「きみ、どこでなにを埋めてきたんだい」

顔を見るなり眉をひそめてそう尋ねたマツバは、ぎょっとしたミナキのいらえなど求めていないように瞼を下ろし、やれやれと溜息をついた。夕暮れ時のポケモンセンターには人が多く、向かいあって立つふたりの脇を次々とトレーナー達が通り過ぎては自動ドアをくぐっていく。ここで待ち合わせようと言ったのはマツバだった。ちょうどジムを閉めてポケモン達を回復させる頃にミナキが着くということで、じゃあ夕飯の買い物は一緒にしようという話になったのだ。ちょうど食材も切れかけていて、ミナキ君に何か普段食べないようなものでも作ってもらおうか、なんていうようなこと考えていたところだった。
しかし、先に到着して待っていたマツバの元へ掛け寄ってきたミナキを見たとき、それまでののんびりとした心地は影をひそめ、代わりにひやりとした冷風が内心を撫でたのを感じた。問われたミナキはそんなマツバの様子に顔色を差し換えて、むらさきの眼が再び自身を見るのを待ってから、ためらいがちに距離を詰めた。視線を絡ませる。そのどこか後ろめたさを感じさせる眼差しに、ああやっぱり、と少しの悔しさを感じながらマツバは口を開いた。周囲の明るいざわめきがにわかに飛びすさり、おぼろな雑音へとみるみるうちに姿を変えた。
「どこ?」
「あー、37番道路で、」
「いいよ分かった。今から行こう」
話し続けようとしたミナキを制して片手を振ると、マツバは視線で促して自動ドアに背を向けた。おい、と慌てた声が追いかける。回復なら大丈夫だよ、今日はほとんどゴースしか使わなかったんだ。腰のモンスターボールを撫でながら振り返らずにそう告げたマツバは、時折り挨拶してくるエンジュの住民に常と何も変わらないような笑みを向けて手を振りながら、しかしミナキを顧みることなく淡々と歩を進めた。向かう先には街の境界をしめす昔ながらの灯篭が並んでおり、そこからあちら側は異世界のごとく薄闇に飲まれている。森の日暮れは早いため、トレーナーの影はあまりなかった。
いつになく確たる足取りで草を踏むマツバを追いながら、なぜ分かったんだ、とミナキは声を潜めつつ訊いた。こんなことを千里眼を持つマツバに尋ねるのは野暮というものであろうと分かっていても、問わずにはいられないのがミナキの性であった。ざっざっと砂と草を潰しながら進む音がやけに響き、そうしていくつか呼吸を置いてから、「君のすることだからねえ」と些か気を抜いたような声色でマツバは返して、ちらりとミナキのほうへ振り向いた。その深く底のないまなこが、普段の垂れがちな形をいくらか鋭くし、なにごとかを捉えて貫くように細まる。ぎくりとしたミナキであったものの、彼が自分を見ているわけではない、ということだけはすぐに分かった。
「自然公園の近くだね」
「ああ……おそらく虫取り大会で、……いや」
「……また運営側に注意しないといけないかな」
前にもこういうことがあったんだ、ポケモンが人間の都合で傷つけられるなんて…あってはならないのにね。
早足のまま噛みしめるように話すマツバの言葉には、滲む憤りといくらかの悔恨が見てとれる。ミナキはただ頷いてその隣に並んで歩きながら、もう少し先だと告げて眉を歪めた。

ふたりが辿りついたそこは、道から少し茂みへ入っただけのところにある何の変哲もない草むらだった。植物の背は低く、地面の色もはっきりと分かる。一帯をぐるりと見渡したマツバは息をつき、ゆっくりと地にひざまづいて湿った土に触れた。その場所だけひときわ色濃くなっており、よく見さえすれば、ごく最近のうちに何かを埋めたことはおそらく事情を知らないものにも知れるだろう。ミナキはまだ新しい記憶を蘇らせながら目を伏せて、マツバの指先を見つめた。まさかもう一度、しかもマツバとここに来ることになろうとは、あの時は思いもしなかった。
憶測にすぎないが、あのレディバは虫取り大会で競いに出されたポケモンだったのだろう。しかし入賞を果たすことはなく、トレーナーの怒りを買って傷つけられ、ここにうち捨てられてしまった。野生ポケモンの攻撃も受けたのかもしれない。ミナキが見つけたときにはもう事切れていて、ぼろぼろになったボディはレディバが持つあの光沢からはかけ離れた有様だった。
「ゲンガー、みやぶる」
いつの間にボールから出していたのか、或いはもしかしたら初めからずっと影に潜んでいたのか、ゲンガーがするりとマツバの傍に現れてにたりと笑った。赤い目がうっすらと光り、辺りの空気を波立たせる。あっ、とミナキは思わず声をあげた。それまで何もなかったはずの空間にぼんやりと黒い靄のようなものがただよい、次第にはっきりとして、なにか目や口のようなものまで見えるようになったのだ。立ち上がりつつ、目を瞠ったミナキを横目で見やってマツバは呟いた。
「……これがうらみのかたちだよ、」
それと同時にポケットから探ったものを、下から上へ抛る。ミナキがそれを視線で捉えるよりも早く、ぱんっ!と弾けるような音とともに、景色は白く塗り潰されてしまった。



「僕が見たのは君にまとわりついた念、だったけど…べつに君がどうこう思われていたわけじゃないよ、むしろ感謝されていたくらいさ」
それは僕が言わなくても分かるだろう?
マツバはのんびりとした調子で笑いながら、足元をせわしなく動き回るものへと見守るような眼差しを送っている。うーむそれならいいんだが、とミナキは複雑な声を返してマツバの面白がるような表情を盗み見て、それから深く息をついた。あんなにシリアスな様子で事に当たったというのに、終わってみればこんなものかと拍子抜けしたような、だがやはり安堵もこもった濃厚な溜息だった。足に纏わりついているぬいぐるみのような可愛らしいシルエットは、じっとすることなくコロコロと笑いながら帽子に似たところを揺らして動き回り、ミナキから離れる気配はない。これじゃあ歩けないぜ、とお手上げの格好をしてみせれば、しょうがないねと肩を竦めてマツバはゲンガ―に目配せをした。ゲンゲン、心得たというふうに笑ったゲンガ―がミナキのほうへと飛んでいき、ちょこちょこと構ってほしそうにしていたそのぬいぐるみ――もといジュぺッタに、遊ぼうというように呼びかけた。
キシシシ、と笑ってからファスナーの持ち手部分を震わせて、小さなジュぺッタはすうっと姿を消した。それに合わせてゲンガ―も景色に紛れ、あとには弾むような、それでいてやはり不気味さを失わない鳴声たちが風に混じってミナキとマツバの周りで響いた。「…悪戯されそうだな」「まあそれは、ご愛嬌だろう」いまだ落ち着かない面持ちで目をうろうろとさせているミナキに慣れた笑みを浮かべたマツバは、これがゴーストタイプというやつさ、と視線を変えることなく言った。シルフスコープでも持っていればよかっただろうか、とミナキはたじたじとしたが、そんなものはエンジュにおいては大して役には立たんのだろうなあとひとりごち、近くに居るであろう気配に諦めたような笑顔を向けた。
「それにしても、いつもドールを持ち歩いているのか?」
「まあ……色々と便利だしね」
いろいろという言葉に含みを感じながらも、それ以上問うことはせずにミナキは片眉を上げてはは、と笑った。「それにしてもよかった、助かったな」いかにも自分ごとのように頷くと、月明かりを受けた明るめの髪がつやりと光を映した。マツバはどこか眩しげに双眸を細め、それから何かに確実に焦点をあてながら視線を移ろわせて、またミナキへと目を戻す。君の優しさがこうしてひとつの命を生んだのだと、伝えるのは野暮な気がした。