ミスタが執務室に入ると、奥の窓際に置かれたデスクでジョルノが気のない様子で書類に目を通していた。閉じたブラインドの隙間から漏れる光が、彼の背後に縞模様を浮かび上がらせている。シエスタにはうってつけの時間帯である。それと関係があるかは知らないが頬杖をついて気だるそうにしているジョルノの、しかしそうはあってもおざなりな印象を与えないところが器用と言うか、持って生まれた才能であろう。これからその書類の束をさらに分厚くさせるべくやって来たミスタに対して、彼はお疲れ様です、と簡潔な労いを寄越すとまた手元の紙に視線を戻した。まだその椅子を手に入れてから一年と経っていないというのにも関わらず、えらく馴染んでいるように見えるから大したもんだ。事務的な動きで書類を裁いている年下の上司を、そんな感心とも鼻白みともつかない内心をぶらさげて暫しドア付近で眺めてから、片手に丸めて持っていた書類を提出すべく歩き出す。

「……あ? お前ェ今日は休みじゃなかったのかよ」

歩き出そうとしたのだったが、ふと見た応接用のソファに浅く腰掛けている人影を二度見して足を止めた。
応接用といっても限りなくお飾りに近いソファとテーブルは大抵、ジョルノの休憩用か幹部を呼び出した時に使われる。今は後者のそれであろうかと思うのだが、背を丸めてテーブルの上に広げた紙になにかを書きつけている少年、フーゴが一体何をしているのか瞬間的には分からなかった。ああそうだけど、と顔を上げるどころか手を止めることすらなく返してきたフーゴは、万年筆をどうやらレターペイパーに走らせている。さらさら、と言えばいいのかかりかり、と言えばいいのかうまい言葉がミスタには見つからなかったが、そういえばこの紙に文字を書く音がドアを開けた時から聞こえていたなと思い至る。執務室には付き物のバックグラウンドミュージックとして気にも留めていなかったが、こいつが立てている音だったのか。
そうして少し立ち止まって眺めている間に、フーゴはその時取り掛かっていた一枚を文字で埋め尽くして次の一枚へと移ろうとしていた。注意を向けて見て漸く気がついたが、卓上にはすでに軽く十数枚はあるかというびっしり文字の詰まった手紙らしきものが折り重なって、それを見ているだけでミスタは眩暈がしてくるような気がした。もともとデスクワークだとか情報処理だとか文書作成といった業務とは無縁で生きてきた自分にとって、こうして任務報告のために書類を作るのだって一苦労だというのに。よくもまあこいつはこんな地獄みたいな作業を平気なふうにこなせるものだ。

「おいジョルノ、こいつ何を書いてんだ?」
「ちょっとミスタ言ったじゃないですか、丸めると癖がついて読みにくいって」

向き直って尋ねようとしたところ、いつの間にかこちらへ来ていたらしいジョルノが手から書類を浚いとって眉をひそめていた。困るんだよなあ、と首を傾げて分かりやすく迷惑そうな顔をしているボスが確かに不機嫌そうなオーラを纏っていることを見止めて、ミスタは頬をひきつらせて短く笑ってから素直に悪かったと頭を掻いた。しょうがないですねと小さな子を見るような目で溜息をつき、それからようやく先程の問いかけに答えようという気になったらしいジョルノはフーゴに目を向けたのだったが、彼がテーブル上に重ねていた手紙を見ると何やら満足そうな顔になってそのままフーゴの傍へと歩み寄りった。

「もういいよ、フーゴ」
「はあ!? おいおいおい何やって……」

ジョルノが十数枚のレターペイパーに手を伸ばした、と思った時にはもう、必要な動作は終わっていたらしい。ミスタが素っ頓狂な声をあげているその瞬間にも、フーゴが今の今まで真剣な顔をして書いていた手紙らしきものはどんどん細かく千切れ、みるみるうちに文字など判別できない紙吹雪のように成り果てていく。訳が分からないという形相と身振りでふたりを交互に伺うミスタをよそに、フーゴはうーんと伸びをしながらソファに深く体を沈めてどこか解放感も込めた眼差しで舞い上がる紙片を見ているし、ジョルノはさも当然と言った横顔でペイパーの変容を見守っている。
そのうちに紙吹雪だったものは小さな白い蝶へと姿を変えて、いっせいに窓の外へと飛んでいってしまった。いつの間に窓が開いていたのかミスタには分からなかったが、抜けるような青空に広がる蝶たちは映画のワンシーンさながらの美しい光景だった。ミスタは呆然とそれを見送ってから、なんていうか俺このタイミングで此処に来ればよかったぜ、とひとりごちた。あれがついさっきまで進行形で製作されていた手紙だと知らなければ純粋に綺麗だと思えたはずだが、この状況ではそれもままならない。

「あれはラブレターですよ、僕への」
「え?」
「僕のやる気が出ないのでフーゴにお願いしたんです」
「あー……ちょっと意味が分かんねえな?」

蝶が消えていった空を見やって妙に機嫌を良くした横顔で話すジョルノに対し、笑っていいのかすら謎だという気分で(それは状況的には大層まっとうであるはずだ)疑問を返すと、ソファに沈んだままリラックスした様子のフーゴが代わりに答えた。

「仕事が終わったらいっぺんに読むんだってさ」

それまでお預けの意味で蝶にして飛ばしてあるんですよ、鳥や他の虫なんかに何匹かは食べられているかもしれないけれど、そこがまたスリリングでいいでしょう。ああちなみに言っておきますけどこれは無駄なことなんかじゃあないんですからね。人生には適度なスリルが必要です。
フーゴの台詞を補足するようにそう述べたジョルノは、デスクの引き出しから追加らしいペイパーを持ってくるとフーゴに手渡して、あと一回くらいでいいですよと言うと腰を折ってその頬にキスをした。ここで漸くはにかんだ様子を見せてそれを受けたフーゴは、頷いてやはり当然という仕草で罫線だけのペイパーを受け取ると、頑張ってくださいとジョルノの頬にキスを返した。

ここまで放置気味にされていたミスタは、結局ただ間が悪かっただけじゃあねえかと思い至ってちくしょー! と地団駄を踏んだ。見る必要のない物を見せつけられたストレスのためか無意識のうちに出現させていたセックス・ピストルズにしきりに慰められながら、今日はきっとどこかで4という数字に出くわしていたに違いないと己の不覚を嘆いた。