにとって平行世界に心を砕く義理などありはしないのだ。その姿勢をよく分かっているヴァレンタインは、腹心の下がりがちの眉と黒い瞳を見上げながら慣れた様子で笑った。ふふ、と息が漏れると同時に、柔らかな巻き毛がちいさく揺らいだ。
「どうした、随分と気にしているな? ……そんなに欲しいのか?」
「……は」
「そこにある木箱の中身が欲しいのか、と聞いたのだが」
 言葉を失っていたらしいブラックモアは、些か語調を強めたヴァレンタインの声色にぎくりとして肩を強張らせた。
「いえ、そのようなことは」
「隠さなくてもいい。君のことは分かる−−私はファニー・ヴァレンタインなのだからな」
 その念を押すような言い方に、心臓を掴まれたような心地がしてブラックモアは彼を凝視した。後ろ手に組んでいた両手がゆっくりと姿を現し、おどけた道化師のごとく体の左右で手のひらが天井にむけて広げられる。それは彼がたびたび取るポーズであったが、今はなにか得体の知れないおそろしさを感じた。いましがたの物言いが真実であるとするならば、自分は大統領の怒りを買っても当然だ−−そう懺悔の念を抱きつつブラックモアは深く俯いた。
「申し訳ありませェん、貴方が私の知るヴァレンタイン大統領であることは重々承知しております。ただ私は、かつて貴方であった遺体がどうしても……」
 −−愛おしくてならないのです。
 紡がれることのなかった本意を飲み下し唇をつぐんだブラックモアの視界に、ゆっくりとヴァレンタインの爪先が入り込んでくる。足音がしないために、そのかたちの美しさだけが際立って見えるようだった。
「……なあブラックモア。今まで私は他の世界の私はすべて私というひとつの存在と思っていたが、今初めて……そうではないと感じてしまったよ」
「っ大統領、」
 すいと眼前に差し出された格子柄に、ブラックモアの声がほんのわずかに上擦った。折っていた腰を伸ばし目線を戻せば、あまり見たことのないたぐいの表情を湛えたかんばせが息のかかるほど間近にあった。その表情に息を飲む。確かにほほ笑んではいるがどこか心許ない、窺うような色をその瞳は宿していた。海を思わせる青い光彩はわずかな明かりをも拾い、濡れているように見えた。このような顔を私がさせたのか、と胸を襲った激しい後悔と高揚を押し殺しながらブラックモアは、口元に伸ばされた指先を覆う布を噛み、緩慢な動作でヴァレンタインの手袋を脱がせ始めた。そうしてゆっくりと現れ始めた素肌の手首を掴む。視線だけはヴァレンタインへの双眸から外さずに、まばたきさえも見逃さぬようにじいと見据えたまま。
「私だけを見ていてほしい……この私だけを」
 引き抜いた手袋を卓上にそっと置くと、ブラックモアはその言葉を遮るように口づけた。懐かしい熱に体の芯が震える。手袋を口で外させるのは昔から、情事の前に行われる二人の儀式のようなものだった。今それをさせてしまったことの意味を痛いほどに理解しているために、手首を握るたなごころ、そして腰を抱く腕にはいっそう強く力が籠った。