ステンドグラスを透かしてほろほろと降り落ちる白んだ朝陽が、いくつもの色彩を帯びて青絨毯に美しい文様を描いている。しっとりとした早朝の空気の為か、絨毯にはじかれた光を受けた石造りの城はそのものが薄青い光に浮かされているふうに見える。万華鏡を覗き込んだときに現れるような幾何学模様は、水面に生じた波紋のようでもあり、開いた睡蓮の花のようでもあった。
 その中心近くで静かに片膝をついている男の纏う甲冑もまた、淡く七色に色づいて、自身が光を生み出しているようにどこかしら神々しく思われる。冷え冷えとしているはずの金属は妙に温かそうに見えた。傅いて片手を胸に当てるのは古くから伝わる騎士の忠誠を示すポーズであるが、この現代においては祭典などでしかまず目にすることの適わない代物である。というのに、こうも容易く拝むことができるのだから此処は稀有な職場であることだ、とズミはしみじみと内心でごちながら、水門の間の扉を背にしてただただ彼の背を見つめていた。あちらが自分に気付いているのか、いないのかは知らない。彼にとっておそらくは大切な儀式めいたものであろうから、例え気付いていたとしても振り返るようなことはしないだろう。むしろそうしてほしいと心のどこかで思っていた。
そうして暫く眺めていると、やがてガンピはゆっくりと立ち上がってステンドグラスを仰ぎ見てから踵を返した。がしゃんと甲冑が鳴る音が響き、静謐とした空気はそこで夢から覚めたように去っていった。
「なんと、ズミ殿ではないか!」
「――おはようございます」
 目を瞠ったところを見ると、どうやら気が付いてはいなかったらしい。安堵といくらかの脱力を感じながらありふれた朝の挨拶を述べていると、その間にがしゃがしゃとやかましい音をたてて大手を振りつつ(おそらくバランスを取る為にそうなるのだろう)彼は足早にこちらへと近づいてきた。「どうしたのだこんな朝早くに」と驚きを隠す様子もなく見つめてくる垂れ目に曖昧に笑って見せようとして、上手くいかなかったことを進行形で悟り、ズミは目を逸らしながら手にしていたものを握りしめた。
「いつもああして祈っているのですか」
「ん?」
「先程のようにひざまづいている姿は、初めて目にしたもので」
 冷たくも聞こえる声で尋ねると、あからさまに話題を変えたというのに気にするでもなく、数度瞬きをしてからおおとガンピは得心したふうに頷いて少し照れくさそうな顔をした。
「実はそうなのだ。祈りというほどのものではないぞ、習慣のようなものでな……皆に見られるのは恥ずかしいので早朝にしていたんだが、ズミ殿に見られてしまったかあ」
 照れ隠しにしては気まずさのない笑い声が、高い屋根に抜けていく。ズミはガンピの顔をつと見つめた。眉を下げる気の抜けた笑い方だ。このような顔をする人間をあまり好いたことがないが、この男については不思議と許してしまえる。慣れかといえばそうでもなかろうという判断だけはできる。何故ならば、このずいぶんと素直で裏のない笑い顔を見ているとたまらない気持ちになるからだ。わけなど無かろうに、一体どうして貴方はそんなふうに私に笑いかけてくれるのだと逐一つぶさに問い質したくなるからだ。そうした途端に今度こそ弱った様子でこちらを見つめ返してくるであろう相貌まで想像のついてしまうことに、この感情の根の深さを感じている。
「……これを」
 笑みのひとつも返さないまま、ずいと差し出した花束にガンピはまたしても目を瞬かせた。丁寧に磨かれた甲冑のおもてに真紅の彩りがほのかに映っている。ズミどのこれは、と疑問符を浮かべて薔薇とズミとを交互に見つめてくる男の顔がわずかながら赤くなっているように見えるので、内心ひどく救われた心地になりながらズミはどうにか優しげに笑んだ。これでもし彼がまったくの無垢な顔をしていたならば、耐えきれず走り去っていたかもしれない。
「バレンタインデーですので」
「え! あ……そういえばそうであったな」
「差し上げますよ」
 花束を潰さぬように甲冑の指先を慎重に動かしているガンピに知らず知らず微笑ましい眼差しを向けていたズミは、いやここは受け取ってくださいと言うべきだったであろう私の痴れ者が!と即座に自らの言葉選びを悔いたが、もう口から出てしまったものは取り返せない。幸いにも彼は今しがたの高慢とも聞こえる言い方について思うところは無かったらしく、未だにラッピングフィルムをがさがさ鳴らして収まりどころを模索しながら、嬉しそうに「かたじけないズミ殿!」とにこやかに笑った。その幾つも年上であるとは思えない程の可愛げのある態度にズミは一寸真顔になったのち、ついに限界を感じてくるりと背を向けた。自分の中に熱い衝動が潜んでいることをズミは自覚している。今はまだそれを彼にぶつけるべき時ではないと、汗ばんだ拳をしたたかに握ってそう自身に言い聞かせた。
「あ、待ってくれズミ殿!」
「……なにか?」
「すまぬ、我はまだ貴殿へのプレゼントを用意しておらぬのだ…」
 立ち止る。深海を思わせる深い青色の絨毯に長く伸びたおのれの影が、背後から伸びるガンピの影と重なっているだけでいやに高揚していることには、もう気付かなかったことにした。恐らく振り返ればしゅんと沈んだ表情でこちらの様子を窺っているのであろう、子犬のような中年男性の顔がすぐさま脳裏に浮かんだ。「…何もいりませんよ」ズミは愛おしさと高揚感から震えそうになる声を抑えて抑えて抑えながら、顔を僅かばかり背後へとめぐらせて熱っぽい瞳を閉じた。
「ただ、貴方の心が欲しい」






~~~~~


ズミガンは少女漫画だと思います