「似た者同士なのかもしれませんね」
さほど抑揚を感じさせない声だった。納得しようのないことだ、そう眉を寄せて男のほうへと緩慢に首を回してみれば、一眼レフを抱えて沖合いの写真を呑気に撮っている。今しがたひとり言のように呟いたことなどもう忘れてしまったかのような振る舞いに頬が引きつったが、それ以上言及することもせずただ腕を組む。カシャ、とやけに大きく聞こえる機械音が耳についた。
その青年のホーリーグリーンの髪を間近で見たのはこれが初めてのことであったが、あまり好きではないなとコーダイは胸中で呟いて、すぐにクルトから視線を逸らした。穏やかな海は潮の匂いに満ち溢れ、明るい青を水平線まで延々と拡げている。ときたま白波からテッポウオが飛び出して弧を描き、また飛沫をあげて海中に飛び込むのが見えた。そのたびに海面はきらきらと光を反射して輝いた。薄く雲が浮かんでいるもののやはり冴えた空にはキャモメが飛び交い、風に乗りながらしきりに鳴き声をあげている。どこもかしこも眩しいばかりの春の海は、空気さえ浮ついているようで身の納まりが悪かった。しかし彼にとって、何処へ行ってもおそらくそれは変わらない。つい数日前に執行猶予付きで太陽の下に出たコーダイにとって、今や気の休まる場所など無いに等しかった。
「早く取材とやらをしたらどうだ」
「ああ……正直どうでもよくって」
「――ならば何故、」
「あんたがシャバに出たからって、周りは寄ってたかって僕に取材に行けって言うけど…だいたい今のコーダイさんに何を聞けっていうんですか?」
カメラからようやっと目を離したクルトは髪より幾分明るい瞳を傍らのコーダイに向け、それから感情の籠らない笑い方をしてレフを抱え直した。映像を残すことはストップがかかったらしく、今日はこのカメラしか持ち合わせていない。クルトの回すビデオになど二度と映りたくないコーダイにとってはそれは唯一の救いかもしれなかったが、次の瞬間前触れもなくシャッターをきられてきつく瞑目し、やはりこれには会いたくなかったと苦々しげに舌打ちをした。以前とは異なり暗い色のスーツに身を包んだ彼は面立ちこそ変わっていなかったものの、染めていた前髪はすっかり地毛の色になっており、それだけで随分と地味な存在であるように見えた。これだけでも世間が見たら驚くかもしれないな、クルトは内心でそうひとりごちたが、さほど関心も湧かなかった。先程本人に告げたようにこの取材にさしたる意欲を見出せないクルトは、ただ依頼の通りに写真を撮っているに過ぎない。顔をくしゃりとしかめたままのコーダイの顔が可笑しくて今度はただ純粋に笑ったが、鳶色の目にねめつけられて肩を竦める。
クラウンシティ沖を巡回する遊覧船にはこの取材のために乗船規制がかかり、二人と幾人かの関係者の他に乗客はいなかった。デッキには本当に二人だけだ。街中で会うには顔が割れすぎていたし、かといってクラウンシティの外では意味がない。贖罪であるとか因果であるとか、そういう薄暗いものを絡めたがる風潮を痛いほど理解しているのはコーダイも同じであったのだろう、さして嫌な顔もせずに承諾して船に乗り込んだ。どこか諦めているようにも見えたが、クルトは彼の胸涯など思案するつもりはなかった。
「本当にもう、どうでもいいんだけどな」
「私もお前のことなど心底どうでもいい」
「この先あんたがひとつ何かをするたびに、僕がいちいちカメラを持って付いていかなきゃならないかもしれないんだけど」
「反吐が出るな、専属カメラマンか」
「似たようなものかもしれない、あーあ…匿名で映像流せばよかったかな」
「ふざけるな」
「そういえばリオカがよろしくって言ってましたよ」
「……そうか」
苦虫を噛み潰したような顔をして、コーダイは沖合いに視線を投げた。部下と呼べる人間はほとんど置かなかったが、ひとりは先に釈放されて自身とは関われぬようになっている筈だし、もう一人は実はスパイでこの癪に障るガキの同僚だったという笑えないオチがついた。その結末は今となってはどうでもいいこと。ただクルトが意味もなく笑みながらそれを伝えてくるというのが、非常に気に喰わなかった。意味などどうだってよいことだった。
眉根を寄せるコーダイの横でしばらくマイペースに会話を続けたクルトは、今度こそレフを手放して首にかけると、うーんと大きく伸びをして欄干に上半身を預けた。あちこちに広がった髪が潮風に揺れている。この色は好きではない、かつて嫌というほど歩き回った深い森と、初めて時の波紋に触れた日を思い出す。もうなんの力も残されていない双眸を瞑って手癖のように瞼を撫でたコーダイは、改めてこれまでの歳月を思い息を吐いた。ひとしきり失ったあとで、それでもまだやるべきことがうず高くそびえているこれからの、まるで見えない未来に眩暈がした。ただひとつ分かっていることがこの先もクルトと顔を合わせなければならないことだと言うのだから、笑いたくても笑えない。あの日スタジアムで冷たい目をしてこちらを見下ろしていたガキ、自身を転落させた張本人が今、あろうことか隣で呑気に海を眺めているのだから、それこそ最後の幻影にしてほしかったとコーダイは口を歪ませた。
「さっきの話ですけど」
「……」
「あなたは未来が知りたかったし、僕は真実を暴きたかった…そのためなら何でもした」
「……だから似た者同士か」
「そう…コーダイさん、僕だってあの映像を流したことでお咎めくらい受けましたけどね、少しも後悔はしてませんよ」
「……何が言いたい?」
「ははっ、だからあんたの気持はよく分かるってことです」
未来を手に入れたかった、輝かしい道を歩みたかった、そのためなら何を犠牲にしても構わなかった。こうして罰を受けた今でもその姿勢を悔もうとは思わなかったし、悔やんだところでクラウンシティで二十年苦心した住民への償いになどならないと、コーダイはひどく冷めた心地でいた。そういう風にしかできない男だった。そんな倫理観から逸脱した姿勢によもや共感を示されるとは予期せぬことだったので、コーダイはこの日初めて驚きに目を開いた。海を眺めて笑っていたクルトが、深い森の色をこちらに向けてひとつ瞬きをした。その瞬間、ああそういえばこいつも被害者に他ならなかったのだ、と深層で由縁などなく気がついたけれども、だからといって何かを言ってやることはコーダイには出来なかった。そういう風にしかなれない男だったのだ。
「まあ……コーダイさんが二度と悪いことをしないまま静かに暮らしてくれるように見張るのも、僕の役目ってことかな」
「お前になんぞ見張られなくても十分息苦しいんだがな」
「そんなの、知ったことじゃないですよ」
キャモメの声が大きくなる。ゆっくりと岬に近づいてゆく遊覧船のまぶしいほどに白い船体に目を細めて何度目か分からない深い息をつけば、これからどうぞよろしく、ともはや見慣れてしまった笑みを湛えてクルトが手を差し出していた。しばらくそれを見下ろしていたコーダイであったが、これを握らなければ永遠に陸に上がれないような気分になって顔をしかめ、低くああ、と応えて握手を交わした。それと同時に「しまったフィルム余らせちゃったよ、」とクルトがさも弱ったように頭を掻いたが、もう映ってやる気はさらさらなかった。




/エゴイズムシンドローム