まるで小さな獣のように背を丸めて寝息を立てている姿は、世辞にも国主の名を冠する者とは思われない、気の抜ける輪郭を纏ってころんと横たわっていた。鋼鉄のたなごころはひどく冷たかろうと初めは眉をひそめたが、高窓から降ってくる光はちょうど良い具合に黄金色の兜を照らし、あたかもこの少年を温めようとしているようにも見えた。指先まで精巧に作られた鉄の武人、本多忠勝の両手はふたつ揃えて持ち上がったまま静止し、丸く底面をかたちづくって家康の寝床となっている。見上げても赤い瞳が光ることはなく、今は停止状態、眠りについているのであろうことはからくりに疎い頭でも分かった。まさかこうするためにこの格好を取らせたわけではあるまいが、しかし眠り続けるふくふくとした横顔を眺めているとそれも有り得ない話ではない、と政宗は隻眼の眦をやや和らげつつ息を吐いた。
「……ガキかよ」
呟いて、すぐに組んでいた腕を解いて頭を掻く。息ばかりの乾いた笑いがこぼれ出す。言うまでもなくガキだったな、とひとりごちた。
こんな間の抜けた寝顔を晒しているのは己への信頼か、はたまた相当に肝が据わっているのか、あるいは本当に間が抜けているのか、判断はつきがたいけれども、こんな様を見せるようになったのはさほど古い話ではない。同盟を組み、夢を語り、刃を交えた末のことである。人懐っこい顔をしながら、その顔のままワシはこの世を平和にしてみせる、とのたまうのだからご大層な口を利くガキだと笑いながらも、嫌な気分はしなかった。ぶつけあう雷はまだ弱いものだったが、腑をぞくぞくとさせるまばゆさを孕んでいた。
それでいて時たま、ひどく老いた物言いをすることもあった。何かを諦めているような、それは決して後ろ向きというわけではなかったが、目の前になんらかの線が引かれているのをじっと眺めるような、そういう目つきをしているのだった。政宗はその折りの眼差しを目にするたび、己を苛む気配と、家康に近しさをおぼえる気配とが、己の中にほぼ同じくらい湧き上がるのを感じた。家康は好ましい。だがあいつは弱い。まだ弱い。俺はあいつのように人に諂うのが耐えられず爪を振るい、いかづちを突き立て、数多の血を、あいつのように弱い者の血と涙を踏んでここまできた。だがそれは、家康とて同じことなのだ。
(俺とアンタは変わらない、そのくせこんなにも無防備な顔を見せやがる)
空恐ろしい、というのはこんな感覚を言うのだろうか。鳩尾がひゅうひゅうと鳴るような心地だ。政宗は身を少し乗り出して、眠る家康にそっと手を伸ばしてみた。まろやかな光に包まれた、丸みを帯びた頬はきっと温かいだろう。しかし結局触れることはしないまま、なにかむず痒いものに引きずられるようにして身を引くと、ゆっくりとした足取りで政宗は格納庫を後にした。
『独眼竜』
『Ah?』
『格好良いなあ、おめえの通り名。ワシも何か欲しいわ』
『Hum……アンタにはまだ早えよ』
人懐っこい笑みが脳裏に浮かぶ。見えない線をじっと眺めている横顔と、あの寝顔と、その笑顔が混じりあって、そこから何が出てくるのか、政宗には描くことができなかった。二つ名なんざいいじゃねえか、とその時確かに思っていた。戦国最強を従えて、アンタがガキみたいに笑ったままでいるのならそれが一番良い。弱くとも、弱きを踏み台にしても笑っていられるアンタに寒気をおぼえるのは俺が、いずれアンタが俺のようになるのを恐れているためなのかもしれない。決して容易に寝顔を晒すことなど出来ぬ、鋭利さを失うことの出来ぬ、そういう生き物に家康が変貌してしまうことを、恐れているためなのかもしれない。政宗はそう内心でとつとつと呟いて、足を速めた。


思えばあのとき本多の掌で眠っていたのは、なにも油断が過ぎていたわけではなくて、そこが最も安心して眠れる場所であったというだけだったのかもしれない。もしも一寸でも家康に触れていたならば光の速さで本多は起動して、俺を射抜かんばかりの眼を向けてきたのかもしれない。
今となっては背を丸めても本多の手には納まりきらず、頭やら脚やらがはみ出してしまうであろうほどに成長した家康が、あの時と似たような顔をして畳に転がっている。蘇ってきた記憶を散らすため、政宗はかぶりを振った。午後の日差しが光耀として差しこむ一室で、たとえ長く待たされたからと言ってここまで眠りこけるだろうか、と呆れを滲ませ、羽織りの袖を筒にして腕を組んだ。どうせその辺りで風魔かなにか控えているのだろう、それでなくとも容易に隙を突かれる奴でもないが。脱力感をおぼえながら、音を立てぬようにして畳を踏めば良い具合に温められており、政宗は少しばかり家康が羨ましくなった。
「んあ、すまんな独眼竜。眠ってしまったようだ」
政宗が腰を下ろすか下ろさないかのところで、家康はむっくりと起きあがった。寝起きが良い。流石に眠り続けるなんてことはなかったか、と可笑しいようなつまらないような気分になる。
「見りゃあ分かる」
「はは、何かな…懐かしい夢を見ていたような気がするんだが、うまく思い出せないな」
「転寝にはよくあるこった……Ah、そうだ、俺は夢じゃねえが、思い出したことがあったぜ」
「ん?」
「アンタがまだ、俺のこのあたりくらいしかなかった頃のことさ」
肩口に平らにした手を当てて笑うと、ああ、とそれだけで懐かしげな顔を浮かべてから家康も頬を持ち上げた。丸い双眸を細めるさまに、家康がこれまで歩んできた年月が垣間見える。脳裏に政宗と同じものが蘇っているかは知れなかったが、しんみりと瞼を伏せたかんばせからして、多くの記憶が浮かび上がっているのだろう。
「お前と初めて同盟した頃は、まだワシも幼かった…兜を被り、槍を握り、部下には山ほど無茶をさせた……でも、楽しかったなあ」
「へえ。アンタは楽しかったのかい、あの頃」
「昔のことだからそう言えるんだ、きっとな」
はにかむようにして頷いた家康は、僅かばかり政宗から視線を外して庭を眺めていた。その横顔にただじっと焦点をあてながら、政宗は若き日の家康を思い浮かべてみる。人懐っこい顔は、いくらかぶれてはいるものの、しっかりと目の前の家康に重なった。重なって、しまった。
「……東を照らす、権現か」
「ん、なんだ」
「アンタの呼び名さ。知ってんだろ、そう呼ばれてるのを」
「ああ、どうにも大層でくすぐったいよ」
「そのわりに、嬉しそうな顔してるじゃねえか」
「……そうかもしれん。ワシはな、独眼竜……ああ、お前なら呆れるくらいで済むだろうから、言うんだが」
「What? 勿体つけんな」
「ああ……ワシはな、神になれたらいいと、本当にそう思うことがある」
いやに静かに厳かに深いところまで浸透してきた声は、長いこと政宗の内で反芻していた。真っ直ぐ見つめてくる、まだ幼さを残した瞳。すぐさま笑い伏すことが出来ずにただハッと意味を与えられない息をつけば、先に家康が誤魔化すように軽く笑って、眉を下げながら頭を掻いた。
「――理由を訊こうか?」
「怖いんだ、独眼竜、この国を置いて死んでゆくのが」
目を伏せて呟いてから、人とは欲深いな、と家康は懺悔にも似た面持ちで次いだ。まったくだ、と政宗は間を開けずに返してやる。今度は笑えた。あんなに小さくて弱っちくて、夢ばかりでかい、天下餅などとても食らえそうになかったガキがどうだ、こうやって泰平よりも先を案じている。神になりたいという。神になって、いつまでもこの国を守ってやりたいという。
「アンタには過ぎた願いだぜ……家康、寝ぼけてたってことにしといてやるよ」
「ははは、そうだな。ありがとう独眼竜」
照れたような苦笑がちな面差しに、何故だかみぞおちが震える。瞳孔が貫かれて、じわじわと広げられていく、滲んでいく錯覚に包まれる。空恐ろしいと感じていたガキはもう、ひょっとしたら手の届かないところまでいってしまったのではないかと思った。口角を上げたまま、政宗はただ眩しさに耐えるごとくに目を細めて、家康の笑顔を見つめていた。
(もしも家康が神になってしまう日が来たなら、)
(そんな時が来てしまったなら、天へ昇らせるのは俺の役目だ)
(本多にも誰にも譲らない――独眼竜たる、俺の役目だ)
アンタは幾度傷ついてもその顔だけ、その笑顔だけは失くさなかったんだな。決して口には出さぬまま内意を転がし、それから微妙な強さで眉を歪めると目線をずらす。高く空を仰いだまなざしは、日光に塗りつぶされて宙ではじけた。