薄曇りの空をよこぎる風に煽られてはらはら散る楓の枯葉が、いつになく白く色あせて見えた。空が青白いためだろうか。急な冷え込みだといって朝から寒空めいていた空を真上まで見上げようとして、大きな木の黒々とした枝に遮られ、また下を向く。頭がふらふらとしている。重みにつられるように下降した視線はあらゆるものを素通りして、自ら爪先のあたりで落ち着いた。
 少し風化して傾いた墓石のわずかな隙間に、紫色の花びらがひっかかっている。ヘリオトロープなのか勿忘草なのかは分からなかった。どこかの誰かが手向けた花から飛ばされてきたのかもしれない。手を伸ばせばつまみ上げることが出来そうだったけれども、ピップは何となく動かしてはいけないような気がしてそのまま視線を外すともういちど、今度は枝に遮られない角度で空を仰ぎ見た。イギリスではありがちな、時間の感覚が麻痺してしまいそうな茫洋とした光が灰色がかった薄青の雲の隙間から漏れていた。秋から冬に向かっていくいまの季節は雲が薄いから、広がる平たい雲とその細い隙間が織りなすパノラマはどことなく氷河のようにも見えた。そう思うと遥か上空から海を眺めているような錯覚に包まれて、また頭がぼんやりと眩んだ。その視界を、また流れるふうにして赤や黄色の散り残っていた葉っぱたちが吹かれていく。ぼんやり眺めていると不意に帽子にかさりと乾いた感触がして、手を伸ばすときれいな形をした楓の茶色と橙の入り混じった枯葉があった。てのひらに乗せてみる。ピップの手を覆い隠してしまうくらいの大きさだった。こうして見ればなんら変わり映えのしない葉っぱなのに、何故ああも白く見えるのでしょう。空が青いときのほうが、花も楓も鮮やかで目の覚めるような色をしているのは、一体どういうわけなのでしょうか。胸中で呟いてしげしげと観察してみても答えは分からないまま、横向きに吹きつけてきた風に楓はひらひら翻ってどこかへ飛んでいって、やがて見えなくなってしまった。ピップは溜息をその風にのせてから、掠れたシナモン色の雑草の原を遠くに見やって首を傾げた。小高い丘のようになっているところで突き当たった空は、相変わらず冷え冷えと白かった。
「もう気が済んだであろう」
 澄んだ硬質の声にはっとして振り返ると、影絵のようにはっきりした輪郭が佇んでいた。風が景色をかすめ取って、彼のほかの何もかもがまっさらになっていくような感じがした。一度瞬きをしたきり目を開いたきりでいると、目玉を覆っている水分が惜しげもなく冷やされた。いっそ痛い。時が過ぎるにつれて、刻一刻と寒さが増してきているようだった。現在暮らしているアメリカの町も冬は寒いものの、それでもこの国の冬には適わないとピップは思う。慣れ親しんだ国とはいえ寒いものは寒いので、出来る限り呼吸をしないように、冷風を胸に入れないように顎を引いて、見つめた先の怒ったように(実際怒っているのだろう)吊り上がった眉と黒雲母のような双眸に薄く笑いかけてみる。貴様はいつまでそこに突っ立っているつもりだと言いたげな、不機嫌を体現した口角の曲がりぐあい、強張った肩の直角に近い輪郭はちっとも動くことはなかった。それでもピップは恐ろしくはなかった。教会墓地の十字架を見るのがいやだと一瞥してどこかへ行ってしまったきりだったのに、ここまで来てくれたことがとても意外だったのだ。
「ダミアンくんすみません、お待たせしてしまいましたね」
「まったくだ。貴様を置いて戻ろうかと思ったぞ」
「えっそれは困ります、サウスパークまでお金も時間もかかるのに」
 彼のことだから本当に見捨てられてしまうかもしれないと不安になって思わず駆け寄ってから、相変わらず睨むようにこちらを見ているダミアンの瞳の、ちらりと映る赤い光から逃げるためにかすかに俯く。この友人には以前ひどい目にあわされたから、何があってもおかしくはないのだ。けれども別段恨んでいるとかいうわけではない。ただちょっと、普通よりも変わっているだけだと知っているから。その普通でない彼の力でイギリスまで魔法みたいに連れてきてもらったことを鑑みれば、あの時の仕打ちなんてピップにとっては忘れても良いほどに今日という日は奇跡的な日であった。今こうしてロチェスターに居るというのに、朝はサウスパークで目覚めて夜にもまたサウスパークに居られるなんて、飛行機を使っていたらとても考えられない。
「他に行くところはないのか?」
「ないことはありませんが、今はあまり顔を合わせたくないんです。だって寂しくなってしまいそうでしょう?」
「我にはよく分からぬ」
 用が済んだのならもう帰るぞと言って腕を掴んだダミアンに引っ張られると、体が少しだけ浮かんだような気がした。こちらへ向かう際には花火にされた時のことを思い出してひっと悲鳴をあげたけれども、今度はそうはならなかった。代わりにハンチング帽を押さえる。いつも怒っているダミアンくんですけれど、寂しいとか楽しいとかの気持ちだって分からないわけじゃないこと、僕は知ってますよ。紅玉色にぼうやり光っている瞳を眉を下げて見つめながらそう呟いてみると、訝る眼差しを寄越してからダミアンは確かにふてくされたような顔をした。
 黒いありふれたシャツの、装飾を施された金釦が光っている。太陽が沈みかかっているらしい曇り空の下、かさかさと鳴る草のうえに伸びる影はかろうじて輪郭を保っている。ダミアンの肌はあの空を写し取ったように青白い。ねえ寒くないんですか、と尋ねると貴様は馬鹿なのだなとだけ応えて、それが合図だったかのようにふたりの体は地上高くへと浮かび上がった。肉親たちが眠っているさびしくて懐かしい墓地はどんどん小さくなっていって、やがて墓石は砂粒のように淡い色の草原にまぎれこんで、何もかも見分けがつかなくなってしまった。





/誰も知らない君のこと