窓の外にはソーラーパネルが規則的に並んでいる。すぐ隣のビルが間近く見えるので、屋上に設置されているパネルも必然的に目に入ってくるのだ。この街では見えない場所のほうが少ないであろう発電システムは、今日も静かに青く太陽光を受けてその役目を果たしているらしい。オーバは立膝に押し付けていた頬をぐぐとほぐして背筋を伸ばしながら、そのまま両腕を上げて伸びをしようとして思いとどまり、ちょっと顔をしかめるふうにして笑った。あいつらは俺よりよっぽど役に立ってんだなあとひとりごちる。口には出さなかったけれども、視線と態度から伝わったのか、それとも別の手段で知り得たのかは分からないが、近くに座っていたゴヨウが「君は安静にしているのが仕事でしょう」とずいぶん優しげに言ったので、短くうんとだけ返事をした。ムックルが数羽飛び回って視界の外へと消えていった。
 入院するのは十年ぶりくらいになるだろうか。家の近くのブロック塀から飛び降りて足の骨にひびが入った時以来のはずだから、おそらくそうだ。今回は盲腸だった。症状は軽かったので、少し切除しただけであとは薬で治るらしい。入院も一週間くらいでいいらしい。病院自体にあまり縁のないオーバにとっては何かと見慣れない聞き慣れないことばかりで、特に驚いたのは、世の中で言われている盲腸炎というのはだいたいは虫垂炎というものを差すということだった。オーバの場合もそうなのだという。
「虫垂という器官は大腸の端にあるのですが、これはポケモンにもあるんです。消化を助けるので特に植物を主食とするポケモンには欠かせないのだそうですよ」
「へえ、そうなのか」
「不思議ですね、人間とポケモンはこんなにも違うのに」
「……お前さ、何か悩みがあるなら聞くぞ」
 首だけを回して窓とは反対側、すなわちドア側の椅子に腰かける同僚に眉をひそめて見せると、彼は珍しく意表を突かれたように色眼鏡の奥で目を瞬かせてから笑った。どうしたんですか急に、と面白いものを見るようにいらえるので、いやそれは俺のセリフなんだけどとアフロをわしわしと弄る。手持無沙汰になった時はついアフロかモンスターボールを弄ってしまうのだが、病室ではモンスターボールを携帯できないのでもっぱらアフロの世話になっているのだ。ゴヨウはそんなオーバを眺めて改めて笑むと、
「いえ、今読んでいる本のことをちょっと考えていたんですよ」
「またミオ図書館?」
「そうですよ。ポケモンのたまごについての本です」
 ややうつむき加減に本の内容を思い出しているゴヨウの顔つきは、いかにもゴヨウらしいものだとオーバはしみじみ感心した。小難しい話は苦手だと自他ともに認める身ではあるが、ゴヨウと話している時はたとえどういう話であれ、彼のしたい話をしている時が対面していて一番しっくりくる。話の内容が理解できるかは別として、ゴヨウの話を聞いているのは嫌ではない。
「なぜ人間はたまごから生まれないのでしょう」
「え」
「ポケモンは、まあたまごが発見されない種族もありますが、概ねたまごから生まれるでしょう。でも人間だけは違う。私にはそれが不思議で、なんだか少し寂しいような気がするんですよ」
 人間もポケモンのひとつであると唱える学者もいますけれど、やはりこれが一番の違いなんですよね。ゴヨウはゆっくりと話しながら、何かひとりで納得するように小さく頷いた。口元には相変わらずほほえみが浮かんでいる。やっぱりこいつには小難しい話をしているのが似合うな、と感心しつつオーバはどう反応したものかと寸刻考え、結局またアフロをかき混ぜるだけに終わった。自分がたまごから生まれるところを想像しようとしたが、上手く脳裏に描くことはできなかった。
「あー、そうだ」
 しばらく黙っていたが、ふと思うことがあった。
「はい?」
「人間って生まれた時に泣くだろ。あれっていいよな」
「……」
「弟が生まれた時に思った。守ってやらなきゃいけないって。それって多分大事なことなんだよな」
 ポケモンは孵った時からもうどうにか戦うことができる種族が多いけれど、人間なんて生まれた時は何もできないのだ。泣いて笑って眠ってまた泣いての繰り返しで、周りの人間が居なければ生きていられない。オーバはこどもなりに弟の面倒を見たり、時にやきもちを焼いたりしながら、あの頃そういえばよく考えていた。人間ってポケモンと違って面倒くさい。けどそこがなんか、いい。
「オーバくん、それはトレーナー学で言うところの情緒的成熟というものですね」
「いやそういう難しいのは分からねーけど」
「ふふ。今度本を貸しますよ。きっとびっくりすると思います、ほんとうに君が言ったことと同じことが書かれているので」
 にこりと唇端を上げてかたちの良い笑顔をつくり、ゴヨウは立ち上がった。ワインレッドのスーツは白い病室の壁によく映える。それではお大事に、と言ってきびすを返す彼におうと手を上げて見せながら、オーバはゴヨウも生まれた時には泣いて笑って眠ることしかできなかったのだということを想像してみようとして、けれども上手くできずにすぐに諦めた。本よりもお前のガキの頃の写真が見たいと言ったら、どんな顔をするだろうか。