先日のことです。私は夕暮れ時のリビエールラインを、コボクタウンからバトルシャトーに向かって歩いていました。長く連なる植込みには暖かい時期ならば花が咲き乱れているところですが、真冬の今はいくつかの種類の小さな花がきんとした空気の中でつつましやかに咲いていました。川沿いの道ですので見晴らしが良く、沈みかけた夕陽が水面に映ってきらきらと輝くさまは美しく芸術的なものでした。ほとりで足を止めて流れる川をのんびりと眺めている老人や、手を取り合い寄り添い歩く恋人たち、バトルごっこに興じるこどもたちの少し翳った姿が視界のあちらこちらに見え、そのたびに私はなぜか足を止めたくなるのでしたが、生憎と先を急ぐべき理由があったのでつどつどに胸のうちに仕舞っては歩を進めました。そうして先を急いだことを、後になってみれば良い判断だったと心から思います。
 バトルシャトーが間近に迫って来たところで、まず意識に留まったのは幼いこどもの泣き声でした。聞いただけでは性別までは分からなかったのですが、視線をめぐらし声の出どころを見つけても、やはりまだ私の位置からはそれが男の子なのか女の子なのか判然としませんでした。逆光でシルエットしか見えなかったためではありません。その子の手前にはひとりの男が膝をついて屈んでおり、こちらからではその子の姿はほとんど見えなかったのです。私は一寸足を止めましたが、すぐに歩調を速めました。屈んでいる男にはよく見覚えがありました。なにせ後姿であろうと一目見れば彼だと分かる、美しい曲線の甲冑を身に纏っていたのですから。そのうえ左右にはねた黒髪もまごうことなき彼でした。オレンジがかった夕陽を浴びて輝く甲冑はリビエールラインのどこよりも鮮やかに私の目には映りました。自然と顔がほころぶのを感じながら近づいてゆくと、私の耳にこどもの泣き声以外の声がだんだんと届くようになりました。
「おお、すまぬすまぬ……頼むから泣きやんでくれぬか?」
 あからさまに困った様子のその声を聞きながら、少々距離をおいて回り込んで様子を見てみると、彼――ガンピはどうやら泣いている少女をおろおろとあやしているようでした。少女はまだ七歳ほどでしょうか。大泣きしているわけではないものの、勢いがついて泣きやめずにいるふうな印象を受けました。話しかけているガンピの口振りから察するに、彼の甲冑姿に驚いてしまったのでしょう。無理もありません。だからあれほど外を出歩くときは脱げと言っているのに、まったく聞かないのですからガンピにも困ったものです。まあそこも良いところなのですがね。
「そうだ、そなたにこれをあげよう」
 だから泣きやんでおくれ、と極めて優しく言いながら彼が手にしたものを見て、私はあっと目を瞠りました。ガンピの腕に抱えられていたのは今朝私が彼に渡した赤いバラの花束でした。なぜ持ち歩いているのだという疑問もありましたが、それよりも彼の行動です。彼は花束から大ぶりのバラを一本選び取り、ほんの一瞬ためらったのちにそれを少女に差し出しました。少女はなにか不思議そうにそのバラを見つめました。夕日の中で一輪の花を少女に差し出す甲冑兵じみた男というのはなかなかどうして絵になってしまい、私は知らず知らず息を飲んでいました。しかしすぐに我に返り、ほとんど駆け出して彼らに声をかけました。
「お待ちなさい」「ズ、ズミどのではないか?!」
 ぎょっとした顔で立ち上がったガンピと目が合ったときにはもう、私は彼の手からバラをかすめ取っていました。慌てて何か言いかけた彼の口元に手をやって止めると、私はいつから浮かんでいたのか分からない笑みを深くしてそのばにゆっくりと膝をつきました。ちょうど少女と目線が同じになるところまで背を丸め、不安そうな顔をしている彼女にできるかぎり優しげに見えるよう向かい合いました。とはいえ私は小さい子供の扱いなどよく分からないので、上手くいっていたのか定かではありませんが。
「いけませんよガンピ、棘を払ってあげねば」
 はがねの甲冑に包まれた彼には存在を忘れられていたようでしたが、あのバラにも例外なく棘はついていました。私は小さくもするどい棘を削るように取り払い、あらためてガンピにバラを差し出しました。ガンピはそれを慎重に受け取ると、私の隣に同じようにひざまづいて少女にうやうやしくバラを差し出しました。どうぞお嬢さん、というその芝居がかった口調がどこか滑稽で、少女にもそれが通じたのでしょう。彼女はようやく泣くのをやめ、きょとんとしてから鈴のように笑ってくれたのでした。
 聞けばガンピは、道端の花を手折って渡そうか花束のバラを渡そうか逡巡していたそうです。冬のさなかに健気に咲く花を折るのは可哀想だという彼の思考を私は愛しく、そうして花束からバラを差し出すという選択を誇らしく思いました。まったく清廉で可愛らしい人でしょう。これがあなたに是非お話したかった、私のガンピについてのお話です。



20140316
HARU COMIC CITY