いまだ色付いている葉が側溝や吹き溜まりなどに押しやられているのを見るにつけて、木枯らしはなんとも残酷だなあ、せめて枯れて白茶けてしまってから落としてやればいいのに、とマツバは毎年のように思っている。それも決まって、屋敷の北側に植えられている大きいケヤキの落ち葉を掃いているときに思うのである。何故かと言えばこの木が自分の面倒を見なければならない落ち葉の大半を生み出すので、費やす時間がほかとは比べ物にならないくらい長く、どうしても頭がそういった意味のないことを考えたがるためだった。
 桜などは舞い散る花びらにこそ風情があるとも評されるが、葉っぱというのは散りざまにあまり魅力はない、ようにマツバは感じている。枯葉が落ちるのはほんの一瞬だ。気がついたら地面にがさがさと溜まっていて、しかもある程度の重みがあるから始末をしてやらないと雨や泥なんかでぐしゃぐしゃになって不便なのだ。綺麗な色のまま落ちたものは拾って部屋に飾ったりポケモンたちにあげることもあったが、大抵は小山のように掃き集めて燃やすか埋めるか、エンジュ指定のゴミ袋に詰めるだけである。マツバがこどもの頃は決まって焼き芋なんかをしていたけれども、今では近所の迷惑だとか火事のおそれがあるとかで肩身が狭いから、滅多にやらなくなってしまった。古都エンジュにも時代の波というのは寄せてくるのである。それでも落ち葉掃きという文化は昔から変わらないのだなあ、とまた例年通りのぼやきを内心で呟くと、肩ほどまである竹箒を機械的に動かし続ける。竹箒を使うには右手と左手の位置や力の入れぐあいが重要だということを、もうずいぶんと前からマツバは体で覚えている。
 つい数週間前に箪笥の奥から出してきた冬物のマフラーが、風に引きずられるようになびいた。今日はとくに風が強い。掃いても掃いてもとめどなく舞ってくるケヤキの葉が地面に触れるたび、空気の乾きが五感に染み渡るようだった。やれお彼岸だ紅葉だ菊祭りだと慌ただしくしている間に、秋という季節は駆け足で過ぎていってしまう。落ち葉を路地の隅へ集める手を休めると、マツバは長らく下向いていた首をゆっくり逸らして空を見上げた。薄ぼんやりと広がる高い空と、そこにせり出すケヤキの枝葉がいかにも秋らしかった。まだ梢で赤や黄色に染まっている葉はたいへんに鮮やかで、これまでの疲れをしばし忘れてマツバはその光景を眺めていた。
 空を仰ぎ見るという行為は、マツバにとって特別な意味を持つ。物心ついた時からずっとそうだった。空というのはただ眺めるものではなく、ホウオウの飛来を告げる扉のようなものであったので、マツバは空を見上げる時には必ず心して頤を上げた。千里眼にも映らない尊い存在がいつ降り立っても一番に迎えることのできるように、その瞬間を待ち侘びながら晴れの日も雨の日も、どんな空でも礼賛するごとく見上げていた。だがそんな尊崇もこの季節だけは、少しばかりおぼろになる。街中がまるでホウオウの色のように染まると、マツバはどことなく許されたような心持ちになるのだ。秋は豊穣。ゆたかな実りとねぎらいと、神々への感謝を捧げる季節、それがエンジュに今年も訪れたという事実はあたかもホウオウからの恵みのように思われるので、あの色付いた葉が落ちてしまうまでの間はすぐ近くにホウオウが居てくれるような、そういう感じがするのである。

「おうい!」

 乾いた空気によく通る声で呼びかけられ、目に水分を馴染ませるふうに瞬きをしながらマツバは視線を下げた。そうして少し眉を顰めた。声だけで誰なのかは分かっていたのだが、路地のあちらで辻を曲がったばかりのミナキは片手にばかでかい風呂敷包みを提げ、もう反対の手にはこれまた大きな菊の鉢植えを抱えていた。大輪の花に半分隠れがちな表情を窺い見ると、どうやら重たそうにしながらも若干面白がっているような顔をしているようだった。焼けた塔を調べに行ったにしてはずいぶんとご立派な土産を持ってきたものだ、とマツバがつっ立って眺めているうちにミナキはすぐそこまでやって来て、きみもちょっとは手伝ったらいいだろう、と言われてようやく誤魔化し笑いを浮かべてマツバは脚を動かした。小一時間も握りっぱなしだった竹箒を石塀に立て掛けると、なんだかやたらと手のひらがすうすうとした。ミナキの白い手袋に覆われた手から鉢植えを受け取りながら、僕も手袋を嵌めていればよかったなあと今更に後悔してしまった。
「こら駄目だぞ、それは食べられないんだ。渋柿だからな」
 マツバの影からにょきっと出てきたゲンガーとゴース三体がみるみるうちに風呂敷包みを取り囲んだので、慌てた様子でミナキは彼らにそう言った。ようやくそこでマツバは中身が柿だったのだと知ることになった。お前たちの鼻はすごいねえ、手招きをして皆を呼び戻しつつ素直に感心して見せたのだが、そういえばおやつをあげていなかったと思い至ってそれとなくゲンガーから目を逸らした。もう暫らくミナキが来るのが遅かったら、影の中から面倒ないたずらをされていたかもしれない。彼はじつに良いタイミングで来てくれた。
「マツバさんに渡しとくれ、と頼まれてね。きみのジムのイタコさんだと思うが」
「じゃあ多分スズコさんだな……去年も確かくれたから」
 のたりのたり歩きながら聞いたところ、焼けた塔からの帰り際にこれらを渡されたらしい。
「そっちの菊はお寺のだろう。菊祭りの余りだね」
「余りと言ってやるなよ……しかしこれも毎年のことか?」
「いや、あんまり僕のところまでは回ってこないんだよ。こういうの厚物の菊って言ってね、結構欲しがる人が多いんだ。ほとんどは寺の関係者なんかに譲られちゃうから余らないんだけど……今年は豊作だったのかもしれない」
 黄色のこんもりと丸い鞠のような花弁と少しばかり下に垂れている花弁を観察していたミナキは、分かったような分からないような生返事だけを零してからよかったじゃないか、と屈託なく笑った。その顔があまりに人の良いものだったので、マツバは気まずいような照れくさいような気分になって、薄く笑みながら視線を前へと戻した。菊は確かに立派で綺麗だがあまり咲いてから日持ちがしないので、後で鉢を返しに行くときのことだとか、それと一緒に持っていくことになりそうなお歳暮のことなどを考えていた自分が少々気恥ずかしくなった。
 路地をぐるりと回ると塀が途切れて、マツバの家の門柱が見えてくる。まだ灯らない門灯に覆いかぶさるように垂れ下がった南天の枝には、赤い実が鈴生りになっている。そこを過ぎると背の低い寒椿が玄関まで植わっているのだったが、深緑の葉の中にもう小さな蕾が出来始めているのを見つけてマツバはおや、と眉をあげた。椿なんてまだまだ先の花だと思っていたのに、やっぱり秋と冬はしがらみなく地続きだ。玄関のわきに菊の鉢を置きながらそう思った。この大輪がすっかり枯れてしまう頃には北風もいよいよ強さを増して、あのケヤキの葉も残らず落ちてしまうだろう。
 そう、北風がもう降りてきているのだ。
「おいマツバ? 上がらないのか」
「……その柿吊るすから、庭へ回ってくれ」
 鍵を開けずに裏手へ向かうマツバに不思議そうな声をあげたミナキだったが、そう告げるとすぐについて来た。屋敷の構造を考えると、一度玄関から中へ入るよりも外から庭へ回ったほうが早い。内庭は大して日照時間が長くないので、柿を干すなら南側の庭でないと上手くないのだった。歩いているとゲンガーがズボンの裾を引っ張ってきたので、そういえばそうだと苦い顔を隠しつつ「庭のきのみを好きなだけ食べていいから」と言ってやれば、勝ち誇った顔で笑いながら瞬く間にいなくなってしまった。あーあ、と後ろでミナキがやはり笑った。どんな顔をしているのか手に取るように分かるので、うるさいよと呟くだけにしてマツバは歩幅を大きくした。


「明日発とうと思ってるんだ」
 濡れ縁に新聞を敷き、そこに柿を広げ、さあ柿を括ろうという時だった。ミナキが申し訳なさそうに、こもりがちの声でそう言ってきた。マツバは一瞬手を止めたものの、何もなかったふうに作業を再開して眼差しだけをミナキへと向けた。隣に座ったミナキが飴色の眉を下げて笑っている。こちらの顔色を窺うようなその顔つきがどうにもむず痒いので、小さく溜息をつくとそこから視線を外して手元へと集中を戻し、「ずいぶん急なんだね」と些か責めるように返してやった。そんなことは先週やって来てから今朝まで一言も言っていなかったのだから自分の言い分は正しかろうと思いながら、でもこれは大人気がないなと胸中でごちていた。急だなんて、本当はまるで考えていなかったからだ。
「ああ――今日は風が強いだろう」
「北風がね」
「そうなんだ! 私は……なあマツバ、やっぱり私はなあ」
 珍しく言いよどむ口振りに思わずまた目を向けると、今度はあちらが今しがたのマツバのように俯いて、手元の柿と紐をじっと見つめていた。視線が合わなかったことに安堵と気落ちを同時に感じた。翡翠色の瞳が、うつむいていても光をきらきら放っているのが分かる。こういう時にミナキが何を考えているのかなど、慮るまでもなくマツバには知れている。互いを最も優先できないことなど初めからずっと変わらないし、それについて罪悪感を感じないと以前にふたりで決めたはずなのだが、どうしたって葛藤は生まれるものだ。けれども今はその葛藤の中に、他のもっと湧き立つような感情が滲んでいることもまた、マツバは確信していた。喉が締め付けられるような、奇妙な熱さを感じながら。
「分かっているよ」
「――え?」
「秋はかれらの季節だ……ぼくたちが」
 掌中にあったものを脇に抛り、手を伸ばしてミナキの手を掴んだ。手袋を外した素肌だった。ミナキの手にしていた柿がひとつ転がり落ちて、庭の植込みのほうまではしっていってしまった。それを目で追おうとしたミナキはしかしマツバの視線に縫いとめられたように瞼を持ち上げると、少なからず驚きの色を浮かべてじいっとマツバを見つめ返した。やはり綺麗な目だと思った。
「……よそ見なんてできるわけがないよ」
 すうと息を飲む音とともに、白い頬がばら色に染まっていく。
 自分も同じだろうとマツバには分かった。
 この高揚感をなんと呼ぼう。木々が紅葉に染まり北風が訪れる秋そのものに、まるで僕らは恋でもしているようだ。違うものばかり見ている自分たちの、しかし今この瞬間に抱いているこみ上げんばかりの愛おしさはきっと同じものだった。こんなにも焦がれているものがあるのだ。それを誰かと共有できるということに、きっと幼い頃ならば泣き出していたであろうほどに堪らない心地になっている。
 掠れた声で呼びかけてきたミナキに無言で笑いかけると、握った手だけにことさらに力を込めた。温め合うにはどちらの指先も冷え過ぎていた。ここが外でなかったなら抱きしめていただろうと思いながら、マツバは惜しむように空を仰ぎ見た。
 暮れゆく赤紫の夕焼けはまるで夢のようだった。