白磁のなかに橙の宝石がいくつも埋め込まれているような、それは綺麗な木の実だった。両手で大事そうに包んで食い入るように見つめている少年の瞳の輝きには劣るけれども、天井のライトを受けて橙色のところがひとつひとつ丁寧に光っている。少し遠目ならば洋菓子のようにも見えるかもしれない。少年はぽかんと口を半分開き、それこそ今にも齧りつくんじゃなかろうかというくらい熱心に視線を注いでいたものの、ひとしきり眺め終えたのだろう、やがて思い出したふうに口を閉じた。そして先刻この木の実を手渡してきた男に向けて勢いよく顔をあげて、
「ダイゴさんってまぼろし島行ったことあるの?!」
と息継ぎせずに尋ねた。勢いがよすぎて、少し呂律は悪かった。
「まあね。島の機嫌が良ければ行けるはずだよ」
 それはお土産、といって笑うダイゴを見るユウキは、これまで見た彼の顔のどれよりも憧憬に満ちているのではなかろうか。日頃はなにかと大人ぶりたい年頃なのだと思わせる少年だが、これが彼の純粋な表情なのだと分かって少しこそばゆい。「じゃあ俺も探す!」とユウキが意気込んで立ち上がり、その拍子にサイコソーダが倒れそうになったので手を伸ばして支えながら、ミクリは浮かべていた微笑がますます深まるのを感じた。
「あ、すいませんっ」
「気をつけて。まぼろし島は気紛れだから、ゆっくり探すといいよ……ああ、いや私は行ったことはないんだけれど」
 もしかしてミクリさんも、と期待を込めた瞳を向けられそうになったので、ミクリは慌てて訂正を入れた。なんだあと肩を落としたユウキだったが、すぐに手のなかのチイラの実をしっかり確かめるように両手でにぎにぎとして、バッグの奥のほうにしまい込んだ。ミクリは始終その様子を微笑ましく観察していた。


 色とりどりのパラソルが、青空に向かって花のように開いている。ミナモデパートの最上階にあるカフェテリアはありていに言えばいつも煩雑としていたが、人とポケモンの活気とこのパラソルをミクリは気に入っていた。まだほとんど減っていないコーヒーをゆるくかき混ぜながら行き交う人達を眺め、その流れで丸テーブルのちょうど対角線上にいる男にまなざしを遣り、そこで留まる。この連れも同じ理由でここを選んだのだろうかと考えてみたが、きっと違うだろう。
「時代は変わったものだね」
「ミクリが引きこもりなだけだろ?」
「ダイゴにしてみれば大抵は引きこもりじゃないのか」
 髪をいじり、ミクリは軽く笑った。
 あの実は外の地方から持ってきたものだと、確かめたわけではないが予想はついていた。チイラの実はホウエンではまぼろし島でしか手に入らない。半年以上ホウエンに帰ってこなかったダイゴがまぼろし島を探すより、イッシュやカロスでチイラの実を手に入れるほうがずっと確立としては高いのだ。この言い様だとやはり当たっているのだろう。もっともよその地方に行っていたって洞窟や地下に籠ってばかりなら、どちらが引きこもりか分かったものではない。今のは半分嫌味を含んで言ったつもりだった。ダイゴには通じたのかどうか、表情からは読み取れなかった。
「それにしても感心しない」
「行ったことあるのは本当だよ」
「そうじゃなくて、機嫌が良ければって、あれは師匠の受け売りじゃないか」
 話しざまに脚を組むミクリを頬杖をついて眺め、すぐに元の姿勢に戻ってダイゴはああ、と悪びれるふうもなく笑った。
「アダンさんは本当に行ったことがあるんだって、あの時は思ったな」
「師匠だって行ったことはある」
「でもあれがまぼろし島のチイラだとは、限らなかったよね」
 その口調がユウキに対する時とはまるで違うので、ミクリはむっとしながらも苦笑した。
 まだ自分たちが幼い頃、アダンはチイラの実をふたりにあげましょうと言って、大事そうに木箱から取り出して見せてくれた。ふたりで貰ってもどう使えばよいのか分からなかったダイゴとミクリは、バトルで勝ったほうが貰おうとか、ラブカスをたくさん捕まえたほうが貰おうとか、あの沖の岩まで先に泳げたほうが貰おうとかいろいろと相談をしたのだったが、結局どちらが貰うこともなくアダンに返すことにしたのだった。当時は世界中でまぼろし島でしか手に入らないと思い込んでいたから、幼いなりに自分が貰ったら気後れするというような考えが働いたのだろう。アダンはそこまで見越していたのかどうなのか、三日越しのふたりの返事にたいそう微笑ましそうに笑って、オレンの実をたくさんくれたのだった。
 今にして考えれば、外から来た師匠が持っていたあのチイラの実は、もしかしたらまぼろし島のものではなかったのかもしれない。それくらいはミクリにも分かる。彼のことは寛大で実力があってお茶目で尊敬できる人だと思ってやまないが、ただ、幼い子に優しい嘘をついてウインクすることもできる、そういう大人だということも知っているので。
 テーブルの上に無造作にのっているダイゴの手をとると、ミクリはそれを引き寄せて鼻を寄せた。南国フルーツと潮の香りを混ぜ込んで何かで中和したような、不思議な香りがする。うわなんだよ、という意表を突かれたらしいダイゴの声を聞きながら、先程までこのテーブルに身を乗り出していた少年のかんばせを思い起こした。あのきらきらした瞳。あれのためなら自分だって、いくらでも優しい嘘をついて完璧にウインクをしてあげられる気がした。
「……ねえ、ミクリってやっぱりアダンさんが好きなの」
 いつの間にか手を逆にとられ、指と指が中途半端に絡まっていた。指輪の硬い感触に居心地の悪さをおぼえつつ、それを顔に出さないようミクリは視線を合わせた。
「好きって、それは好きだけど」
「いや、違う違う」
 空いたほうの手で頭を掻くダイゴを眺め、少し面白くなって眉根を開く。ダイゴは目をこちらと合わせたり逸らしたりしながら、彼にしては忙しない様子で言葉を探しているようだった。どことなく拗ねているふうにも見えるけれど、それよりももどかしさが先に立っているのだろうとミクリは思う。久しぶりにホウエンに帰ってきたから不安なのだろうか。こういう時に不安になるのは普通は待っている側なのだが、彼に普通はという言葉を投げかけるほどミクリも暇ではない。
 そんなことをやっているうち、遠くのパラソルの下で何やら女性のグループがこちらを見て話しているのに気付き、ミクリはダイゴの手をなるべく自然にほどいた。
「私の一番は、当分ダイゴでいいよ」
「で?」
「ダイゴが」
 結局ほとんど飲むことなく冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、ミクリは笑って椅子を引いた。もう遠くのパラソルは意識に入れないことにした。促されるように立ち上がったダイゴは、ちょっと唇をむずつかせてから僕もミクリでいいと言って真っ直ぐ見つめてきた。ほんのわずかの間だったが、今度はしっかり視線を合わせた。
「これからどうする?」
「よかったらうちに来なよ」
 ミクリのために採ってきた石があるから、と続いたので、ミクリは噴き出しそうになるのを堪えて口元を抑えた。もう慣れきったやり取りだったはずなのに妙に可笑しかった。きっとチイラの実のほうがずっと価値があるけれど、ダイゴにとってはその石と価値は逆転してしまうのだろう。ありがとうと返しながら、胸がむず痒くなるのをミクリは感じていた。
 数歩前をゆく銀色の襟足を眺め、愛されるということについてしみじみと考えた。