照明を落とした室内でひときわ目につく赤毛を、どこかぼんやりとした眼差しでスタンは見つめている。洗いたてのカイルの髪は普段の蓬々としたさまよりも幾らかしっとりしており、そのために艶やかさも持っているので光をいくつも含んでいて綺麗だった。そのことに気がついたのはどれくらい前だったか、と思い起こそうとして、しかしすぐにやめる。昔のことはよく思い出せないのだ。ただ物心つくようにになってからいつの間にか、本当に決めごとをするでもなく同じベッドで眠っているのだからそれなりに昔だったはずだ、と拾えもしない記憶を見つけたふりをして、気だるげにぐるんと首を回す。
「まだ酔ってる?」
「わかんない」
「酔ってるね、だっていつもより可愛いよスタン」
 ヘッドボードに寄り掛かっている自分にひっつくようにして寝転がり、肩に鼻先を埋めて抱きついているカイルのふわふわとした髪を触りながら、スタンは胸の底のほうからいつもより温度の籠った息を吐いた。可愛いなんてお前には言われたくない。反論しようとしたけれどそれも億劫で、やっぱりまだ酒が残っているんだろうと納得した。何も言わずに目だけ向けてやると、いつの間にか持ち上がっていた相貌がじっとこちらを見ていた。少し眠たそうに目を細めて顔を綻ばせている親友を見ていると、いらつくような、甘ったるいような、かすかに息苦しいような気分になる。昔はこんなことはなかったのに。何か嫌なことがあったりどうしても気分が盛り上がらない時にたびたびアルコールを頼るようになってから、カイルに対して無性に切ない気分に陥ることが増えたように思う。酩酊による一時的なものならそれでいいけれど、もし慢性的なものになってしまったらどうしたらいいんだろう。スタンは考えている間にもわけもなく泣きたいような笑ってしまいたいような感情の波に押し上げられて、小さく鼻をすするとカイルの頭ごと彼を両腕で抱きしめた。
「どうしたの」
「カイル……俺おかしいかもしれないんだ」
 背中を撫でて尋ねてくる声はとても気安いのに優しい。あらゆるものを誤魔化すように笑って髪をぐしゃぐしゃ弄ってみればまったくお前は、と懐かしい表情を俺に向けてからカイルは軽く溜息をついた。見慣れているはずのそれに、何故か心臓がうるさくなったような気がした。かつて惜しみなく与えられていた眼差しであるそれが今では別の意味を持ってこの体の中に浸透していくようだと言葉を失っていると、心配しなくていいよとカイルの左手が伸びてくるのが一枚の絵のようにスタンの目に映った。Jesus、嘆きと高揚が綯交ぜになったような感覚が背を通り抜ける。お前は俺無しではやっていけないし、俺もそうなのに、だから死ぬまで毎日のように顔を突き合わせていたいのに、たびたびこんな気持ちに襲われながら生きていけと言うのだろうか。まさかカイルも同じなんだろうか。押し黙ったまま動かない自分を少し心配そうに見つめたまますぐそこまで指先を伸ばしているカイルの名を呼んだならもう手遅れになってしまうような気がして、しかしその肌の血の通った澄んだ色から目を離すことも出来ずにスタンはただカイルの宝石みたいな瞳を見つめていた。
「甘い匂いがする」
「シャンプー、だろ」
「ほんとに? 僕のと同じなのに」
「お前だっていい匂いだ」
 指を髪に差し入れて梳きながら不思議そうな顔をしているカイルに、そっと背筋の力を抜いて今度は自然と浮かんだ笑みを向けるとあちらも安堵したように頬を持ち上げた。似たような顔でカイルが今しがた可愛いと言ってきたことを思い出してまた切なくなる。やめてくれないか、内心で呟いただけでそれはおくびにも出さないまま、眠くないのかよとだけ問いかけた。まだ髪は撫でられている。スタンも固まっていた指を動かして、ふわふわとしたカイルの髪を撫でた。自らのものと違って指通りが寂しすぎない髪質は、こういうときの手慰みにはとても見合っている。「スタンは眠いの」「…いや」「今日はスタンより先には寝ない」だって僕が寝たらどうせお前は泣いちゃうだろ、と耳元で言われて顔が一瞬で熱くなった。すこし首を回せばすぐそこにある両目と視線が合いそうになり、ひとりでに情けないものになっていく顔を出来るだけ見られないように逸らす。センチメンタルでナイーヴなのはいつだってカイルのほうだったのに、そう言われると本当に自分がそうしてしまいそうで愕然とした。
 やがて髪を撫でる手を止めてゆっくりとずり上がると、カイルは鼻がくっつくほど近くまで顔を寄せてきた。ベッドランプの明かりすら瞳に映さないほど近くで微笑んだ面差しは、薄暗くてよく見えなかった。吐息が唇にかかる。肩に触れた手のひらが、じんわりと熱くなってきているのが分かった。本当にどうすればよいのだろう、カイルが自分を好きでいてくれることに喉が潰れそうなほど嬉しさと切なさを感じている。なけなしの矜持を解いたスタンは、のろのろと息を吐きだしながら一度目を瞑った。そうして頤を上げる。いやに柔らかく感じた唇は、しかしよくよく意識してみれば自分と同じように乾いていた。心配性で頭のいいカイルのことだから、きっと俺なんかよりずっと前からこの切なさと向き合ってきたのかもしれないと思ったら今度こそ無性に泣きたくなった。ちいさく唇を動かすと、吸い付くように寄り添ってくる。薄ら開いた瞳にカイルの瞳が入り込むのを感じながら、スタンはゆっくりと舌を伸ばした。





/見失った星のゆくえ