しばらく姿を見ないと思っていたコウキが今から行ってもいいですかと電話をかけてきたのは、挑戦者もなく暇を持て余していた平和な午後のことだった。ポケッチを片手に二つ返事をしている横で、鬱陶しいアフロをくっつけてオーバがなんだなんだと目を輝かせている。暑苦しい。やはり暇でしょうがないらしい四天王様はこうしてのこのこナギサジムへやってきてはポケモン達を戯れさせているくせに、ジムリーダーの俺には就業時間をきっちり守れと言うのだから世の中は不公平に出来ている。もっとも街を停電させたことで数日間ジムを閉じていたのだから仕方がない、とは言え、今の俺にはこの能天気なアフロにろくな反論をする権利すらないのだ。俺がジムを改装するほどに退屈だったあの時期はリーグ煩忙期で、オーバもしばらく顔を出さなかったから鬱憤が溜まっていたのだがそんなことは言えやしない。まったく世の中は不条理に出来ている。「なになにコウキ来んの?」「うるさいどいてろ」オーバにでこぴんを食らわせてから受話口に改めてOKを告げると、慣れた調子でコウキは通話を切った。 「ロトムを預かってほしい?」 ソーラーパネルを敷き詰めた階段を駆け上がってきたコウキが開口一番にしてきた頼みごと、それを鸚鵡返しにしてから咀嚼した内容に眉を上げた。ジムのエントランスにはやはり人影はなく、自動ドアに俺たちの姿がはっきり映っているのが横目に見える。はい、とこっくり頷いてひとつのモンスターボールを取り出したコウキは俺と、それからオーバを順に見てから少しばかり何かを言い淀んで上目がちにこちらを見た。俺とオーバは自然と顔を見合わせて疑問符を投げ合ったが、すぐに少年に視線を戻した。コウキは元々さほど口数の多いほうではないし、誰かのようにぽんぽん思ったことを口にするわけでもないので、こうやって少しばかり待ってやることは調度いい距離感の取り方になっていた。 「こいつなんですけど、」 まだ何かを決めかねているような眼差しのままでそれでもボールの開閉ボタンを押したコウキの手から飛び出したものに、俺たちは揃って頓狂な声をあげた。ひゅんっと空気を滑るような音が耳元を幾度か通り過ぎる。始め肉眼で追えなかったそれは次第に俺たちの周りをくるくると回るようになり、ようやく青白い光とオレンジがかった赤色を確認したときには、ロトトト、と転がるような鳴き声がエントランスに木霊していた。きゅっと釣り上がった目をしきりに動かしながら、どうやら笑っているらしい。俺こんなに近くで見たの初めてだわ、と感心した様子で笑ったオーバにつられて頷く。電気タイプを使ってもうだいぶ経つが、ロトムは滅多に人に捕まらないとされているからお目にかかったことはなかった。ロト、と鳴いてからコウキの帽子に乗っかる形でようやく落ち着いたらしいロトムを改めて眺めてみれば、さすがコウキだ、よく懐いているように見える。 「俺としては願ってもないが……どうしてまた?」 「それがえーと……こいつ、ナギサが好きみたいなんです」 「ナギサが?だが君、このロトムはたしかハクタイの森で…」 「あ、そうなんですけど。なんていうか、ナギサにも居たことあったみたいで」 「こいつが?」 台詞を持っていったオーバがじっとロトムを見つめると、ロトト、と何かを訴えるようにロトムは笑った。それからふわふわと浮かび、自動ドアを開けもせずにすり抜けてジムの外へ出てしまう。あっこらまて!コウキとオーバがほとんど同時に声をあげて走り出したのを追いかけようとして、ふと頭のどこかで蘇ったフレーズに足を遅らせた。 (あれは確か、丘の上に住んでる……) 古くからこの街に住む老人が、なにか世間話の折に口にしていたこどもの話。幼い頃から両親の過度な期待に悩み続け、人と関わらずおもちゃや機械を弄ってばかりだったと言う。お前も似たようなもんだなんて冗談交じりに嫌味を言われたこともあったが、これまで話半分に聞いていただけだった。しかしなぜ今このタイミングで思い出すのかといえば、どうしてもあのロトムを目で追わずにはいられない。外に出てみると、高い太陽の日差しに半分透けながらナギサの空を飛びまわっているロトムの姿があった。 「へえ、本当にナギサを知ってるみたいだな!」 オーバが俺の回想など露知らず、上空を見上げて笑っている。その隣でコウキが頷きながら笑って、しかしつと俺に視線を向けてまたあの顔をした。どこか気掛かりを抱えているような、だけど口にする気はなさそうな、図りかねているような曖昧な面差しだ。今しがたはまるでその真意が分からなかった俺であったのに、今俄かにコウキの言いたいことがおぼつかないながらも分かってしまったような気がして、眩しくもないのに目を細める。慌てて顔を上向けたコウキに眉を寄せながら苦笑を浮かべ、それから三人揃って青空を舞うロトムの姿と鳴き声を見守った。ロトト、ロトト、楽しそうではあるのにどこか寂しげな、何かを探しているような声に聞こえるのは気のせいかもしれない。だが俺の中に生まれた確信は、当たらずとも遠からずなのだろうと思う。 「ロトム」 呼び寄せると存外すんなりとこちらへ降りてきたロトムにそうっと触れると、ぱちぱちと弱い静電気を指に感じた。電気タイプのコミュニケーションツール、何を伝えたいのか明確には分からないが、コウキと俺の意図に同意してくれたらしいことはすぐに分かった。これだけナギサが好きなら、きっと上手くやっていけるだろう。 預かったボールにロトムを戻しながら、まだ物言いたげに俺を見上げているコウキの頭を撫でてやる。少し驚いたように目を瞬かせたコウキにゆっくり笑って見せてから、俺はオーバに一度視線をやって深く息をついた。人の顔見て溜息つくなよ、オーバは何も知らない目をしてそう一過性の憤慨をよこしたが、何でもないさと返せばふうんと気にした様子もなく生返事をして、やがて忘れてしまったようにコウキに何かを話しかけ始めた。俺とこいつの関係はいつもこうだ、俺が例えマイナスに向かっていたとしても、オーバがいつだってプラスに向かっているから釣り合いが取れる。だから俺は今まで俺のままでやってこれた。一言だって言いやしないが、これは間違いなく本当のことだ。 (俺なら心配いらないさ) 口に出さないままでもどうやら伝わったらしいコウキへの返答は、いつの間にか彼の横顔からすっかりと翳りを取り除くことに成功していた。馬鹿笑いをするオーバにつられて破顔するコウキを眺めながら、手の中に納まったモンスターボールを撫でる。お前も俺も、ひとりじゃない。これから嫌というほど味わうことになるであろうそれを敢えて念じてみれば、柄でもないことをしたせいか無性に腹の奥がこそばゆくなったので、誤魔化すためにひとつかぶりを振った。 俺の家の洗濯機に入り込んだロトムがオーバに水を浴びせかけて、奴のポケモンも巻き込んだ大騒ぎになるのは、また別の話である。 ハッピー・ゴースト・リクエスト |