ソファに座った瞬間に感じる反発するような触れ心地がないことに気がついて、カゲツは眉を持ち上げながら疑問符を浮かべた。ここは四天王とチャンピオンならばいつでも好きなように使うことを許された、リーグの人間からはリビングと呼ばれている部屋である。ホウエンでは飾りとしての意味しか持たないやけに装飾の凝った暖炉と、それとは些か不釣り合いにシンプルな素材と作りで統一されたテーブルとソファ、あとは申し訳程度に置かれた大ぶりの観葉植物で室内は占められていた。はずだったのだが、どうやら調度が少し変わっているらしい。よくよく見れば前のものとは色こそ同じだが、ふかふかとした座り心地のこのソファからしてまるで別物だ。テーブルを挟んで対になっているほうも同様で、ふたつともすっかり入れ替えたとしか思えない。カゲツはキュウコンにつままれたような気分になりつつ立ち上がり、他にもどこか知らない内に変わってしまったところはないかと探しにかかった。フヨウあたりを読んで来ようかとも思ったのだが、自分だけが気づかなかったというオチになったら格好がつかない。カゲツは四天王の一人目であるため出勤時間が他のメンバーに比べて長く、リビングに居る時間は必然的に短かった。 「だからってこれは……あ、」 「おや、どうもご苦労さま」 物音少なく現れた人物とばっちり目が合ってしまい、呆けた声を上げてから慌ててどうもと短く返した。目に痛くない色合いの髪がゆっくりと揺れ、それより幾分か深いエメラルドの双眸が細められる。笑ったのだと気づくのにタイムラグがあったのは、こういう笑い方をする男をカゲツがあまり知らなかったためだった。容姿端麗、バトルもコンテストもホウエンにおいて一党制のごとく輝き世の女性を虜にしてきたミクリという男がルネジムのリーダーからチャンピオンに転身したのは、誰の記憶にも新しい。ホウエン最強のジムリーダーとして名を馳せていた彼ならば当然と言う者もいる一方で、らしくないと騒ぐ連中もいた。前任と何か取引があったのではないかと囁く者まで現れたらしいが、それはメディアがいつの間にやらもみ消してしまったらしい。今やコンテストにエキシビジョンマッチにと多忙な日々を送るチャンピオンとして、華々しい姿ばかりがテレビに映し出されている。それがこのミクリだった。 しかし、どうもまだ慣れねえな。 カゲツはうろうろと部屋を眺め回っていたことを悟られないようにソファに座り直しながら、小さく靴音を響かせて歩を進めるミクリと目で追ってそう内心でごちる。元より自分とミクリの馬が合うと思う人間は少ないだろうが、言いたいのはそういうことではなかった。チャンピオンとしてのミクリと、こういう時に顔を合わせるミクリというのがどうにも違う顔に見えて仕方ないのだ。さらに述べるならばメディアに出ているミクリとは違う人間であるように見える。コツ、コツ、優雅のひとことで形容できてしまう彼の身のこなしを右から左へとお居ながら、そもそもテンションが違うよな、と誰に言うでもなくカゲツはひとりで小さく頷いてみた。 芸能人なんかはオンとオフの差が激しいって聞くが、これが素なのだとしたら相当切り替えが上手いんだろうな。組んだ膝に頬杖をついてひとりで納得しかけたところで、視界の端でミクリの動きが止まる。なんだと思ってよく見れば、彼が抱えるように手にしていたものを暖炉の上のスペースにゆっくりと置いているらしい。ごとりと思い音を立てたそれが何なのか、眉をひそめてカゲツが腰を浮かせたところで、ふっとミクリがこちらを向いた。中途半端な姿勢のまま一寸固まって、それ、と気まずげに声をかければ計らったようにミクリは苦笑して見せた。 「ダイゴから送られて来たんだけどね、」 「は? ダイゴ?」 「そう、だけど私の部屋にはちょっともう置けないから、ここにどうかと思って……合わないかな?」 首を傾げる仕草がひどく似合っていることに、なぜだか居た堪れない気分になる。どうと言われても、そうかぶりを振りたいのを抑えてミクリの隣へ寄ると、やはり鎮座していたのは何やら青と緑が混じったような色合いの、形はなんてことはない、そこらへんにありそうなごつごつとした石だった。光の加減によっては微妙にきらきらと反射しているようだったが、わざわざインテリアにするとなるとかなり難がある。暖炉はシックな石造りであったから、違和感がないのが救いと言えば救いだった。まあいいんじゃねえの、カゲツが投げ遣り気味にそう呟けば、可笑しそうにミクリは肩を揺らして短く笑った。 「ふふっ…これねえ、水の石とリーフの石が自然にくっついてしまったものらしいんだ」 「…へえ、そんなこともあるんだな」 「面白いよねってダイゴは電話で言っていたけど、まさか送って寄越すなんて、ねえ」 「おお…っつうかあんたの部屋って、もしかして石だらけなんじゃねえのか」 「え、どうして分かったの?」 きょとんと音のしそうな顔を見せたミクリに小さく噴き出したカゲツは、さっき自分でもう置けないとか言っただろうにとそこまで出掛かっていた言葉を飲み込んで、いやなんとなく、とくつくつ笑いながらひとつ手を振って見せる。存外抜けているんじゃないかとまた新たな面を見出して、少しばかりこの新しいチャンプを面白いと感じるようになっていた。何が可笑しかったのか分からないらしいミクリはカゲツの様子を珍しそうに眺めてから、ダイゴはいつも石ばかり送って来るんだよと思い出したように肩を竦める。前チャンピオンの石好きは四天王の中でも有名だったが誰かに贈っているというのは実のところ初耳で、ふうんとだけ相槌を打ちながらカゲツはそっと目を逸らした。アンタ相当愛されてるんだよ、とはどうせ分かりきっているので言ってやるまい。 ゴシップやワイドショーも存外捨てたもんじゃねえな、なんて下品な笑みを浮かべそうになるのを抑えてポケットに手を突っ込んで、今しがたと同じソファに腰を落ち着かせる。合わせるように反対側へと腰かけたミクリがまさか、ダイゴのわがまま同然の頼みでこのチャンピオン職に着いたのだと知ったら、世の中はえらく面白いことになるのだろう。しかも四天王全員を打ち破ったことに変わりはないから、後ろ暗いことなどないのだ。もっとも極秘事項を口にした時点で首が飛んでしまうので、カゲツにとって面白いことなどひとつもない。ここでこうやって面白がるのがいいんだ、再び小さく喉を鳴らしてしまえばミクリが視線を向けたので、ひとつ咳払いをして話題を変えた。 「あー、そういえばこのソファ、もしかしてあんたが替えたのか」 「そうだよ、前のはダイゴの趣味だろう?硬くて座りにくくなかったかい?」 「まあ、言われてみりゃあそうかもな……」 ミクリが暖炉の上に石を置いたあたりでひょっとしたらと浮かんでいた予感は、やはり当たっていた。こともなげに笑っているが、前のソファもこのソファも金額にしたら目玉が飛び出すような代物だろう。御曹司もコンテストマスターも考えることがどっか違う、カゲツは目元がひきつりそうになるのをどうにか抑えながら諦めたように方の力を抜くと、持て余していた両手でふかふかとした弾力をひたすらに確かめていた。 |