(劇場版)





 こいつの毛並みは、君の髪に似ているね。
 手を伸ばしかけてやめたままの指先を見つめてそう言ったら、たいそう分かりにくいくらいの機微で、それでも眉間に皺を寄せて黙りこくった白竜がじっとこちらを見ているのを後頭部で感じ取って、シュウはわざと振り向かずにゆるやかに笑んだ。
 重なりあう木々からこぼれ振ってくる陽光が、苔蒸した地面にやわらかなまだら模様を生み出している。ミルクのようになめらかな白を持つ子ヤギの毛にもその木漏れ日は落ちて、触れずとも伝わってくる温かさが目元を緩ませた。あんなに怖い目にあったくせに、ずいぶん肝が据わったやつだなあ。ささやかな呟きを落としてみると、視線からなにかを読みとったのかはたまた偶然か、めええ、と間延びした声をあげて横長の瞳孔がシュウを見上げる。
「試合中のコートにのこのこ入って来るとはな……お前に似て緊張感がないヤギだ」
 背後から様子をじっと眺めていたらしい白竜が呆れを隠さずに述べた言葉に、あははと肩を揺らしてなおも微笑む。聞く者によっては侮辱とも取れる台詞であろうけれども、こんな調子に慣れきっているシュウには苛立ちも湧かない。むしろ立ち去らずにこうやって居てくれるということは、少なからず嬉しいことだと思う。

「怒らないんだね、意外だな」
「お前が決め、監督が許可を出したのなら俺がとやかく言うことじゃないだろう」
「うん、それはそうだけど」

 このタイミングで森に来るから、ぴりぴりしたお説教でも食らうんじゃないかってこれでも身構えていたのにな。口には出さずにごちながら、シュウはとうとう子ヤギを撫でることをせずに手を引っ込めて、ひとしきり午後の陽だまりの香りを胸に溜めこんでからくるりと振り返った。常と変らない温顔と真っ黒な瞳に、白竜の釣りがちな紅い眼からのかすかなもどかしさが注がれている。シュウは玉飾りから垂れるおさげを揺らすと、数歩進んで白竜が抱えていたボールをするりと受け取って、それをポンポン膝で弾ませはじめた。

「そんなに気に入ったか、松風天馬が」
「うん、面白いよ」
「俺にはまるで分からないが」
「んー、そうかもね」

 ぽーん、高く舞い上がった球をふたりして見上げる。そのまま緩やかな曲線を描いて計算しつくされたように落ちてくるボールから目を離さずに、眉ひとつ動かさないまま額で受け取ると白竜はそれを幾度か弾ませて、やがてまた片腕に収めた。さわさわと葉っぱが風に泳ぐ心地よい音だけがあたりに響いている。白竜の息遣いが少しだけ、落ち着かないふうに密やかになる。こんな自然に満ち溢れた島なのに、わざわざ石の要塞を作って閉じこもっているからだよ。触れたら罅割れてしまいそうなぱきりとした面立ちを見やりながら、口元の穏やかなラインを崩さずにそんな感懐を抱える。たまに日光の下で顔を合わせても、日差しにあまり強くないらしい色素はひとつも変わらずに透き通らんばかりだった。森の中で息苦しくなるなんて君は変わってる、出会った頃にそう告げた言葉が白竜を戸惑わせた日とまるきり同じ透明度で、温色の木漏れ日に飲まれている。
「シュウ、」
 途切れてしまった会話を縫い合わせるように低めがちに呼んできた声に、目元をもちあげて応える。視線に居心地の悪さを感じたのか、顰められた眉根にはわずかに戸惑いがにじんでいる。こういう顔をさせたいわけではないのに、それでも陶器みたいな相貌がなんらかの感情を伴って自分に向けられることは、やっぱり嬉しい。

「ごめんごめん、とにかく試合まで雷門のことは見ておくからさ。ツルギのこともね」

 強調しながらつけ足した名前に、あからさまに目を見開くところが彼らしい。そういうつもりじゃない。ぎゅっと眉間に皺を作って視線を外した白竜にまたあははと声をあげて笑ってから、シュウはゆっくり手をのばしてアイボリーカラーの長髪に触れた。一寸強張った体が揺らいだものの、眼差しを絡ませると落ち着きを取り戻してじっと見つめてくる。白竜の髪が好きだとずっと言い続けているおかげか、こういうことをしても諦めたように息をつくようになってくれた。すごい進歩だなあ、と内心でごちながら笑って見せて、それからじんわりと目を伏せる。光を弾かずに吸い込んで水面のように揺らぐ、青みがかった後ろ髪。その持ち主の纏う雰囲気とは裏腹に手にふわふわとなじむ柔らかさはひどくアンバランスで、いつだって、この光の中ではなおのこと、シュウにとって不安と安堵をおなじだけもたらす。君に根差した柔らかさがとても心配だと、思わずにはいられないのだ。

(振り向いてほしいと言えない君を、見てあげられるのは僕だけでいいのに)

 明日からこの森は騒がしくなるだろう。白竜の心を捉えて離さない彼と、シュウの心を惹いた彼と、その仲間たちが特訓することを許したのはほかならないシュウだ。それを今さら後悔なんてしていないけれども、だけど少し惜しい気持ちはあった。揺さぶるだけ揺さぶって、それで何も残さずに白竜をあの石塔にまた戻してしまうだけの風ならば、とても疎ましいものに違いない。
 指先で髪をもてあそびながら思案して、だけどそれならば僕も似たようなものだなと、シュウは気取られないように苦笑をした。光にひかれて、闇にひく。君の色には染まれない。君も僕には染まれない。終わりはない。終わらないでほしいとだけ願っているこの胸のうちはただ、白竜が求めてやまないらしい究極とやらにとっては相容れない色に染まっているばかりだ。
「……本当に似ているか?」
 かけられた声に意識を目の前に引き戻すと、きまりがつかないような顔をして、白竜がシュウと子ヤギを交互に眺めていた。はたとして瞬き。すると程良いタイミングで、めええ、と草を食み終えたらしい子ヤギがまた呑気に鳴いた。窺うような紅と見つめあっていたシュウは、それを合図にして綻ぶように破顔した。

「ううん、白竜のほうが触り心地がいいや、」

 歌うのにも似た声色が告げると予想通りふいと視線を外して、そうかと返したきり口を噤んでしまう白いかんばせ。そこに浮かぶまろやかな光がそよ風に踊っている。瞳をにじませる明るみに目を細めながら、幾度も毛先までをゆるゆる手櫛で梳きながら、やっぱり僕は白竜にいろんな顔をしてほしいな、とシュウは思った。一緒に居る限りは叶うことはない願いの、そのあてどもない矛盾を抱えながら、思った。