真紅の天井から吊り下げられたモダンなシャンデリアの散らす光が、すべてのガラスや陶器や金属、また水面などに映しこまれては微かに滲んで、丁寧に塗り上げられた赤い木目を照らしていた。それらの中にあっても浮かび上がるような白さを保つ壁掛けランプと食器類のなめらかな曲線は、少し融かされた真っ白いチーズをおもわせた。ドアベルが澄んだ音を鳴らすと人々が一斉に顔を向け、中には立ち上がろうとする女性も居たのでそれを手振りで制しながら、どうも今晩はと声をかける。日ごとに寒さを増しているミアレの、しかも夜の外気を連れてきてしまったと考えると少々申し訳がなく、スーツに纏わりついた冷気を彼らに及ばさないよう足早に進んだ。
 客足はいつもに比べれば少なめであるようだったが、テーブル席は殆ど全てが埋まっていた。カウンターにはたったひとり腰かけているだけで、その左右に真っ直ぐに並ぶ赤いスツールはずいぶんとのびのび空間を使っているように思われた。暖かい空気が高いところへ溜まるように人口密度はテーブル席の側に偏っていて、彼はカウンター側の比重をひとりで引き受けているのだった。しかしその声のはずみ具合といったらまさしく他の客たちと比べても優っているほどであったので、カフェのすべてを眺めてみれば不思議とバランスのとれていることにフラダリは静かに感心した。カウンターでグラスを磨いていた店員がお帰りなさいと会釈をし、こちらの内心に頷くような柔らかい苦笑と共に彼を見やった。視線の先で、癖のある髪が小さく揺れている。「そうしたらさ、シャラはちょうど満ち潮だったんだよねえ」来店者に気付かずに話し続ける横顔はどことなく夢見心地のようなぼんやりしたものだったが、口調は案外しっかりとしていた。職業柄しゃべるのには慣れているのだ。それに誰しも騙されるのかもしれない。フラダリは店員に労いの意を込めた笑みを返してから、歩み寄って声をかけた。
「博士、ずいぶんお待たせしたようですね」
「あれー!早かったんだねフラダリさん」
 顔を上げたプラターヌはいかにも機嫌よさげに立ち上がると、フラダリの肩から腕にかけてを弾むように叩いた。隣のスツールを引き出して座るのに合わせて「寒かったでしょう」と独り言のように言いながら腰かけ直した彼のかんばせは、血色は良いけれども常と殆ど変りのない白さだった。呂律のまともさと相俟って、ちょっと見た限りでは素面でしかない。相当に呑まなければ外面に現れない彼の酔い方は若い頃に形成されたものであるらしいが、これだけ楽しく酔うことが出来るのならば幸せだろう。「わたしはてっきり大遅刻かと思ったのですが」「え?」首を傾げてきた彼に何でもないとかぶりを振って、店員が置いてくれていたレモン水に口をつける。急激に温められた体へ流し込まれた、すっきりとした冷たさが心地良かった。
 飲み残されたグリューワインの水面にも、シャンデリアのわずかに七色のスペクトルを含んだ光が映しこまれている。そのさまは輝石のようでもあった。フラダリさんもどう、と勧める唇に残りのワインが吸い込まれていくのを横目に眺めながら、遠慮しておきますとフラダリは穏やかに応えた。プラターヌは少しつまらなさそうにふうんと頷いたけれども、それ以上は何も言わなかった。口角は変わらずにほほえんでいる。こういう時のこの人はどこまで分かっているのか、フラダリには今一つ斟酌が及ばない。自分まで酔ってしまったら貴方の世話ができなくなるでしょうと付け加えるのは野暮に思われたので、その勘を信じるのならば、彼は自らの酔いぐあいについて分かっているということになるだろうか。
「……申し訳ないね」
「はい?」
「シャラでメガシンカの話を聞いてたら気分が良くなってきちゃって、つい飲んじゃったんだよねえ。本当はあなたを待ってるつもりだったんだ、いや本当にだよ」
 身振り手振りを添えて全身を使って話すのは彼の癖であったが、特にその振り幅が大きいように感じるのはやはり酔っている為だろう。思った通り彼は分かっていたらしいことにフラダリは意外なような、また安堵したような奇妙な心持ちになった。
「構いません、博士が嬉しいということは私にとっても喜ばしいお話なのですから」
「だよね、フラダリさんも絶対に喜ぶと思うよ」
「……ですが、どうやら今夜はよしたほうが良さそうだ。また明日にしますか?」
「んー、そうだなあ、じゃあこうしよう。ボクんちで飲み直して、明日まで待ちましょう」
「――え?」
 一寸間をおいて尋ね返した時には、カタンと小さく音を立ててプラターヌはスツールから降りていた。珍しく見上げるかたちになった彼がいつもの白衣を身に纏っていないことを今更ながらに認識してから、彼の相貌へと視線をやる。下がりがちの目尻に少しの皺が刻まれ、柔らかな笑みが深まったことを知る。それは彼のわらいかただった。初めて会った日から今日までずっと、決しておのれには出来ないたぐいのほほえみだと感じているその表情が、じっとこちらを見下ろしていた。もりあがった下瞼の生み出す陰影がやけに濃い。その影のかたちが変わりかけたのを感じ、フラダリは彼からつと視線を外した。
 困惑を自覚するかしないかの短いうちに、さあほら、と促しながらさっさと歩きだしてしまった彼の体がふらりと揺れたので、反射的に立ち上がっていた。腕を伸ばせば恐らく引き止めることは造作もなかったであろうに、何故それが出来ないのか自身でも分からない。ただ少し、冷水を掛けられたような気分になっていることだけを自覚していた。ベルを鳴らしてドアを開けた彼の青藍色のシャツが、赤の木目と強いコントラストを生み出して網膜に沁みた。呼びかけることは躊躇われ、結局黙ったままカウンターに多めのチップを残すと、楽しげな足取りで通りへ出て行くプラターヌを追ってフラダリはカフェを後にした。


 冬の気配が募りつつあるミアレシティでは、祝祭日を待ち侘びるように早くもイルミネーションがそこらじゅうに飾られている。フラダリカフェは色彩を保つために例年控えめであるが、アベニューに出ればもう夜とは思えないほどの煌めきが広がっていた。この時季になると必ずメェークルの首には鈴飾りがつくので、その立てる音がほうぼうで軽やかに響いている。観光客が増える祝祭日前後は、休むのが好きなカロスの人間でも普段よりは勤勉になるものだ。時間からしていつもならば店仕舞いをしているはずの店々が、まだオレンジ色の灯りでもって石畳をあたたかく照らしているのを見渡しながら、フラダリはそう内心で呟きつつ歩を進めていた。
「大丈夫ですか。タクシーならいつでも呼びますが」
「あはは、平気だよー。それにこんなに賑やかなんだから、歩かないと損した気になるし」
 隣でのんびり歩いているプラターヌの言い分には応えないまま、しかしそれはそうだとフラダリは小さく頷いて前方へと向き直った。祝祭日は街を挙げてのビッグイベントだ。ノースサイドとオトンヌは自らもイルミネーションの飾り付けを丸三日かけて手伝ったし、博士のほうはサウスサイドとプランタンの装飾にやはり尽力した筈である。それを思えば、平素ならばさっさとタクシーを使ってしまう距離を歩くのも確かに悪くはない。金銀にかがやく鈴、ぴかぴかと点滅するポケモンの形をした電飾、行き交うメェークルたちのはしゃいだ鳴き声、マップを手に楽しげな顔をして歩く観光客たち、そうしてひと際華々しく光を放つわれらがプリズムタワーと、それを囲む調和のとれた街並み。この街で生活している者にとっても特別な顔を見せるミアレは、じつに美しく輝いている。内包するあらゆる醜さを隠している。だからこんなにも気安く歩くことが出来るのだろう。
「ほらフラダリさん、大人気だ」
 遠くで女性やこどもたちが手を振っているのを見つけたプラターヌが、茶化すでもなくそう笑って視線だけを寄越した。フラダリは笑みを浮かべて手を振り返し、そんな大したことではありませんよと呟くと視線を一瞬交わらせて、また遠くの人々を見やった。自分に対して真に敬意を抱いている人間が居ることも知っているが、こうして街中で視線を向けてくる彼らの多くはただ、物珍しさと好奇によって注目しているのだとフラダリはもう大分昔から思っている。王政がとうに廃止されているカロスではあれど、他の地方に比べれば未だに血筋が重視される傾向にある。すなわち良家の者に注がれる、歴史的根拠に基づいた期待と羨望は大きい。それ自体は決して忌むべきことではないし、王族と謳われる重責もまた背負うに栄誉あるものであると考えているから、こうして眼差しを向けてくる彼らに深く感ずるところは本当に無かった。ただ述べるべきことがあるとすれば、おのれと彼らは決定的に異なるという確信だけだった。
 プリズムタワーの立つ中央広場を抜けると、見通しの良いプランタンアベニューを抜けた先に研究所の建物が見えた。行く手を彩るイルミネーションの向こうに佇む研究所は、サウスサイドの目玉といっても差支えないカロス随一のポケモン研究所とは思えないほど、隣で浮かれ気味に笑っている博士の本拠地であるとは思えないほど、今日ばかりはずいぶんと闇に沈んでいるように映った。職員も帰ってしまったのだろう、常夜灯を除けば明かりもすべて消えている。せめてイルミネーションの電飾を光らせておけばいいのにと訝しんだが、つい一週間ほど前に彼がシトロンから節電をと釘刺されていたことを思い出し、なるほどそれでと納得した。プリズムタワーに次いで電力消費の激しい研究所の広い敷地にあふれるイルミネーションを四六時中オンにしていては、流石のジムリーダーも頭を抱えてしまうらしかった。
 ふと自分たちはこれからあそこで酒を飲み直すのだという同行者の提案を思い出し、プラターヌの横顔を窺い見た。ひょっとすると酔いが醒めたことで予定は白紙に戻されるかもしれないと考えたためだ。だが視線に気づいた彼はフラダリを見てふっと目を細めると、お土産があるんだよとだけ言って心なしか足取りを速めた。フラダリは何か返事をしようと口をわずか開いて、だが何も言えなかった。彼に対して、こんなにも饒舌になれないのは珍しいことだった。
 あの眼差しがよろしくないのだろう、と俄かに思い至った。


 正面玄関よりも東へ進んだところにある黒い鉄柵から敷地へ入ると、研究所の裏手にある居住空間に繋がっている。彼はほかに住居を持っているのだが、長期休暇でもない限りは専らここで済ませてしまうことが多いようだった。そこの鍵を開けるために灯りが要るというのでボールから出したヒトカゲを、彼は何故かその後もボールへ戻さず傍らに連れていた。狭い廊下を通り、調度の少ないリビングと呼ばれる部屋に入るまで、彼の膝ほどもない小さなオレンジのボディがちょこちょことくっついていたので、フラダリは疑問符を浮かべつつ、その炎に触れないよう気を付けながら彼らの後について歩いていた。研究所でもポケモンを自由に出しておくことの多い人であるからこんなものなのだろう、と勝手に思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。リビングに入るなり暖炉に向って駆けていったヒトカゲを見て、ようやくわけを理解した。白壁に埋め込み式になっている暖炉を囲む煉瓦に、尻尾の火があかあかと映っている。薪と灰の中に尻尾を差し入れると、やがてぼっぼっと音がして炎が燃え上がり、ヒトカゲの嬉しげな鳴き声が響いた。これはいつもあの子の役目なんだ。と言って暖炉に火が入れられるのを見届けてから、プラターヌはボールにヒトカゲを戻して愉快そうに笑った。
 シャラの土産だというカルヴァドスをレモン水で割って持ってきた彼は、カウチソファに凭れて再びほろほろと酔い始めた。最初はフラダリがカウチを勧められたのだが、どう考えてもそちらが座るべきだと主張して自分は一人掛けのほうへ腰を下ろしたのだ。もとより今夜はさほど酔いたいと思わなかったし、彼がいつ潰れて眠ってしまうかと考えると気掛かりでもあった。
「いくら寒いといってもさ、シンオウには適わないよね。だってあそこはー」
「玄関が二階にあって、窓ガラスが何層もあるのでしょう」
「そうそう、そうなんだよ。ほんっとうに寒くてねえ……ぼくはナナカマド博士に言われたもんね、そんな軟弱なこと言ってると生きてカロスに帰れんぞーってね……」
 グラスを揺らしながら話す彼の顔は面白い具合に苦々しげでもあり、また懐かしさによって楽しげに綻んでもいた。他人に臨場感を抱かせるのが上手な男だ。暖炉で時折り鳴る薪のはぜる音と併せて耳を傾けていると、自分もまた懐かしみのようなものを感じるのが不思議だった。幾度か聞いたことのある話だからというだけではない。相手と記憶を共有しようとはたらきかけてくる、彼の裾野の広い語り口がそういう気分にさせるのだった。
「――そういえば博士、シンオウ地方には時空伝説というものがありますね」
「うん、それがなにか?」
「……もしも何かの具合で、時空の……ひとくさりから外れたとして」
 からんと氷を鳴らしてそこで言葉を切ると、プラターヌは青い瞳を流しがちに向けてきた。眠気が寄ってきているのだろうか、両目の下に刻まれた皺が深い。お互い歳を取ったものだと感じるのは、こういう時だ。
「――永遠の命をもしも手に入れたら、あなたはどうしますか」
 我ながら歯切れの悪い物言いをしたと気まずくなりながら、グラスの底に残された氷水を喉に流し込んだ。もしもという部分を強調して言ったのがかえって良くなかったようにも思われたが、彼はさして困惑した風もなく視線を外すと、うーんと思案声を漏らしてグラスをテーブルに置いた。とうとう寝そべってしまった彼は片肘をついて手のひらの上に頭を乗せると、永遠の命かあ、と呟いてそれからしばらく黙ってしまった。フラダリはじっとその姿を見つめていたが、彼の薄い唇がやはり軽い弧をえがいているのを悟ってゆっくりと視線を逸らした。
 初冬の夜はひっそりと静まり返り、昼間の賑わいが嘘のように外界からはひとつの物音も聞こえなかった。暖炉の中で揺らめく炎と、その中ではぜる薪だけが時の流れを示しだしていた。部屋にひとつだけある窓に目を向けると、カーテンの引かれていない半分から外を臨むことが出来た。一階の奥まった敷地にあるここから見えるのは隣家のイルミネーションと、ミアレと外を隔てる壁、そうしてその上に広がる空が少しばかりという具合だった。夜空はまだ黎明の気配もなく、慎ましやかに塵のような星を瞬かせていた。
「ボクはやっぱり、ポケモンの研究じゃないのかなあ」
 静かにそう答えた彼の声に視線を戻すと、まだ同じ恰好のままテーブルのグラスのあたりを見つめているようだった。
「……何百年後も、何千年後も続けられますか」
「うわー、それは分からないよ。想像できない。フラダリさんは?」
 喋りながらごろんと仰向けになり、プラターヌは瞼を閉じてそう訪ねて来た。癖毛が重力に従って流れた。結局視線が合わなかったことを胸のどこかで残念に思い、しかし先に目を逸らしたのは自分の方であったと自嘲がちに目を伏せる。
「そうですね…私にも分かりません。ただずっと、美しいカロスのために生きたいとは思う」
「ああ、それは――あなたらしいね」
 夜のしじまに溶け込むようにしみじみ感じ入って聞こえる彼の声が、今はどうしてかひどく辛辣に響いた。



 朝靄に包まれた街並み、そびえ立つシルエットだけのプリズムタワー、霜が降りたように光を敷きつめているオトンヌアベニューの石畳とみずみずしい植込みの彩り。薄明の中に差し込む、紫がかった青い太陽光。ヤヤコマのはじめのひと鳴き。未だに姿の見えない住人たちの、どこかで動き出している気配、など。それらを脳裏に浮かべながら口に含むとカルヴァドスは、途端に夜から朝の味へと変貌を遂げるように感じられた。錯覚でしかないと分かり切っていても、朝へと引き連れてくれるたづきが欲しかったのだ。窓辺まで動かしたプライベートソファに鈍い疲労のために重くなっている身体を預けて、ひたすらに夜空を見ているというのに、一向移り変わる気配のない暗さはまるで悪夢のようだった。ひとりで朝を待つことがこんなにももどかしいということを、生きてきた中で初めて思い知った心地がする。
 睡魔に負けかかっているプラターヌをどうにか寝室へ向かわせてから、どれほど時間が過ぎたのか分からない。勿論時計を見れば済むことだったが、体感よりも過ぎていなかった場合の精神的ダメージを思うとそれは憚られた。いったい自分は何をしているのだろう。フラダリは幾度目かになる自問を投げかけながら、カウチとそこに畳まれているブランケットを見やった。部屋を出ていく際に彼が置いて行ったものだ。あそこに寝そべってしまえば或は寝入ってしまえるかもしれないが、しかし恐らく眠気はやってこないだろうと分かっていた。
 瞼を閉じると、プラターヌの柔らかい笑い顔が貼りついたように蘇る。
 あの顔つき、あの眼差しをどうして見ていられなかったのか、気が付いてしまったのだ。彼の私への愛情にも似た親しみと、それでも私に何も期待していない、残酷なまでに裾野の広い慈しみのかたちを捉えてしまった。
(永遠の命を手に入れるすべがあるとしたら)
 三千年の昔にそれを成し遂げたかもしれぬ遠い祖先が、今でもこのカロスの何処かを亡霊のように彷徨っているかもしれぬという可能性を拾い上げた瞬間から、このカロスをどうあっても守らなければならぬと念じてきた。糜爛する美しい世界を心の底から嘆いているのは私だけだった。三千年を経ていまその存在が私の前に現れうるのだとすれば、尊い血の流れる私にはきっと成し遂げる使命と責任があるのだと、そう確信した。それだから彼の、あの何一つ期待せずにいとおしんでくるようなほほえみが、叫びたいほどにおのれを苛むのである。
 強くかぶりを振ってから夜空を見上げると、奇しくも東から明るみがのぼってきているのが見えた。そこへひとつの流星が落ちて、白み始めた空へ吸い込まれるように消えていった。フラダリは小さく声を上げると、瞬きもせずにその一瞬と、残された夜空の数えきれない星々を食い入るばかりに見つめた。俄かに胸の奥を掴まれたような苦しさと、居た堪れない切なさに襲われた。星がひとたびまたたくごとにこの世界は腐っていく。それを痛烈に突きつけられたような気がした。
「――――、」
 不意に気配を感じて振り返ると、乱れた髪を手櫛で整えながらプラターヌが部屋に入って来たところだった。彼はフラダリの顔を見て一寸驚いたふうに足を止めたが、すぐにまたあの顔をして窓辺へゆったりと進んで来た。幾分弱ったように眉が下げられているのが救いだった。まったく無欠のほほえみを浮かべていたら、今度ばかりは叫びだしていたかもしれなかった。
「あなたは、泣き上戸だったんだね」
「……違う」
 立ち上がろうとした肩に手を乗せて制し、プラターヌは今しがたまでフラダリが我知らず涙を流しながら見上げていた夜空をちょっと首を傾げて覗きあげてから、背を丸めてフラダリの鼻先まで顔を近づけた。抜けきらぬアルコールの香りが鼻をついた。もう酔いは醒めたのですかと掠れがちな声で問いかければ、おやという目をして笑うだけで何も答えない。彼の瞳は、あの夜明けの空の色に似ている。
「フラダリさんは色々背負い過ぎだと、ボクは思うけどねえ」
 柔らかく穏やかな残酷さに眩暈がしそうだった。その声は背中の荷を引き受けるべく差し延べられたのではなく、そんな荷物放ってしまってもいいのだという死刑宣告のようないとおしみだった。あなたにはこの身に掛かる三千年の使命が見えないのだ!叫んでそして振り払えばそれで済んだかもしれない彼の手を、どうしてか振り払えない。歪みそうになる顔を逸らすより先に頬に触れた口付けと、少し眠ったほうがいいよ、と囁く声はまるであの流星と星のようだった。死にゆく星の美しさに彼も自分も織り込まれているのだと分かって、もう息もできないほどに苦しかった。
 朝がすべてを明るみにする。