きみはもっと器用だと思っていたけどなあ。
 意外であったというような、それでいてどこか嬉しそうな眼差しと共に寄越された台詞にむすっとした顔を作りながら、ミナキは自らの指に摘ままれたものをひらひらと軽く振った。おもてが水色、うらが白のよくあるシンプルな千代紙は幾度も細かに折られたそれで、何らかの形を成してはいるのだが、もはやそこから手を加えるつもりは起こらない。同じ手順で進んでいたはずなのに、いつの間にやら別の具合に折ってしまって、マツバとは違うよく分からないものになってしまうので、いい加減諦めが首をもたげたところであった。見ればマツバの手の内でさくさくと綿密さを増しているそれは、どうやら間もなく紫陽花の花弁ひとつのていを成すようだ。どこで間違ったんだろうな、さっぱり分からない。拗ねた声色で呟いて自分の千代紙を眺めたミナキに、手を止めたマツバはふふふと慣れた様子でほほ笑んでから、君はせっかちなんだよとのんびり言って、また目を指先へと戻してしまった。日頃さしてまじまじと眺めたりはしないマツバの手つきが、今ばかりはミナキの意識を独占している。繊細というのとはまた違うと思うのだが、職人的と形容したらよいのだろうか。うまく評せないものの、無駄のない動きで瞬く間に千代紙を折り上げていくマツバの指には、どうにも不思議な魅力が宿っているように見えた。
引き出しを整理していたら出てきたといってマツバが持ってきた結構な量の千代紙は、彼が幼いころに母親がくれたものだという。言っとくけど僕が遊んでたわけじゃないから、なんて要らぬ釘を刺してきたわりにはここまで上手く折れるのだから、少なくとも私よりは経験があるのだろうなあとミナキはぼんやり考える。そもそもエンジュとタマムシでは、こどもの遊びひとつにしても違うのだろう。お手玉、あやとり、折紙、そういった遊びは男女差うんぬんより先に、あの街ではもう廃れて久しい。古風趣味の現ジムリーダーならば一通りの嗜みはあるだろうけれども、生憎とミナキには日常的にこういった遊びをするという機会がなかった。とはいえ簡単なものならば折れるので、初めは鶴やら小箱やら菖蒲やらをこしらえていたのだが。
「よし、できた」
 既に折ってあったいくつかの花弁と合わせてマツバがそれらを手に乗せると、たなごころに淡紫の紫陽花が咲いた。「すごいな…悔しいがこればっかりは負けだぜ」「いつも不器用だとかなんとか言われてるからねえ、たまにはいいとこ見せないと」降参というふうに息をついて笑ってやると、マツバも満足げに手の中の紫陽花を眺める。普段どことなくあてどもない眼差しを浮かばせている双眸がこんなにも近しいものに向けられて、しかも得意げに細められているさまはあまりよく見るものではないので、その様子がミナキには可愛いというか微笑ましく映った。
 些かのつまらなさもどこかへ消えたのを感じつつ、もう一度ミナキは指先で自分の千代紙を弄ってみる。くるくるひっくり返してみても、ここが違うというのが見つからない。とはいえ崩してみたら二度とこの形にすら出来ないという確信だけはあったので、やれやれと肩をすくめてそれを手のひらに乗せた。もう一枚要るかい、そんな調子を見てか尋ねてきたマツバに苦笑がちにかぶりを振る。代わりに、空いているほうの手の人差し指だけを立てたかたちにすると、マツバ、と呼びかけてミナキはちょいと首を傾げた。
「ご覧あれ、」
 千代紙を軽く握り込み、その拳を人差し指でとん、とん、とん、三度叩いてぱっと開くと、水色はすっかり影も形もなくなっている。わあすごいな、と瞬きを数度繰り返してから掌と瞳を交互に見るマツバに、こういうのは得意なんだがなあと嬉しげな、しかしどこかしらまだ腑に落ちない色を滲ませながら余興をするように両の手を開いて、ミナキはそれをはらはら振った。
「で、どこにやったんだい」
「……そうだな、探してみるか?」
「え……はは、なんだ、君らしくない誘い方だなあ」
 秘密だぜとかなんとか言うだろうと思っていたのに、とマツバは俯きがちに笑ってから、千代紙の花弁を卓に置いてミナキの隣へ寄った。自覚はあるのか照れたように眉を跳ねさせたミナキが、伸びてくる指からついと目を逸らす。そういうこともあるさ。返されたやや上擦った声を可笑しみながら、そうだねと囁いてマツバは紫の上着に手を差し入れた。思わず息を飲み、ちらとだけ視線を交わらせてから、分かっているのだろうかな、とミナキは内心でごちた。分かってほしくないと思うのは、ただの我儘だ。あの指に触れられたいなど。
















 まさかここまで凝ったものが出来上がるとは、流石といったところだろうか。マツバは少なからず驚きながら手渡されたものをしげしげ眺め、へえ、と素直なままの感心を口にした。円筒には赤地模様のちりめんが丁寧に張りつけられていて、切り口もなめらかに整えてあるからこうやって見ている限り、そこらへんの土産屋で売っているものと大差はない。覗いてみてくれ、と待ちきれないとばかりにに急かす声がまるで少年のようなそれであったので、面映ゆくなりつつ言われるままに片目を瞑り、小さく空いた穴を覗きこんだ。
「……!」
「ふふ、どうだ…綺麗だろう?」
「なるほど、考えたね」
 反対側から光が入り、中に入っているビーズやおはじきが内側の三面鏡に映しだされて、色とりどりの様相を繰り広げる。たったそれだけの現象だということは知っているのに、何度見ても綺麗だとため息を漏らしてしまうのが万華鏡というものの不思議なところだ。マツバはゆっくりと筒を回してその夢のような色彩と光を楽しみながら、自らの口元がひとりでに緩んでいるのを感じた。視界に満ちている色合い、それは筆舌してしまうとひどくつまらないところに納まってしまいそうなのだが、いうなればホウオウとスイクン、その纏う色が散りばめられているのだった。
 エンジュにはこういった工芸品は多いものの、ホウオウを模したものとなると案外少ない。それはひとえにこの街にとって伝説が単なる伝説ではなく後ろ暗いものを含んでいるためであるし、また神を商売に用いることが躊躇われたこともあろうけれども、だから今ミナキが作ったというこれはまさしく、世界でここにしかないたぐいのものであろうとマツバは思った。きらめく紅緋、あかるむ萌黄、そこに白群がひらめいて、藤色がちりばむ。
「もしかしてマツバ、欲しくなったのか」
 自画自賛したそうな目をしてにやりと笑ったミナキが見ずともまなこに浮かんでしまい、何言ってるんだよ、といくらか照れながら万華鏡から目を離す。そんなに夢中になっていただろうか、と気恥ずかしくなったが、しかしこれはそうなっても仕方のないくらいにはよい出来栄えであった。これなら喜んでくれるよ、まあ僕らほど良さは分からないとしてもさ。ミナキの手に返しながらそう告げれば、実に嬉しそうにミナキは破顔した。
 バトルのいろはを教えてもらおうとエンジュジムに集まってくるこどもたちの中に、なにやらもの悩んでいる少年がいることにマツバが気づいたのは昨日、ほとほと日が暮れかかってきた頃のことだ。その子はずっと気もそぞろな様子で、友達ともどことなく距離を置いて何かを考え込んでいるらしかった。皆が帰った後もジムのエントランスあたりに残っており、どことなくマツバを気にしているふうな目をときどき向けてくるもので、これはと思ってマツバは彼に声をかけた。どうかしたかい、悩みでもあるのかな。そうできるだけ優しく尋ねてやると、ぎくりとして口ごもり、うろうろと戸惑いがちな眼差しを彷徨わせてから少年は、どこかへ意識を投げかけるようにしながら薄らと頬を赤くしたのだ。
「好きな女の子に万華鏡をあげたいだなんて、今どき風流で素敵じゃないか」
「しかもちょうど君が居るときだったからね…あの子は運がよかったよ」
 おこづかいが足りなくてあの子の誕生日に間に合わない、と項垂れた少年のために、それなら多分なんとかなると思うよと無責任気味にさわやかな笑みを浮かべたマツバがそのまま話を伝えたのが、ちょうどエンジュに来ていたミナキだった。君ってそういうの作れそうだと思ってさ。家に帰るなり事の次第を告げられて、さらにあんまり軽い調子でそう言われてぽかんとした顔をしていたのに、次の日には作ってしまうんだから大したものだなあ。頼んでおきながら友人のスキルにかえすがえす感心し、マツバはあの少年のぱあっと輝く顔が目に見えるようだと口元を上げた。
「それでマツバ、どうなんだ」
「ん?それを視るのは野暮ってものだよ」
「むう、しかし気になるじゃないか」
「ならそれまで、エンジュに居ればいいじゃないか」
 きっと時間はかからないと思うよ、と相変わらず穏やかに笑ったマツバをじっと見つめ、半ばそれで答えは出たようなものだなあと呟きつつもミナキはまんざらでもないように、マツバの家の壁かけカレンダーを眺めた。そうして何やらひとりで頷いて、手作りの万華鏡を斜めに掲げて覗きこむ。くるくるまわる円筒。その中でだけ繰り広げられる幻想的なパノラマを今、この世で共有しているのはマツバとミナキたったふたりだ。
「…万華鏡といえば、前にマツバは言っていたな」
「え、なんだっけ」
「私がほら、千里眼について訊いたときさ」
「ああ…万華鏡に飛び込むっていうやつか」
 ずいぶんと前のことになるが、ミナキが千里眼とはどういうふうに見えるのかと尋ねてきたときに、マツバはそういう答え方をした。口でなかなか説明できるようなものではないので、一番彼にとって分かりやすそうな例えにしたのだ。目の前の景色がとびすさって、縁のない万華鏡に飛び込むようなかんじだと。
「あれは今考えると、ちょっと違ったかもしれないね」
 マツバは言い終えるより先に歩を詰めて、ミナキの覗く円筒の反対側、丸く貼られた半透明のフィルムを手でふさいだ。光を遮断されてなにも見えなくなったミナキは少し弱ったように眉を下げて顎を引き、マツバの双眸をじいと窺う。あの時のことを思い出したのだろう、わずかな後悔が滲んでいるように見えたので、そんな顔しなくたっていいよ、と笑って澄んだ翡翠色を覗きこんだ。
『マツバの目には、何が見えているんだろうな』
 好奇心と同じくらい、寂しさに縁取られた声だった。あてどもない隔たりを目の当たりにした時の、どこか途方に暮れた響きにも似ていた。あのときは上手く答えられなかった。君の問いかけに、安心させてあげられるような言葉を口にすることができなかった。まだまだ自分のことで手一杯で、人より抜きんでることにばかり躍起になっていた頃の自分を遠くに見やって、マツバは苦いような気恥ずかしいような、なんともいえない心地になった。
(おかしいなあ…昔も今も、僕の前にはミナキ君がいたのに)
 同じだよ、とゆっくり告げると、すぐにその意味を悟ったのだろう、有り余るほどの瞬きをしてからミナキは瞳を輝かせてそうか、と弾んだ声をあげた。内心をあらわすように飴色の前髪がぴょんと跳ねたのが、いつになく可愛らしく見えた。
そうさ、そうだよ、君が心配しなくたってずっと僕らは、同じ世界を見ている。もっと早くに伝えられればよかったね。


















「君に、僕のことしか考えられなくなる呪いをかけたよ」
 いつもと変わらない静かな笑みを浮かべてマツバがそう告げてきたために、さあ出発しようと踵を返しかけていたミナキは彼から目を離せなくなったうえ、玄関先で真顔のまま固まる羽目になってしまった。しばらくそのまま見つめ合ってみたものの、やだなあ冗談さ、などという台詞は続く気配もない。ミナキは今しがたの言葉を脳内で慎重に思い起こし、その内容のありきたりな甘やかさと呪いという響きの禍々しさにどんな顔を作ったらよいのか分からずに、結局ははは、と息を吸いながら笑うという妙なことになってしまった。
「なんだ、君も可愛いことをするじゃないか」
「そうかな…あとこれ、失くしちゃいけないよ」
「これは…押し花?」
「そう、それが呪いの依り代になるのさ」
 またのろいという言葉が出てきたので、ぎくりとしてミナキは手渡されたカードのようなものをまじまじ見つめた。古代紫の厚紙に白い押し花が張りつけられて、上からは透明なシートかなにかで丁寧にコーティングされている。槐の花だ。こんなものをいつの間に作っていたのだろう、と思いつつマツバに視線を戻すと相変わらずのゆるいほほ笑みを注がれて、いつになく居心地が悪くなってミナキはそそくさとそれを内ポケットに仕舞いこんだ。居心地が悪いのに、やけに顔が熱い。胸もうるさいような気がする。もしやこれが呪いか、と知らず知らず自らの心臓の辺りをぎゅっと握ると、タイミングよくミナキくん、と呼ばれて思わず肩がはねた。
「な、なんだ!?」
「ははは、呪いっていう言い方がいけなかったね」
 おまじないだよ、おまじない。
 そう柔らかい声音で訂正したマツバを、しかしミナキはまともに見ることができなかった。マフラーの留め具を意味もなく見つめ、今さら言い直しても遅いだろう!と内心突っ込んだりはすれども、ついぞ口に出すことはできない。そうこうしているうちに「とりあえず試しに、次に来る時まで持っていてくれないかな」と対照的な穏やかさで次がれ、いよいよ断ることができなくなってミナキは返事もそこそこに、顔を上げないままでマツバの屋敷を後にした。


 しかし数日後、マツバの家の前にはまたしてもミナキが立っていた。ほとんど全速力で駆けてきたせいでぜいぜい肩で息をしていたがどうにかそれを整えて、そうしてガララ、と勢いよく開いた玄関のあちらにマツバがいつものほほ笑みで立っていることにぎょっとして、だが間を置かずに赤い顔でマツバ!と必死な声をあげたと同時に掛け寄って、あの呪いを解いてくれないか、とミナキはマツバのニットの袖を掴んで告げた。走ってきたためか、はたまた別のわけでか息が上がり、瞳は潤み、顔は耳まで赤く染まっている。落ち着いて、とその肩を撫でながらマツバは笑みを深くすると、少しばかり申し訳なさそうに眉を下げてミナキの額に口づけた。
「…君も可愛いことを言うじゃないか」
「え、」
「僕のこと、考えてくれたんだね」
「あ、ああ…というか私は、だって元からほとんどスイクンか君のことしか考えていないんだぜ、それなのにあんな呪いをかけられては身が持たないと…マツバ?」
「…うん、ははは…ごめんごめん」
 抱きしめてきたと思ったら離れなくなったマツバに疑問符を浮かべるミナキの後ろ髪を撫でながら、マツバはなおも抱擁を解かないままそう謝った。これは効果覿面というより呪詛返しを受けたような気分だなあ、と緩み赤らんだ顔をどうにか引きしめる。ちょっとした暗示くらいになればいいと思っていたのに、想像以上に愛されていることが分かってなんというか、こう言うしかないのだが、春が来たような心持ちだった。
「そうだミナキ君、槐の花言葉を知ってるかい」
 押し花を張りつけた札を受け取りながら、マツバがふと尋ねた。いや、とかぶりを振ったミナキにしたりというような顔をして、ふふふと含み笑いながら手袋に包まれた手を引き寄せる。つられて傾きかけた上体。慌ててバランスをとろうとするミナキの耳元に唇を近づけて、低めがちにした声は慕情だよ、と密やかに注ぎこんだ。












/えんじゅぼじょうしきさいえまき