波にさらわれる夢を、見ていたのかもしれない。視界はひどくおぼろげで、ただ頬を撫でる感触だけがひんやりと心地良かった。けれどもじわじわと侵食してくるかのような湿度を帯びた熱もまたすぐそこにあるようで、それが己の不快指数をいささか上向かせている。飲まれているというよりは、とどまらぬ波に置いてゆかれているような感覚だった。飽和した先から泡粒になってはじけてゆく音と並行して、ときおり俺がひといきに息を吐き切った際の蒸気のような振動が耳をついた。


しゅわ、
しゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわ


ピンポーン


瞼を上げたと同時に、浮遊していたはずの体がべたりと床に張り付いている感触がリアルに伝わって来て思い切り顔をしかめた。正しく重力がのしかかる。波音のような蝉の声は相変わらず外界を侵食し続けていたけれども、もはやそれに涼しさなどは微塵も感じない。心地良いと思っていたはずのフローリングも体温でだいぶぬるくなってしまっている上、少しでも体を動かせば汗で張り付いた肌をべりりと剥がす感触がして身を起こす気も失せた。あー、と脱力して声を漏らせばそれすらも熱い。


「あ?なんだ居るのかー三郎、開けろよ!」
「開いてんだろー」
「…お、ほんとだ」


ガチャ、
しゅわしゅわしゅわしゅわしゅわ


「うわっなにお前床で寝てんだよ」
「いいから閉めろ暑い」


ばたん


のろりと顔だけを玄関先に向けるさまは亀か何かに似ているかもしれない、そう思いながら視界のハチが焼けた肌に玉のような汗を光らせて笑っているのを目の当たりにして、ああ、とまた床に突っ伏した。我が部屋にエアコンなどと言うハイなテクノロジーは備わっていないから外との温度差はほとんどない筈なのだが、明らかにこの数分で体感温度はがらりと変わった。「なんだよ大丈夫か」「あつい」「なー今日暑いよな」とりあえず上がるぞと言いながらサンダルを脱ぐハチに、返事をしてやる気さえも失せていた。俺の脇を通り抜ける骨ばった足をぼんやり見送りながらゆっくりと起き上がれば、頭から首筋へ汗が流れるのが分かった。Tシャツをぱたぱた動かしてみてもさほど空気は流れない。見れば床の俺が寝ていた部分は結露したように湿っていて、うへえと見なかったことにして背を向けた。
「三郎アイスどれがいい?」
「パピコ」
「ほらよ」
お前絶対アイスだけで生きてんだろ、とスイカバーを齧りつつハチは呆れた様子で片膝に頬杖をついた。パッケージを開ければ少しばかり柔らかくなったパピコがようやく俺に本物の涼しさと言うやつを与えてくれる。お前がアイスばっか持って来るからだろ、いやお前がアイスしか食わねえからだろ、言葉少なに交わしながら溶ける前に二人してアイスに集中している光景はいかにも夏の定番といったところだったが、くそ暑い部屋でこれは焼け石に水を体現しているかのようだと思い薄ら笑いがこぼれた。

なあやっぱり夏だけでも雷蔵んちに泊まればいいんじゃねえのか。木の棒を銜えたまま俺をやや心配そうに(というかやばいものを見る目で)見遣ってきたハチに、俺はやだよと薄ら笑いのまま答えた。あいつの家ならクーラーもあるしおばさんの上手い食事も食えるけれども、お前がアイス持って来てもつまらないだろうからな。言えばきっとお前マゾなんだなと断言されよう内心をパピコと一緒に飲みこんで、あそこは夜更かしできないからなあと続ければ「ああ、」とハチは納得しているのかいないのか曖昧な顔をして仕方ねえなと呟いた。

「とりあえず明日は四人で図書館だからな」
「あー宿題」
「お前もずっと寮にいたら死ぬし」
「いやいやさすがにそれはねえよ」
「俺も金銭的に死ぬし」
「あー」

喋った音すら熱に輪郭をぼやかされる。いくらか間を置いてから腹の中で笑いが生まれるのをくすぐったく感じながら、悪いねえ八左ヱ門君、と空になった容器を無意味にふくらませてくっくっと笑った。





/in high summer