「私、まだちゃんと視えないときがあるんです」
「構わないさ」

きっと誰の未来よりも、容易く捕まえることができるだろうからね。そう笑って仮面のあちらで柔らかく細められた紫色に、少女はほっとした面持ちで弓を握り直した。晴天に照らされた白色が、眩しいほどに甲板に浮かび上がって見える。彼の纏うものは何もかもすべてが今まで見てきたどんな貝殻よりも綺麗で、透き通っているように思われた。まだ見たことはなかったけれど、藤や百合の花というのはきっとあんなふうに美しいのだろうと鶴姫は瞳をきらきらとさせて、そうして薄膜をひとつ捲ったところにあるどす黒い淀みに瞬きを贈り、かんばせを曇らせることなく弓矢を矯めた。あの人は自分が何を抱えているのか、私なんかよりずっとよく知っているのですね。それならいいんです。胸のうちで頷きながら、放つ、矢の先に眼差しを浸してかんなぎは、しなやかな指先と笑顔を思うさま瞼の裏に焼きつける。あれが彼の最期であった。開かずの社を鶴姫にはおよそ分からない手段で開かせてここに立っている、外の世界では名を知らぬものは居らぬほどの才を持つ美しい人。臓腑に渦巻くどす黒さは、彼を待つ遠くない未来に一直線に繋がっている。それでも少しも不安など抱かずに笑う彼を、鶴姫はとても不思議に思った。やがて退いてゆく光から目を下ろすと、ゆるやかな曲線を描いたままの唇のつくりものめいた色合いにどきりとする。見えたかな、尋ねる仕草はまるで物語に出てくる何かのようだった。あらゆる縁取りから見つめるだけならば、彼が武人だなんて到底考えられない、けれども今しがた映した彼のお終いが、どうしようもなくその本質を鶴姫に教えてしまった。
「笑って、いますよ」
「……それはいつかな?」
「ええと、時期までは…分かりません」
うろうろと視線を揺らがせてからごめんなさい、と頭を垂れる少女に、麗人はゆるくかぶりを振って瞑目した。見えないものは仕方がないよ。それはどこかで諦めていたような声音であったけれども、同じくらい失望を滲ませる響きでもあった。潮風に煽られた柔らかげな髪をくしゃりと撫でて、竹中と名乗った彼はしばし経ってから恭しくお辞儀をした。細い体躯が人形のように折れる。限りを知った美しさというものを初めて目の当たりにした姫御前は、きれい、と知らぬうちに呟いてから、すぐにハッとして口元を手で押さえた。可笑しむような息遣いでふうわりと姿勢を正した竹中が、目元を動かして微笑む。内側では黒が渦巻く。あどけない賛辞すら取り込んで、未来への淀んだ道行きを彼はこのまま変わらない笑顔で進み続けるのだ。花は散り際までも美しい、書物にあった言葉とはきっとそういうことを言うのだと、まだ見ぬ光景と彼の行く末を重ねて巫女はほうと息をついた。
あなたにこれが飛んでいかないうちに、早くお暇しなくてはならないね。芝居がかったたおやかさで胸をさすりながら、遠い水平線を見やった竹中がくるりと背を向ける、するとまなこの裏に光が散って、トントンと板を踏む彼の足音がひどく鮮明に耳に残った。後ろ姿が見えなくなってもなお、目蓋を下ろせば蘇る。与えられた命を使いきった人間の、白も黒も零れ落ちた、空っぽの美しい笑顔。あんなに透き通った絶え様を、鶴姫は後にも先にもついぞ知らない。