uno


「‥‥すぐに家に来い」


いつも強引で俺様な彼から不意にかかってきた電話。
少し掠れた力のない声に、深夜だったにも拘わらず私は家を飛び出した。


タクシーに飛び乗って目指す彼の家。片道たった15分の道のりが、エレベーターを待つ時間が、貰った合鍵で鍵を空ける些細な時間までもがもどかしくて。開けたドアの先に無造作に脱ぎ捨てられた革靴があるのが判ると、慌ててリビングに駆け込んだ。

「か‥風間、さん‥‥?」

彼は足を投げ出してベッドに身を沈めていた。余りに慌てたせいか、うまく息が吸えなくて言葉が絶え絶えになってしまう。

「‥来たか、」

少しだけ身を起こして私の姿を確認した彼の口元に淡く笑みが浮かぶ。でも、その顔は酷く疲れて見えた。目の下には隈まで出来ている。帰ったときのままであろうスーツには皺が寄っていた。

いつもあるはずの余裕が見えない。私は彼に引かれるようにベッドに近づき、そっと側に腰を下ろす。


「なんか‥疲れてますね」
「‥それほどでもない」


言葉とは裏腹に、その声は弱々しく聞こえる。顔色の悪いその頬に手を伸ばすと、彼はそれを拒まなかった。少しだけ目を細めて、小さく息を吐いた。その仕草がなんだか愛しくて、頬を撫でそこにかかる髪を払った。


「ちょっと待っててください」


ベッドサイドから立ち上がると、キッチンへ向かった。冷蔵庫を開けてみると、食材はほとんど入ってないけれど、彼が好きだと言っていた赤ワインのボトルがあった。それから──。


「はい、風間さん」


ほんのりと湯気のたつマグカップを彼に渡す。作ったのはホットワイン。行きつけのお店のバーテンさんに教えて貰ったもの。温かいもの口にすると疲れて強張った身体も解れると思ったから。

私が彼の「恋人」に昇格したのは、3ヶ月程前。でも彼の仕事が忙しくて、会うのさえも儘ならない。恋人らしいことなんて、ほとんどしていなかった。だから、少しでも彼の役に立ちたかった。──彼女らしいことを、したかった。

風間さんは私とマグカップとを訝しげに見つめていたけど、観念したようにカップに口を付けた。数口飲むと、その表情は緩み少しだけ頬にも赤みが差した気がする。


「私、洗濯してきますね」


そのスーツも皺が酷くなる前に脱いでくださいね。‥そう、言うつもりだったのに、いつの間にカップをサイドボードに置いたのか、私の腕は捕らえられ、気付けば彼に組み敷かれていた。


「風間、さん‥‥?」


深紅の瞳が私を捉える。目を、逸らせない。彼の吐息が頬にかかって、息が止まりそう。


「私‥‥洗濯‥」
「そんなことはどうでも良い」


漸く動いた唇から出た言葉は、そんなつまらない言葉で。それさえも彼の声に遮られてしまう。

しばらくの間私をじっと見つめた後、息を吐いた彼は私の首元に顔を埋めて。


「今夜は‥‥俺に抱かれて、寝ろ」


そう、耳元で囁いたのだった。






(110807〜110826)

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